DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

光の手

 もう20年近く前に当時の知人から聞いた話。彼女の知り合いに、患部に手を触れて病を治す施術者の女性が居たらしい。幾人もの病人が彼女の元を訪れ、その都度、彼女は患部に手を触れて病を治していた。しかし、数年後に今度は彼女自身が病を患ったが、残念な事に自分自身を治す事は出来なかったようで、果たして彼女は死んでしまった。ここら辺の記憶は曖昧だが、施術者の女性は、病人の病を自分自身の身体に移す事で、患者を治癒に導いていたという話だった。似たような話が乙一の ” Kids ” という小説に出てくる。
 僕の知人は施術者の女性が亡くなった時、この世の何かしらを悟ったような気がしたと言っていた。それから時を経て彼女は美術家となった。何年か前に僕は偶然その事を知った。今現在の彼女が元気でいるのかどうか、僕は知らない。何故だかこの話を今日思い出したのだ。そして時折思い出すこの話を、書き留めて置いた方が良いような気がしたから、今こうして書いている。

4 Comments

  1. 私の祖母もそういう人だったが、祖母が言うには、「病気を言い当てる、治す」というのは、相当に高次の意識らしい。
    祖母の人格の時、ただの人間なので、人間の力しかない。
    人間に戻ったとき、施術している間のことは、自分のものではないような感覚らしい。酷いときは覚えてもないと。
    祖母が言うには、人間の意識は下位で、施術は高次の意識。
    つまり、高次の意識は下位の意識を扱えるが、下位の意識にとっては高次の意識は扱えない。
    つまり私が思うに、高次の意識は、相手(下位)の『意識や無意識に働きかけて』施術しているに違いないから(それ以外納得できないよね?)、
    治す相手である自分(下位)に働きかけることは出来ない。だって同一人物だから。
    下位である自分自身の意識が抜けてしまっているわけだから、当然だよね。
    治すというのは完全に消すわけでなく、自分がもらってしまう、それをもらわないようにするには
    訓練するしか無くて、最初の頃は自分に貰ったり、身内がなったり、となってしまうらしい。
    私は、愚痴を言う方はすっきりして、聞いた方はいつまでも不快な気分が残ってしまうようなものだと理解している。
    そう考えると、いかに西洋医学が凄いか分かる。
    意識や無意識で病気になったり治したりするのは、ある意味とても分かりやすい。
    人の汗や体温や痛みや、そういうのに対する共感能力が物凄く鋭くて病気や悩みを言い当てる人や、
    話しているだけで自分が真実を見る勇気をくれる人や、不思議に解決方法のヒントが思い浮かぶ相性や、
    そういう人って長く生きてると誰でも多少の経験があると思う。
    でもそれが、なんとかの物質のせいで、薬を飲めばコントロールできたり、
    なんとかの電気信号のせいで、神経や脂肪や筋肉を増やしたり減らしたりするだけで回復したり、
    そういう理屈で説明できるっていうのが凄いと思う。
    どちらかだけでも足りないけど、両方無いと見誤るよね。

  2.  誰かの親族にシャーマンが居たような気がしていたんだけど、ふりの婆様だったか。でも爺様婆様の話は初めて聞いた気もするから、勘違いかも知れないけどね。
    >治す相手である自分(下位)に働きかけることは出来ない。だって同一人物だから。
     これは凄く解り易いな。治療には何かしらエネルギーのようなものの受け渡しが行われているのだと思うけど、それには別な個体であるか、少なくとも意識として別に存在していなければ出来るはずもないよね。
     もらわないようにするには訓練するしかない、という事は訓練次第では貰わなくて済むという事か。安心した。そういう方法が在るんだね。幼馴染みに神道系の宗教家が居るんだけど、そいつの親父様は元は料理人で、爺様が亡くなったので急遽跡を継いだ。そして長年信者の苦しみに耳を傾けていたせいか、糖尿病その他を併発した病に冒された。それで友人は若くして跡を継いだのだが、負の移換に関しては普通に理解してたよ。但しその対処に関しては伝えられていないようだった。友人は親父様の代わりになる事を選んだ。対処法が見つかれば良いな、と思う。
     西洋と東洋の医学が互いの足りない部分を補う事が出来れば、それに越したことはないと思う。人間の感情や思考が、実は脳幹を走る電気が司っているという事実は今となっては一般に広まっているけれど、その昔にNHKの番組で紹介されていた時は未だ仮説の段階だった。そんな風に医学が進んで行けば良いと切実に願う。
     -
     ところで、ついでに此処であっちの事を書いてしまうけど、出来れば第三者を介して旦那と話した方が良いと思う。僕は人に長い時間じっと見つめられるのが好きではないので、きっとふりに近い感情を持つと思う。でもそれは唯一のものではないし良い悪いの話でもないと思うから、今後も一緒に居るつもりなら妥協点を探すしかない。だから第三者が必要だと思う。少なくとも無闇に傷つけ合う事は避けられる。ただ、旦那がそれを拒む場合は考え物だな。許せないとまで断言し、その理屈に悦に入っている風なのが少々気になる。自分だけが正しいなんて有り得ない。
     但し、危機的な状況にないのなら無理に話し合う事もないと思うけどね。日々人は変わっていくものだから、その内に馴染んでくる事もあるかも知れない。

  3. あっちのスレでも書いたことがあるし、自分の日記にも書いたことがあるから、忘れてるだけで知ってると思うよ。
    具体的な対処方法は誰も聞いたことが無いらしい。
    父や親戚に聞いたんだけど、知らないみたい。
    その点に関しては、私も凄く知りたかったよ。性格的に防御できなくて、色々トラブルが起こりやすくて本当に困っているから。
    憑依型の知人によると、道すがらに、自分の体に取り憑いてる物を引きはがして捨てる動作を繰り返す、と言っていたけど。
    ただ、憑依型の知り合いって、みんな思い込みが激しくて断定的というか、あまり仲良くなれる感じではない苦手なタイプ。。
    例のじっと見られることについてだけど、多分解決したんじゃないかな。
    じっと見られるから嫌っていうだけじゃなくて、目の前に可愛い女の子がいるのに、旦那がいて邪魔で見えなくてすんげーむかつくとか、
    食事しててじっと見られてるから他のこと考えられなくて苛つくとか、そういう感じ。
    そしてこれを言うと旦那が泣き出す。
    私のことが好きで好きで仕方がないから、という理由なので、例えば私が犬や猫が好きだったら犬や猫に嫉妬するという範囲でのじっと見つめてたい、なんですよ。
    もうね、仕方がないんですよ。
    私が辛そうだからやめたほうがいいみたい・・・ってしょぼんとして反省してるから、まぁいいよ。そのうち同じことするんだろうけど。

  4.  伝えられてはいないのか。沖縄のユタの話なんか読んでいると、ある日突然神倒れが起きて否応なくユタに成るという事みたいだから、伝承という形で存続するものではないらしいけどね。でも文献としては残せると思うんだけど、それも無いという事は、言葉で表現する事は叶わないのかも知れない。
     憑依型のように相手があるものではなく、もっと曖昧なものなんだろうね。
     しょんぼりするようだったら大丈夫かもね。旦那は。

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