事務所建設、ゴルフ場開発、リゾート開発などのためには土地を必要とします。これらのための貸出(つまり不動産融資)は、土地需要を高めることにより、地価の上昇を招きます。実際に、東京都の商業地の地価は一九八〇年代初めから上昇しはじめ、その地価上昇が周辺部に波及しました。東京圏では、一九八七年から八八年にかけて地価が一年で二倍にもなるといった地域が出現したほどです。東京圏の地価高騰は、やがて大阪圏に飛び火し、そこでも地価が急騰します。
地価が上昇すれば、それだけおカネを借りるときの土地の担保価値が高まります。銀行やノンバンクなどは、土地を担保にとって、安心して貸出を増やそうとします。それが再び地価を引き上げ、それにともなって、さらに土地担保価値が上がり、価値の上がった土地を担保にして、いっそう貸出が増え、それがさらに地価を引き上げる、という連鎖が働き、地価は天井知らずで急騰し続けました。こうして、土地バブルが起きたのです。
以上のようにして、一九八〇年代半ばから九〇年代初めにかけて、企業は土地をどんどん購入し続けました。この土地購入のための資金は、ほとんどが銀行やノンバンクからの借入金によってまかなわれました。
この企業の旺盛な土地購入に対して、土地を売ったのは家計でした。土地を売った家計の多くは、売却代金をせっせと定期預金や定額貯金で運用するとともに、株価高騰の波に乗ろうとして、株式投資も拡大しました。
以上から、一九八〇年代半ば以降から九〇年頃までの土地バブル期に、土地を売って巨額の富を得たのは家計で、企業は高値で土地を買って、土地バブルの崩壊によって巨額のキャピタル・ロス(値下がり損)をこうむることになります。
土地バブル期には、株式バブルも発生し、株価が急騰しました。バブル期に株式を購入した最大の部門は金融機関でした。一九八六年以降、金融機関の株式購入額はそれまでよりも一ケタ上がって、一三兆円から二〇兆円に達しました。同じ期間に、非金融法人企業の株式購入も、それまでよりも一ケタ大きくなっています。しかし、株式バブルも一九九〇年代に入って崩壊し、株価は暴騰します。
以上から、株式バブルの崩壊によってもっとも痛手を受けたのは金融機関、次いでそれ以外の企業です。家計部門はこれらの部門にくらべると、あまり痛手をこうむらなかったと考えられます。
岩田規久男著『日本経済にいま何が起きているのか』東洋経済新聞社 2005年 pp.56-58
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