DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

詠句

ピーマンの腹に切り込み入れて泣く

4 Comments

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    吉田π@酒場早漏記

    September 11, 2012 at 21:02

    作者に自解をおねがいするのは気がひけるのですが、
    いかなる心情をうたったものなのでしょうか?

  2.  昨日は、季語としては余り明瞭ではないらしい(まあそうですよね)のですが、「ピーマン」が提示されておりました。「ピーマン」なんて何も思い浮かばんなぁ、と思っていたのですが、ピーマンの腹にに包丁を突先を差し込む際の快楽と、濃い緑の外側がめくれ中の白いワタが現れた時ののコントラストの美しさを思うと、何だか泣けてくるような気がしたのです。
     しかしまあ、こんなの誰にも解らないと思います。自分の中に用意されている切羽詰まった感情が必要だと思うからです。誰にも何も伝わらない文章を書くなんて事は、愚行以外の何ものでもありません。

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    吉田π@酒場早漏記

    September 13, 2012 at 19:22

    いや書き手の意識が庖丁のようにぐっさりと読み手の意識にえぐりこんできたからこそ「いかなる気持ちの歌か?」と気になったしだいです。
    ことばでつづりつつも俳句は音楽のようなことばで名状しがたいなにかをえぐるものなのでしょうかね…

  4.  そうですか。何かしらは伝わってはいたんですね。
     私見ですが、季語をきっちりと取り入れた俳句とは、本来その季節毎にそこへ埋没する人々の心情に寄り添うものであると思います。大昔の事ですから、季節や天候は人にとって現代よりも遙かに重要な事柄であったのだと思いますので、その状況下に居る自分を肯定し、幾らかでもより気分良く過ごせるキーワードや語感を連ねたものであるように思います。そして時折、その時の私的な感情をほんの少し混ぜ込む。そのようなものであろうかと。
     これが現代に近づくに連れて、その要素が薄まって、より内的な心情であるとか、社会的な事象に注目が移っているように思います。そうなると、それは俳句ではなく川柳になりますが、それでも俳句と呼ばれたりしているようです。
     どうも貴殿の質問に的確に答えられてはいないようです。考えながら書いていたらこのような文章になってしまいました。何れに日にか、うまくまとめられそうになった時にでも記事したいと思います。頭の中では、俳句に加えて短歌や小説、果ては絵画までをも含む芸術論めいた理屈が渦巻いてきましたので、とてもまとめられそうにありません。
     昔誰かから聞いた「全ての芸術は音楽に嫉妬する」という言葉からも類推されるように、現代においては、意味なき事を持ってして何かを伝えるというのは十分にあり得る事だと思います。
     一応書いておくと、冒頭こそ「ピーマン」と季語を使おうとしてますが、その次の瞬間その要素を完全に無視して書いてます。

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