社会的ひきこもり事例の経験からいいうることとして、「学校」と「社会」との間で、適応の基準がかなり異なっているという事実があります。大学卒業までは何ら問題なく経過した人が、就労の段階でつまづくことが、いかに多いことか。また、さきにも指摘しましたが、私の経験した社会的ひきこもりの事例中、まとまった期間の就労経験のあるものは皆無でした。この事実は、学歴については中卒から一流大卒まで、実に幅があることと対比して考える時、学校と社会との価値基準のずれが、きわめて深刻なものであることを示唆しています。それは単に、学校で学んだことが社会では役に立たないとか、そのような意味だけではありません。端的にいって、この二つの社会において、対人関係のありようがかなり異なっている、ということです。
その違いとは、一言でいうなら「役割意識の違い」ということになります。「社会人」には、自らのさまざまな可能性を断念して、組織内で期待される一定の役割を引き受けることが義務づけられます。この「断念し、引き受けること」こそが、わが国の教育システムにおいてはけっして学習できない行為なのです。
斎藤環著『社会的ひきこもり〜終わらない思春期〜』PHP新書 1998年 pp.204-205
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