彼は常に《食べる》ためのサイト(場所)を重視する。このときは日本であり、生産の場として彼を魅了したのは、最大のファクトリーシップの一つである捕鯨船だった。鯨を捕獲したあと、それらはすぐに解体され、長い船旅に耐えられるように加工され、保存される。捕鯨船は、通常の漁船とは違う。バーニーから捕鯨船、しかも調査捕鯨の最大の捕鯨母船「日新丸」と聞いたときには、目の前が真っ白になった。「どうやって借りる? そんなものをーーー」水産庁の担当者を訪ね、ジーンズとパーカー姿で「nisshin maru …」と呪文のように唱えるバーニーを横に置き、「この方は若いが、ミケランジェロに匹敵するアメリカの偉大な彫刻家で、船の上で彫刻を制作し、これを映画に撮ろうとされています」と、ある限りの立派な厚い彼のカタログを広げて説明した。アメリカ人ではあるがグリーンピースの関係者ではないことを証明するのも大変だった。偉大な芸術のテーマとなることで捕鯨の価値や美学の見直しに貢献することを強調して説得し、幸運にも協力を得られることになった。これは今日にいたるまで私の最大の交渉の成果となっている。ただ、それはほんの始まりの一歩だった。その後、捕鯨基地や、鯨にまつわる信仰や儀式の残っている場所、熊野や伊勢、他の場面のロケ調査を含め、北海道から鹿児島までまさに列島縦断の調査を行った。この過程で、神道や、自然と人間のアニミスティックな儀礼、茶道などの文化や思想に触れ、これを横糸に織り込んでいったのである。
 彼の心をとらえたのは、なぜヒトと同じように鯨の胎児を埋葬し、墓碑をたてるのか、なぜ、そこまで人間と対等に尊敬する対象を《食べる》ことができるのか、という点だった。日本刀の刀鍛冶の人間国宝を訪ねて奈良の山中を訪れたとき、彼が見ていたのは日本刀ではなく長刀だったし、金沢の茶の師匠の点前に彼が見ていたのは、茶碗の回転の角度だけだった。これらの独特のフォーカスは、バーニー独特の味わい方を反映しており、彼はどんな対象からも何かを貪欲に摂取していた。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 pp.50-52