Libertango / Michel Camilo – Tomatito:Piazzolla のカバー。ヨーヨー・マがカバーしたのも好きだけど、これも良いな。ピアノとギターの組み合わせも悪くない。
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No tomorrow / Orson:アメリカのバンドだそうな。良いな、これ。
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ティンサグ ヲ 花 / コウサカワタル:この曲はなかった。代わりにコウサカワタル&尾上祐一で「琉球インド」。何だろうな、この二つの楽器は。
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真夏のストレート / 甲本ヒロト:ハイロウズは好きだがブルーハーツは余り好きではなくて、しかしこれはソロか。うーん、まぁいいや。
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星のラブレター / The Boom:社会人に成り立ての頃には、僕は邦楽には全く興味が持てなくなっていたのだけれど、入った会社のフロアでは、こういったインディーズから叩き上げたバンドの CD を頻繁にかける人が居て、そこで知ったのだと思う。とは言え、この曲と「中央線」しか憶えていないし、たぶんそれしか好きじゃなかったんじゃないだろうか。因みに The Boom の中央線も悪くない。しかし矢野顕子が歌ってしまうと、やはりそちらに持って行かれてしまうのだが。
さて、メモに残っていたリストはこれで全部だ。さして気分は盛り上がらなかったが、そこそこ楽しかった。押し入れの中から、昔作ったマイ・ベストのカセットテープを見つけたようなものだ。こういうのは古ければ古いほど面白い気がする。また何か見つけないかなぁ。
September 28, 2013 at 10:33
おはようございます。
全回をつうじて自分が聴いたことがない曲ばかりなのがショックでした。
したがって音楽では実のある話もできないので、べつのことを…
『あまちゃん』 とかいうやつを1度もみずにおわりました。みたいとおもったこともなく、みている妻をみているとはらだたしく、いじわるでTVをけしてやったことも1度ならずあります… それなのに今朝ネットをひらいてYahoo! のトップページやらtwitterやらで 「ありがとう最終回」 みたいなものが洪水のようにおしよせてくると、まるで自分がずっと視聴しつづけていたような錯覚のもとに喪失感というか、いうにいわれぬさびしさのようなものがこみあげてきました。
――この寂寥は、なんなのか? 逝った夏への想いが、こんなかたちでふきだしたのか? ばけものじみた炎暑のせいで冬よりも夏はむごたらしい季節に変貌して、はやくおわれとしか感じなかった夏への?
『あまちゃん』 とかいうやつが、ぼくのきらいなTVのむこうから、なにか自分にかかわる切実なものの “終焉” をささやいてきたのかもしれない… さむらいが屠殺したり放火魔が火をつけたりするのは、あるいは間接的にこんなささやきを耳にした瞬間なのかもしれない――われわれの人生にこれは何度かある老いのささやきかもしれない――ことしも脳裡にひびくランボオのさけび:「もう秋(またか!)」 L’automne, déjà!
ちなみに前回の栗焼酎はこれでした。
http://www.konjiru.com/sake/tosa/contents000039.htm
September 28, 2013 at 20:35
ラジオを一日中点けてるとか、ヒットチャートを追いかけでもしなければ知らなくてフツーですよ。
それにしても、それは一体何がヒットしたのでしょうね。Twitter 始めた時の話なんかもそうですが、大袈裟だなァと思いつつも、そんなにも巨大な感情の波が押し寄せてくるというのは、どういう心持ちなのだろうと想像してみるも、なかなか上手く行かないものです。
全編を通して観ていた僕としては、物語が終わってしまう事にはそれほどの感慨もなく、それはまァ、期間が長かったせいか終わりに向けての心の準備のようなものが出来ていたのかも知れません。僕は割と、そういう予防線を張ってしまうのですよ。そして、月曜からの次の連続テレビ小説は杏(平清盛においては北条政子役)が主人公なので、結構楽しみにしていて、それも影響あるのかも知れません。物語の内容としては、それほど期待していないのですが。
ところで、奥様に対してそんな悪質な事をして遊んでいたのですか。よくまァご無事で。
土佐鶴、栗と米のブレンドなんですな。