つまり、さきほど述べたように歴史が重層化していなくてはいけない。同じ日本人だったら狩野山雪あり金田伊功あり、日本の美術はマンガだよといった辻先生がいて、歴史が串刺しにならなければ現代美術ではないわけです。
美大生は決してそれを理解しようとしません。彼らは「自由になりたい」のです。自由=アート。第一章では貧=芸術=正義という貧神話についてお話ししましたが、今度は自由=芸術=正義という自由神話です。
この神話があるかぎり、彼らはぼくの授業を受けても、絶対に現代美術のアーティストにはなりません。その代わりに彼らのいうところの「自由人」になるのだと思います。そして「なぜ私は、アーティストじゃないんですか、こんなにすばらしい自由人なのに」と悩むわけです。
でも、さきほどからずっと口をすっぱくしていっているように、現代美術は自由人を必要としていない。必要なのは歴史の重層化であり、コンテクストの串刺しなのです。
村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 p.110
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