「退行」は、これまで述べてきたような症状とは、ちょっと意味が異なります。これは症状というよりは、精神症状の生じてくるメカニズムの説明のための言葉です。本来は、成長した個体が、発達段階のより未熟な状態に逆戻りすることを意味していますが、ここではごく簡単に「子ども返り」の意味で用いています。

 (中略)

 ひきこもり状態は、この退行をしばしば引き起こします。個人的な仮説ですが、これはある意味で、彼らが「健康」であるために生じる現象だと思います。誰しもある限られた空間で、他人に頼らざるをえない状況下に長くおかれると、程度の差はあれ退行を起こすものです。いちばん判りやすい例は入院生活です。ある期間入院生活が続いた患者さんは、相当の社会低地位のある人でも、意外なほど幼稚だったりわがままだったりする側面をのぞかせます。これは自然な反応であって、まったく退行することができない人がいたとしたら、それはそれで問題でしょう。

 (中略)

 退行が問題なのは、これがしばしば暴力につながるためです。家庭内暴力のほとんどは、退行の産物です。これは子どもが親に振るう暴力に限りません。夫が妻に振るう暴力も、退行の産物です。その暴力が退行によるものかどうかをみわけるのは簡単です。その人が家族以外の人に対しても暴力的に振る舞うか否かをみればよいのです。家族以外には紳士的で、家庭では暴君という人は、この退行を起こしているとみてよいでしょう。また、常に暴力的な人は対抗的ではないかというと、そのような人は単に人として未成熟であるとみなすことができるでしょう。

斎藤環著『社会的ひきこもり〜終わらない思春期〜』PHP新書 1998年 pp.48-50