DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

初恋動物園

 先日、福岡市動物園がリニューアルしたとのニュースを眺めていて思い出した事がある。

 僕は幼き頃に連れて行って貰った動物園で、親からはぐれたのか一時独りで行動しており、ふと視界の開けた高台の休憩所ような場所に居た。柵に囲まれ、ベンチがあり、お金を入れて見る事の出来る双眼鏡も在ったように思う。其処で僕は「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」と思えるほどの同い年くらいの女の子に出会ったのだ。僕は長い事じっと見ていたのであろう、やがてその子も僕に気付いた。ニコっと笑ってくれて僕を見ていた。僕ももちろん見ていた。そのうちにお互いにモジモジし始め、何となく離れがたいような気分になったし、相手もそうであるように見えた。しかし僕は親の元へ帰らねばならない。きっと相手ももそうだろう。一言も発する事はなかったが、離れがたきに耐えるような、胸が締め付けられるような気持ちに陥った。

 という事を、随分と成長した後(成人はしていなかったと思うが、それまでのどの時期だったかは判然としない)に鮮明な映像としてその事を思い出した。という事を今回思い出した。話は複雑なのである。
 そして、最初に思い出した当時(その後何年かに一度くらいは思い出しているが同様に)は、その女の子の表情や着ていた服までもはっきり思い出したくせに、その記憶に自信が持てなかった。何故かと言えば、その光景以外には動物園での記憶が全くないからである。それに僕には、自分の記憶だと信じ切っていたものが事実ではなく、記憶を歪曲したかそれとも夢を見たとしか考えられないという事がたまにあって、それもあってその記憶を疑っていた。考えてみれば都合の良い話だし、動物園には行った事はないような気がするし、たぶんまた夢に見た事を勘違いしているのだろうくらいに考えて、やがて忘れていった。

 で、今回はせっかくなので事情聴取してみた。母が言うには、熊本市動物園には父の運転する車で行った事があり、福岡市動物園には保育園の遠足で行った事があるそうだ。全く記憶にはなかったが行った事はあったのだ。そして、何れにしても保育園の時だが、福岡市動物園は高台に在るので双眼鏡の在る休憩所も在ったかも知れないとの事。僕の記憶にやおら信憑性が出てくる。妙に楽しい気分になってきた。
 しかし疑問はまだある。通っていた保育園には当然女の子も居たし、彼女達に関しても微かな記憶はあるのだがほぼ興味はなく、一緒に遊んでいた男の子達の印象の方が遙かに強い。そして僕は当時で言う保母さんの一人がとても好きで、何となくそれが僕の初恋だと思っていた。そんな男子児童が、上記したような行きずりの女児に一目惚れなんてするだろうかね、という疑問。ああしかし、小学校に入学した僕はフツーにクラスメートの女の子を好きになったりしていたので、もしかしたら保母さんに恋をした後に件の女の子との出会いがあったりしたのだろうか。そう考えると何となく話がうまく収まるような気はするなあ。いやでも「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」なんて幼児が考えたりするだろうか。その辺りの感情の記憶が歪曲されているのかも知れない。

2 Comments

  1. Avatar
    柳下亭種員

    November 30, 2013 at 10:14

    「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」って考えるものなんでしょうね。思春期までの恋は肉欲をともなわないという稀有な特徴をそなえており、むしろ肉欲がまじるような年齢になると恋そのものがそのひとの人生から消滅するものかもしれないし、いきおい恋は運命論的な基調のもので稲垣足穂のいわゆる 「地上とは思い出ならずや」 のコスモロジックな色あいもおびるものかもしれない…
    ただし恋はそれだけにクラスメイトなどの(下々の)女の子とむすびつきがたく、ブラウン管や2次元にのがれたり、ドラマやCMや歌謡曲のなかの “どこにでもありそうだけど、どこにもない” 空間をめざしたりするかもしれず、したがって動物園のその女の子も “どこでもいそうだけど、どこにもいない” 美少女というご自身の想像の産物かもしれないというむきがなきにしもあらずや?
    と思いつつ今日も荷風がかよった新小岩の東京パレスなる赤線地帯のことを調べております。
    ちなみに父親がいうには博多やら小倉にもブラックキャットをはじめ横文字の赤線が多々あったそうです。さらに父親からはガサいれを主にしていた元刑事の友人を紹介してもらおうとおもっております。

  2. doggylife
    doggylife

    November 30, 2013 at 20:51

    小学校高学年くらいになると、友達や親戚のウチで見つけた週刊雑誌や、川べりで拾ったエロ本などを見る機会が出てきますので、その辺りで何やらモヤモヤしたものを感じるようになりますが、あれは性欲だったのではないかと思ったりします。しかしそれが決してクラスメートの女の子達に向いたりしないのは、やはり子供に取っても子供は性対象とはならないのでしょう。
    それでは一体どこを好きになるのかと言えば、やはり性格的なものか、姿形が好ましいとか、そういう事なのでしょう。そして言われるとおり、ただの「好き」ではなく、強烈な恋情として印象づけるものはその時のシチュエーションなのかも知れません。僕のこの場合は、親からはぐれているという状況と、動物園という舞台ですね。女性達(もちろん全員ではありませんが)がよく、記念日だとか洒落たレストランだとか旅行だとかを欲するのは、そのような理由なのかも知れません。そのように、女性達があくまで現実の中で特別なシチュエーションを欲するのに反して、男達は非日常の世界(此処ではない何処か)にそれを求めがちなのは何故なんでしょうね。
    どうやら本腰を入れ始めたようですね。東京パレスは僕も名前しか知りません。博多の赤線地帯に関しては名前すら知りませんでしたが、先日博多の旧赤線地帯の現在を訪ねる記事を読みました。ちょいと調べる必要はありそうですね。
    http://deepannai.info/fukuoka-hakata-ohama/

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

© 2024 DOG ON THE BEACH

Theme by Anders NorenUp ↑