僕が通っていた小学校の隣には寺が在り、小学校の裏門と、寺の裏口は道を挟んで向かい合っていた。この寺の境内を抜けた方が近道になるので、僕は通学路としてよく足を踏み入れていた。それに加えて、境内は僕らの放課後の遊び場にもなっていたので、僕はこの境内で色々な経験をしたと思う。その中で、今でも梅雨の入口で静かな雨に降られていると思い出す事がある。
さすがに小学生の頃の事なので、記憶もかなり薄れてハッキリしない事が多いが、明るい雨降りの中、僕は一人で境内の中に佇んでいた。何をしていたのかと言えば、それだけは明瞭に覚えているが、僕は雨と木々の匂いを嗅ぎたくて其処にいたのである。境内の中には大小様々な樹木が植えられており、雨水を吸い上げたそれらは豊潤な香りで境内を満たしていたのだ。僕はそれまでの短い人生の其処此処に於いて、その匂いが自分に心地良さを与える事を知り、それを思い切り満喫出来る機会を待っていたのだろう。今ではこうやって説明出来るが、その頃の僕にはその力はなく、自分の中に在る何やらモヤモヤした気持ちとして仕舞い込んでいた。なので、誰にも説明する必要が発生しない機会を心密かに待っていたのだ。恐らく、その日は友達と連れだって帰るという事はせず、こっそり自分だけ境内に潜り込んだに違いない。雨の日に誰かが遊びに来る事もないだろうし、僕は安心しきって、山門の敷居に腰掛け、膝を抱えるようにして目をつぶり、雨が葉々を打つ音を聴きながら、樹木の匂いを心ゆくまで吸い込んでいた。
今でもそのような匂いを嗅いだりすると、当時の光景を思い出すし、現在も尚あの場所に自分が居るように錯覚する。
May 11, 2012 at 19:25
それだけに限定してしまうと、とても浅い解釈になりますが、それでも性的というかヨナ的な願望がまざっていると… いいたくなります。
May 11, 2012 at 21:48
シュレティンガーはそうだったのですね。初めて知りました。
ヨナとはキム・ヨナではなく、予言者ヨナの事でしょうか。僕はその人については殆ど知りませんが、匂いに関する記憶というのは性的な何かを含んでいるような気はしますね。
May 11, 2012 at 22:24
ヨナ=コンプレックスですね。
子宮回帰願望:「コインロッカーベイビーズ」のハシのほうです。
雨につつまれて安逸とするのはそれかと…
まあ得手推量ですが。
澁澤龍彦がよく引用しておりましたが、
空地にすてられた冷蔵庫のなかに入って、
出られずに死んだ子どもとかを例にあげてました。
May 11, 2012 at 23:27
そちらの方でしたか。
そうかも知れませんね。自分に取って心地良き温度と湿度と音と匂いの中にいつまでも浸っていたいという願望は在る気がします。渋澤氏のその引用は知りませんでしたが、極端に狭い空間は苦手な気がします。
そう言えばこの頃は昔に比べて、女にしろ男にしろ、香りを身に纏う人が少なくなっている気がします。