例年よりも随分と早く花粉の飛散を身体で確認したので、行きつけの耳鼻咽喉科に本日登院してきた。この近隣で耳鼻咽喉科はその医院しかなく、評判も良いので毎年この季節にはかなり混雑している。そして今日もその覚悟で参じてみれば、待合室の患者の数がやけに少ない。お、これはラッキー。まだ時期が早いから症状が出てる人も少ないんだろうな、と思いながら受付に診察券と保険証を差し出すと、カウンターの上に何やらモニタが鎮座している。画面を見ると「現在の呼び出し番号」「現在の待ち人数」「現在の待ち時間」等の項目が表示されている。それをじっと見ていると受付の女性がチラシを差し出した。どうやらインターネット経由で、モニタに映し出されたのと同じ情報をパソコンや携帯電話で閲覧する事が出来るらしい。
これは便利である。これまでは一度受け付けを済ませて、一二時間後に、そろそろ順番かなーという時間に再び登院する。丁度良い時もあれば、更に数十分待つ事になる事もある。そんな具合に非常にアバウトな事をやっていたのだが、このサービスを使えばほぼジャストな時間に行く事が出来て、時間の無駄が省けるというものである。世の中便利になったものだ。
しかしながら少し残念な部分も在る。このサービスのおかげで待ち時間はほぼ無い。待合室に居るのは一人二人くらいで閑散としている。なのですぐに順番が回ってくるのであるが、そこが問題なのだ。いや、問題というほどの事でもないのだけれど、僕はお年寄りや子供やその母親や中学生や高校生の雑多な人々に混じって、明るい陽差しの中で順番を待ちながら本を読むのが好きなのである。待ち時間がほぼ無いので、その楽しみも無くなった。いやまあ、それで別に困る事はないんだだけど、少し残念である。
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よくよく思い出してみれば、これまで通った様々な診療科目の医院の待合室は、程度の差こそあれ、どれも採光を施した部屋が多かった気がする。そして隅に誂えられた小さな本棚には、医院長の趣味であろう雑誌や、古い絵本や、時代遅れの漫画が詰め込まれていたり、金魚や小さな熱帯魚が水槽に飼われていたり、鳥籠の中でメジロが可愛らしく鳴いていたりする事がよくあった。そんな穏やかで、明るく、静かな空間は読書をするのにうってつけだったのだ。此処なら住める、とよく思ったものだ。
仕方の無い事とは言え、そういう機会を一つ失ってしまった。うっすらと寂しい土曜日である。
February 4, 2012 at 21:30
うしなわれてゆく人情のこれまた1つですね。要は便利とその手の人情のどちらが必要か(と自分で定義しておきながら、定義したとたんにふしぎと浅薄な「やっちまったな」感を否めませんが)、よくよく考えれば90年代初頭の2chさえ人情味あふれた毒舌に想えまして、いずれにしろ日々のつみかさねが、だれがそれを望むともなく、どんどんとシステマティックな無機化をすすめるんでしょうね。
February 4, 2012 at 22:28
合理化が進むと時間が短縮される。という事は、その間に営まれていたであろう生活の機微も同時に失われてしまいます。それは失われて叱るべきなのか、それとも意固地に残す、若しくは無理矢理取り戻すべきなのか迷うところですね。失われつつある体力と筋力を維持または取り戻すべく、人々がトレーニングに勤しんでいる事を鑑みれば、後者であるように思えます。
ま、そんな事よりですね、貴方が90年代初頭に2ちゃんねるに出入りしていた事の方が気になりますな。
February 5, 2012 at 13:27
むかし友だちが世にも珍しいノートPCというものを買いまして、お台場(まだ海水浴客がいたころ)の公衆電話からネットにつないで、できたばかりのエロサイトとか2chとか見せてくれて、「な?」と訳もなく自慢顔をしていたのをおもいだします。
ところでdoggy氏が近所に良質の図書館にめぐまれないのは残念ですね。ぼくは転居するたびに書籍類の重さにへきえきとしまして、あらかた売ってしまったんですが、いまでは歩いて1分のところに大きな図書館がありまして、「ここがおれの書斎だ」と考えるたびに身軽な爽快感をおぼえます。
February 7, 2012 at 09:46
ははぁ、そういう事やってたんですな。
たぶんもう10年以上近所の図書館に足を運んでいませんが、蔵書数が少なかった気がするんですよね。少し足を伸ばせばまともな図書館も在るとは思うのですが、今度は其処へ行くのが面倒臭い。それに、読みたいと思ったらすぐに手を伸ばして読み始めたい、というような事を思ってしまう性分なので、所有する方が都合が良いのですな。しかしまあ、限界は在ります。