「オタクの連合赤軍」とも呼ばれたオウム信者たちにとって、ハルマゲドンを契機とする英雄譚に宗教的なまでの憧れがあったことは、当時幾度も指摘された。ただしここで重要なのは、それにより富士山が帯びた彼らにとっての特別な象徴性である。大災害を表象することによって、それは逆説的に救済の表象となったのである。大聖堂の尖塔に頂く十字架のように、あるいはステンドグラスから降り注ぐ光のように。宗教建築が担ってきたその機能が、富士山に移譲されていたのである。シェルターとしての機能のみを残し、表象機能を分離させて富士山に憑依させた宗教建築の姿。それが、サティアンなのである。
森川嘉一郎著『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』幻冬舎 2003年 p.180
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