これまで述べてきたように、社会的ひきこもりの状態にある人は、強い葛藤を感じていることが多いのです。こうした葛藤は、さまざまな精神症状につながりやすいことも、これまでみてきたとおりです。まず、こうした症状から悪循環が生じます。対人恐怖や脅迫症状、被害念慮などは、いっそう社会参加への壁を厚くします。しかも、こうした症状のほとんどは、社会参加ないし治療によってでなければ改善しません。次第に悪化する症状を抱えながら、いっそう深くひきこもらざるをえないところに、ひきこもり事例の最初の不幸があります。

 (中略)

 こうした悪循環をとどめるのが、通常であれば家族や他人との関わりなのです。現代ではアルコール依存症などの嗜癖患者が、自分の力だけで立ち直ろうとする努力は、ほとんど無意味とされています。それは「自分の靴紐を引っ張って自分の体を持ち上げようとする」努力にたとえられます(G・ベイトソン)。嗜癖患者の治療には、家族の指導と自助グループへの参加という組み合わせが、もっとも一般的なコースになりつつあります。つまり、家族や他人との関わりです。悪循環の源が自分自身にあるのなら、他人の介入を受け入れつつ「治療」を進めることが、どうしても必要であること。この「常識」は、社会的ひきこもり事例の治療にも当てはめることができるでしょう。彼らがひきこもり状態を抜け出せないのは、まず第一に、こうした「他人からの介入」を何よりも嫌うためでもあります。逆にいえば、他人との関わりを受け入れる決意を十分にかためた事例は、ほぼ例外なく社会復帰が可能になるのです。この臨床的事実からも、この問題が個人病理の視点からだけでは到底対応しきれないことが判ります。

斎藤環著『社会的ひきこもり〜終わらない思春期〜』PHP新書 1998年 pp.102-104