私がもの心ついた頃に、親父が凝っていたのは、たしか釣りだったと思う。

 (中略)

 考えてみるとこの後も親父の道楽は続く。
 戦時中には日本刀、戦後は時計、ライターの収集、骨董あさり(これすべて能書きつきだったので、よく憶えている)。とは言っても、名品をあさるなどというものではなく、身分相応なものではあったけど、しかしこうやって思い出してみると我が親父は、ずい分好き勝手な人生をやってきたことがわかる。
 親父が死ぬ直前にぼそっと呟いた一言がずっと気になっている。
「アア、オモシロイコトナンテ、ナンニモナカッタ」
 あれは一体何だったんだろう。
 単に親父がもっと道楽をしとけばよかったと思った欲ばりな一言だったのか、それとも人生、中途半端な道楽なんてものでは心が満たされることはないぞ、という我が人生へのやや口惜しげな感慨、そして子供達への言いおきだったのか、或いは単に嫌味な最後っ屁だったのか。
 このどれもが有り得る親父だったから、私は未だに困惑の日々が続いている。

渡辺文雄著『江戸っ子は、やるものである。』PHP文庫 1995年 pp.157-160