本当に毎朝が辛い。何故こんな寒さに打ち震えながら過ごさなければならないのだ。気温が摂氏二十度より下がれば寒いと感じる僕にはこの時期は絶望の季節である。しかし日本国には四季というものが在り、つまりは冬という季節は避けがたい環境であって南国にでも移住しない限りは死ぬまで付いて回るものなのだ。やれん。実にやれん。しかしながらそんな僕にも、冬に存在する好きなものは在る。慰めにそれらを羅列してみようと思う。
- クリスマスの飾り付け。
- 教会で歌われる厳かなミサ曲と祈り。
- 真夜中の拍子木の音。
- ヴィヴァルディ「四季・冬」・ユニコーン「雪が降る町」
- 年の暮れの雰囲気。
年が明け正月になってしまえばどうにも白けてしまうのだが、年末の慌ただしくも暮れの休暇に向けて逃亡を図るような解放に向けて直走るような空気が好きである。 - NHK番組「ゆく年くる年」・フジレテビ「爆笑ヒットパレード」・全国各地のお正月風景番組。
- 注連縄飾り。
- 舞い落ちる雪。降り積もった雪の上の足跡。
- ストーブの石油の焼ける匂い。
不快な匂いには違いないが、実際と記憶の両方から暖かさを感じるので好きだ。でも今はストーブは無い。 - 陽当たりの良い暖かな部屋で過ごす時間。結露した窓ガラス。
- 湯船に浸かった時の安堵感。寝床に入った時の安堵感。
- 暖かな電車やバスの中。そこで読む本。
- マフラー・セーター・ニット帽・ダッフルコート。
- マフラーを巻いた女性。
- コートの下にノースリーブでハイネックのセーターを着た女性。
なかなかお目にかかれないが、かなりクる。 - 握った手の平の暖かさ。
- 鍋料理・おでん・雑煮。
- ラーメン・うどん・蕎麦。
- 熱燗・焼酎のお湯割り・ホットウイスキー・ホットラム。
意外にも挙げ始めたら色々出てくる。もしかしたら僕は寒さだけが嫌いなのか。
January 18, 2009 at 00:58
なるほど~。
>マフラーを巻いた女性
>握った手の平の暖かさ
これは、中も外も温まりそうだ。
January 18, 2009 at 20:37
少し優等生的に過ぎますがね。暖かさの恋しい季節なんですわ。
January 20, 2009 at 02:08
間違いなく冬が好きでしょ。いまボクは夏が好きな理由をそれだけ挙げることができないですよ。
January 20, 2009 at 21:33
どうやらそのようです。が、夏に関しても少なくとも同じ量は挙げられると思います。もしかすると春や秋の方が少ないかも知れない。
January 20, 2009 at 23:34
熱帯雨林で過ごすクリスマスと正月はかなり味気ないものですぜ。やっぱり冬っていうのは情緒がありますな。クリスマスツリーもあちこちで飾られるんですけどね、こちとら半袖短パンですから。眺めていてむなしくなってきます。季節の移り変わりというのは贅沢なものだなぁと。
January 21, 2009 at 21:19
そちらのクリスマスツリーってモミの木なんですかね。wikipedia で読むとモミは屋久島にも在るらしいですから熱帯雨林気候で育たない訳ではないみたいですな。情緒というと、低い気温に因って収縮した身体や意識が感じるもののような気がしますが、夏は夏で情緒は在ると思います。早朝の涼しさとか真夜中のぬめっとした空気とか。あ、でもこれも気温が下がるのか。確かに灼熱の太陽の下では情緒を感じ難いのかも知れませんねえ。
January 22, 2009 at 00:22
モミの木を模したイミテーションですが雪を模したワタはつきません。こちらの人は雪を見たことがない人が多いので。元気な緑色のツリーです。そういえば、うちのマンションには巨大なゴムの木があります。観葉植物でよく見るでしょ?あれ。あれってイチョウの木並みに大きくなるんですよ。「銀杏並木」ならぬ「ゴムの木並木」。
情緒というのは変化から生まれるんじゃないですかね。夏に涼み、冬に暖をとる。変化を生むことが情緒を生むといいますか。季節の変わり目に梅雨に夕立。枯葉が落ち、桜が舞う。これも季節の変化による情緒ですな。
January 22, 2009 at 21:39
イミテーションかあ・・・そちらの各宗教人口比率を知らないのですが、ツリーを飾るのが宗教的理由からだけの行為なのか、それとも日本のように祭りとしての要素も多分に含むのかで、そのイミテーションに対する感情の持ち方が違ってきそうですな。巨大なゴムの並木か。落葉の季節は騒々しそうですな。というか落葉の季節があるのでしょうか。
その変化自体までもが移ろうような、例えば真夏に冬を想うような経験を重ねていかなければ情緒は生まれないのかなあ。体感の記憶みたいなものが必要な気がします。