川向こう杜を住みかに秋の蝉
陽は翳り枯れ水管に残る蝉
Art
575
September 3, 2012 at 19:39
ただ単に吉田類という俳人にあやかっただけの 癈人でございます… すみません、こちらを備忘録がわりにさせていただき、 きのう昼からきこしめしたラムに1句: 晝酒(ひるざけ)や 雲のアルプス せみしぐれ
September 3, 2012 at 23:23
類だからVでしたか。気がつかなかった。今夜の放送分、銀座の店は良さそうでしたねぇ。 昼間っからラムですか。まあ、僕もきつけにちょびっと舐めることはありますな。それはそうと、俳句を文節で区切るか区切らないかで、意見が別れるようですね。
September 5, 2012 at 19:53
こんばんは。 文節というのは上掲の拙句のように段をもうけて詩みたく区切るということですか? ちかごろ日本酒とはむずかしいなとおもいました。 ラムやバーボンをやる要領で、ときどき日本酒を買ってきて、 ピーナツだけで呑んでいても、ちっともおいしくない。 ところが刺身とかカラスミとか酒肴をそれなりのものにすると、 日本酒はとたんに味にふかみがでる… それだけで呑めない(完結しない)というのが、 日本酒はめんどうですね。
September 5, 2012 at 21:02
文節という言い方が適切なのかどうかは解らないのですが、そう、それです。正しい作法も知らないのでよく解らないのですが、区切るか、まったく区切らないかで別れるようですね。好き好きであるように思えるのですが。 醸造酒というのはそういうものであるように思います。食中酒ならワインか日本酒だと思いますが、その場合、食べ物は酒を求め、また酒は食べ物を求めるのです。この場合の食べ物は旨味なのだと思います。ワインはまだ単体で呑めるようですけどね。 僕はラムやバーボンのような蒸留酒を食事の最中に呑むことは殆どありませんね。食事を終え、シャワーを浴びて、それからグラスに注ぎます。僕の中ではそうハッキリと区別されているのです。
September 6, 2012 at 19:56
こちらもシャワーをあびるのはおなじですが、すきっ腹で蒸留酒をながしこむ はらわたを灼く… その快感にすべてをかけているところがあります。 それで寝るまでなにも食べない。 空腹がたえず体内で自意識を主張しながら、 野獣のきばをむいて、こちらをのみこむ感覚がすきです。 どうやら石橋(貴)がおきらいなごようすですねw ぼくは漫才デビューまえから彼とは縁があって、 なんだか自意識も石橋ナイズされて(よいことではありませんが)、あの東京人のつめたさが自分の枕になっているところがあります。
September 6, 2012 at 20:18
それ僕もたまにやりますが、よほどやさぐれている時に限りますね。それを続けていると、味蕾だけに限らず身体が疲弊してきませんか。自分自身まずい事をやっている感覚が抜けないので、そうそう長くは続けられません。 ツイッタから拾いましたか、よく解りましたね。昔はそれなりに楽しんでいたんですけどね。だんだんあれが芸だとは思えなくなって、それでイヤになりました。あれは冷たさというものではないように思います。
September 6, 2012 at 20:34
ご返信ありがとうございます。 そうですね… たしかにアルコールとの照準もずれてきたかもしれません。 ある程度の年齢がすぎると、いわゆる反復による快適さのずれを随時補正する必要がでてくるのかもしれませんね。 先週は快適だった環境が今週はちがう… 「冷たさではない」という卓見もたしかにそうです。 ながめているうちに、かれらがかれらでなくなるという経緯が おそらく自分のことどももふくめてあるかもしれません。
September 6, 2012 at 21:38
元気でい続けられる人は、ひっかかりがないので快楽をより強く求めるようになるのだと思います。当然の成り行きです。幸か不幸か僕は身体が弱いので、体調を崩してはスタート地点に戻り、徐々に快楽を貪り始めるという具合なので、強烈な快楽を享受し続ける事がないのですよ。 元気な人も老いに浸食され、同じような事情を抱える事にはなりそうですね。 これも同じような話で、彼らはデビュー当時から「過激」を売りにしていましたから、器用な芸人ではないが故に、必然としてああいった方向に進まざるをえなかったのでしょう。
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Comment
Name *
Email *
Website
© 2024 DOG ON THE BEACH
Theme by Anders Noren — Up ↑
September 3, 2012 at 19:39
ただ単に吉田類という俳人にあやかっただけの
癈人でございます…
すみません、こちらを備忘録がわりにさせていただき、
きのう昼からきこしめしたラムに1句:
晝酒(ひるざけ)や
雲のアルプス
せみしぐれ
September 3, 2012 at 23:23
類だからVでしたか。気がつかなかった。今夜の放送分、銀座の店は良さそうでしたねぇ。
昼間っからラムですか。まあ、僕もきつけにちょびっと舐めることはありますな。それはそうと、俳句を文節で区切るか区切らないかで、意見が別れるようですね。
September 5, 2012 at 19:53
こんばんは。
文節というのは上掲の拙句のように段をもうけて詩みたく区切るということですか?
