台湾は、中国にとって瑣末な法律問題ではない。中国人の感情を揺さぶる問題なのだ。私は、二〇〇一年に中国外交部軍控司(軍備抑制と軍縮を担当する部局)司長として武器制限交渉を担当していた沙祖康(駐ジュネーブ国連大使を経て、現在は経済社会局事務次長)に話を聞いたときのことを思い出した。話題が米中関係であり、しかも、アメリカの偵察機が中国の戦闘機と接触して海南島に強制着陸させられた直後だったにもかかわらず、驚くほど穏やかでなごやかなインタビューだった。沙司長は冗談もいえるくらい英語に堪能で、自信に満ちた人物だった。ところが、台湾が話題になると、突然語調が変わった。そばにあったコーヒー・テーブルを拳で叩いた。それは演技だったが、戦法の狙いどおり私はびっくり仰天した。すると、沙司長は声を荒らげ、こう叫んだ。「台湾を母国に復帰させるためなら、私は命を投げ出す覚悟であることを、知っておいてもらいたい!」
 中国はーー沙祖康以外の中国人もすべてーー台湾のために戦うだろうか? ここ数十年のあいだに中台の緊張がつのり、中国の侵攻の懸念が高まったときは、つねに台湾の国内政治が原因だった。一九九二年から、台湾は民主主義に移行した。その下準備をしたのは蒋介石の息子の蒋経国だったが、完全な民主化を行ったのは、蒋経国の後継者李登輝だった。一九九〇年代には台湾独立を唱える政治家が登場し、台湾人のナショナリズムに訴えて人気を集めた。李登輝は、一九九五年に初の民主的な選挙による総統に当選し、法に則った独立の明確な計画を打ち出しはしなかったが、その方向に向かうことを示唆した。李登輝は日本の植民地だったころの台湾に生まれ、日本語を流暢に話すことができて、日本の政界との結びつきも強い。いずれも中国にとっては不愉快なことだった。一九九五〜九六年、中国は本土と台湾のあいだの台湾海峡でミサイル試射を行うという威嚇行動に出た。クリントン大統領は、この脅しを重大事として、軍事解決を図らないように中国を警告するために、二個空母戦闘群を派遣した。それで双方とも引き下がった。

ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 pp.304-305