それが、一九世紀になって印象派の登場あたりから芸術家が芸術家のために作る芸術があってもいいのではないかというムーブメントがおきました。それから話がややこしくなってきます。
 なぜ、こういうことが起きたかというと、ひとつには肖像画の需要がなくなったということもあります。今や肖像画というのは芸術家の仕事としてはほぼありません。ウォーホールがあえて意図的にやりましたが、一般的にはほぼ絶えてない。なぜなら写真が発明されてしまったからです。

 (中略)

 このようなわけで、ARTとは何か、芸術とは何かなどという大きな疑問が生まれてくると同時に、芸術家が自分たちの職業の存在意義を考え、いろいろ理論武装して趣向を凝らす必要が生まれてきました。

 (中略)

 たぶんそういう変革が西欧では一九世紀あたりに来てしまったのでしょう。そうしたムーブメントの中からサロンというものも生まれて、哲学者やら思想家やら芸術家たちが集まって「ああでもない、こうでもない」と口角泡飛ばした議論がパリあたりで起こったわけです。それが、芸術についての話をややこしくしはじめた、そもそもの出発点です。
 つまり、芸術家が独立して芸術を作る非常に純粋性の高い、純潔の芸術が誕生してしまったわけですね。しかも、この大きい変革に世界中が熱狂してしまったわけです。
「すばらしい、そんな奇跡のようなことがあっていいものか!」
 ところが、西欧は階級社会ですから、この芸術家が芸術家のために作る芸術すら、自分たちのために次の時代の芸術を装飾として買おうという上流階級の魂胆があったわけです。
 かつての権力者、宗教的権威、お金持ちが自分たちのために芸術家に作品を作らせるという単純な時代から、芸術家が芸術家のために作った作品を、まさにそのことを理由にお金持ちが自分たちのために買うというややこしい時代に移行したわけです。そのせいで、作品としての価値と金銭的な価格が大きくずれることになりました。

村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 pp.27-29