ちかごろ日本酒とはむずかしいなとおもいました。
ラムやバーボンをやる要領で、ときどき日本酒を買ってきて、
ピーナツだけで呑んでいても、ちっともおいしくない。
ところが刺身とかカラスミとか酒肴をそれなりのものにすると、
日本酒はとたんに味にふかみがでる…
それだけで呑めない(完結しない)というのが、
日本酒はめんどうですね。
September 5, 2012 at 21:02
文節という言い方が適切なのかどうかは解らないのですが、そう、それです。正しい作法も知らないのでよく解らないのですが、区切るか、まったく区切らないかで別れるようですね。好き好きであるように思えるのですが。
醸造酒というのはそういうものであるように思います。食中酒ならワインか日本酒だと思いますが、その場合、食べ物は酒を求め、また酒は食べ物を求めるのです。この場合の食べ物は旨味なのだと思います。ワインはまだ単体で呑めるようですけどね。
僕はラムやバーボンのような蒸留酒を食事の最中に呑むことは殆どありませんね。食事を終え、シャワーを浴びて、それからグラスに注ぎます。僕の中ではそうハッキリと区別されているのです。
September 6, 2012 at 19:56
こちらもシャワーをあびるのはおなじですが、すきっ腹で蒸留酒をながしこむ
はらわたを灼く…
その快感にすべてをかけているところがあります。
それで寝るまでなにも食べない。
空腹がたえず体内で自意識を主張しながら、
野獣のきばをむいて、こちらをのみこむ感覚がすきです。
どうやら石橋(貴)がおきらいなごようすですねw
ぼくは漫才デビューまえから彼とは縁があって、
なんだか自意識も石橋ナイズされて(よいことではありませんが)、あの東京人のつめたさが自分の枕になっているところがあります。
September 6, 2012 at 20:18
それ僕もたまにやりますが、よほどやさぐれている時に限りますね。それを続けていると、味蕾だけに限らず身体が疲弊してきませんか。自分自身まずい事をやっている感覚が抜けないので、そうそう長くは続けられません。
ツイッタから拾いましたか、よく解りましたね。昔はそれなりに楽しんでいたんですけどね。だんだんあれが芸だとは思えなくなって、それでイヤになりました。あれは冷たさというものではないように思います。
September 6, 2012 at 20:34
ご返信ありがとうございます。
そうですね… たしかにアルコールとの照準もずれてきたかもしれません。
ある程度の年齢がすぎると、いわゆる反復による快適さのずれを随時補正する必要がでてくるのかもしれませんね。
先週は快適だった環境が今週はちがう…
「冷たさではない」という卓見もたしかにそうです。
ながめているうちに、かれらがかれらでなくなるという経緯が
おそらく自分のことどももふくめてあるかもしれません。
September 6, 2012 at 21:38
元気でい続けられる人は、ひっかかりがないので快楽をより強く求めるようになるのだと思います。当然の成り行きです。幸か不幸か僕は身体が弱いので、体調を崩してはスタート地点に戻り、徐々に快楽を貪り始めるという具合なので、強烈な快楽を享受し続ける事がないのですよ。
元気な人も老いに浸食され、同じような事情を抱える事にはなりそうですね。
これも同じような話で、彼らはデビュー当時から「過激」を売りにしていましたから、器用な芸人ではないが故に、必然としてああいった方向に進まざるをえなかったのでしょう。