豆腐屋が二軒もある。”高輪浴場” という銭湯がある。花屋がある。”虎屋” をはじめ和菓子屋もある。商店だけでなく、千葉のほうから大きな荷物を背負って魚の干物や野菜や果物を売って歩く行商のおばさんの姿も見える。親しい友人がこの町に住んでいるが彼にいわせると「ここは豆腐屋から葬儀屋までなんでもある町だ」ということになる。なるほど確かに葬儀屋もある。
川本三郎著『私の東京町歩き』ちくま文庫 1998年 p.48
こうエッセイの中にあるのだが、どうもそのような雰囲気ではない。しかし場所は間違っていないようだ。僕が想像していたのは、せいぜい車一台が通ることが出来るくらいの道幅で、歩道もなく、個人商店がひしめき合うように建ち並ぶ、東京の東側でよく見るようなものであったのだが、実際には二車線の道路が走り、歩道の幅も充分に確保されていて、建物もぎっしり詰め込まれている訳ではない。「非常に明るく解放された感じがする」と書かれていたのは、この空間を広さを言ったものなのだろう。考えてみれば25年も前の記事であるので、店を閉めた商店も多いだろうし、それが建て替わって今のマンションが在ったりするのだろう。来るのが遅すぎた気がして、それが悔やまれる。
店は開いていないようだが、虎屋の建物は在った。中央部に煙突があるという事は、店舗の裏側に和菓子を作る厨房というか工場のようなものが在るのだろう。
廣岳院という曹洞宗の寺。この頁が詳しいようだ。入口から見える本堂の姿が少し変わった雰囲気だったので撮った。
道路に面した寺の山門を撮るのを忘れているので、再びこちらの頁を参考にされたい。日蓮宗承教寺とある。このサイトは実によく調べてある。僕はたいして下調べもせずに行ったものだからほぼ素通りしてしまって、道路に面したものしか見ていない。大変惜しい事をした。
左図: そう、この寺には「英一蝶」の墓があるのだ。それはこの立て札を読んで知ったのだが、墓には別段興味がわかなかったので中には入らなかった。しかしそれだけではなく、一蝶の描いた釈迦如来像が在るという事実を上記サイトで今知って、そして今悔しがっている。
右図: そしてこれは門前にある置物。気色の悪い狛犬だなぁと思って写真は撮っておいたのだが、実はこれ「件」だそうだ。なぜ妖怪。なぜ件。不可思議だ。
こんな感じで、商店街とは呼べない雰囲気で道路を続いていく。25年前には在った店が次々に閉店して行ってる様子が窺える。
しかし所々には、レトロに洒落たワインバー(たぶん)があったりもする。蕎麦屋も見かけた。
このテイラーは営業を続けている。
そしていよいよ、目当てにしていたものが登場した。奥が高輪警察署で、手前が高輪消防署二本榎出張所である。
エッセイにも紹介されていたので期待していたのだが、それに充分に応えうる建築物であった。円筒形の火の見櫓が素晴らしい。さっきのサイトにも紹介されているのでリンクしておく。此処も中を見ておけば良かった。後悔一頻り。こういうランドマークが自分の住む町に在のは良いだろうなあ。
その後は別に面白くはない。左図の左手の奥にグランドプリンスホテル新高輪の高層階が見えるくらいだ。そして高輪3丁目の信号を右に折れると右図のように再び庶民的な並びとなる。
そして高輪台の六差路に到着。これにてこの散歩は終わりである。全体を通してみれば、居心地の良い通りだったなあ。
December 19, 2013 at 19:54
はじめて本ブログを拝見したときにちかい構成になっているようにおもわれます。
こういったものは文章をいかに書くかという意識と併行してレイアウトの腐心にも苦しまねばならないのでしょうか? 「新橋から地下鉄で」と前編に川本氏の文章でありましたが、それがしは新橋より三田からこのあたりまで力まかせに歩いて文字どおり踏破するところなんですね…
そういえばガンガンからいわれて気がつきましたが、ゆるゆると金沢やら京都やらをめぐって師が帰郷していらい早や1年ですね。
December 20, 2013 at 13:41
あら、その頃でしたっけね。
冒頭の文章くらいは予め考えている事はありますが、こういった散歩記の場合は大体が写真に対しての当て書きです。撮った写真の中から見栄えが良くて何か一言書けそうな物を選び(その際には縦位置の写真は偶数枚続くように注意しながら)、それを順番に並べてから書き始めます。
貴殿も荷風が如く健脚なんですなあ。僕の場合は余りにも長い距離を設定すると、それを歩き切る事ばかりを考えてしまい、あまり周囲に目を配らなくなるんですよ。なので道程を詳しく観察したい場合は短い距離を歩く事が多いです。ただし、踏破する事が目的の散歩の場合はその限りではありません。上野から新宿まで、なんてのは結構面白かったですね。
そうですね、この年末で一年が経ちます。あっという間でした。