晴れた休日の午後。僕は友人二人に誘われ、北青山に在る貸しスペースで飲む事になった。その場所は個室で区切られている訳ではなく、扉の無い続き部屋を、スペース単位で貸し出すシステムだ。スタッフに案内され、我々は10mほどの大きな一枚岩の低いテーブルの一角に陣取った。既に二組のグループが同じテーブルを使用して寛いでいた。この店は飲食は提供しない。飲食は客が自分で持ち込む。無論食器も無いから、それも客が持参する。店側が提供するのは空間だけである。
 この店舗は外装は勿論の事、内装も石に覆われている。前述の低いテーブルを始め、床・壁・天井に至るまで天然石だ。磨きなどの仕上は施してはあるが、着色はしていない。ただ、どちらかと言えば温かみのある色や質感の石を選んではいるようだ。窓は一つも無い。空間が縦にも横にも広いので閉塞感は少ないが、何とも不思議な気分になる。室内は天井に埋め込まれた照明に照らされ、結構明るい。美術館で使われているような質感の光だ。音楽は流れておらず、室内に反響する客の話し声や笑い声が聞こえてくるのみ。

 我々は、持ち込んだ韓国料理のデリを平らげながらビールをしこたまに飲んでいた。何を話していたのかさっぱり思い出せないが、適当な話をしながら適当な時間を過ごしていた。他の客を見ていても、だいたい同じように過ごしていたように思う。因みに此処には椅子は無いので、みな石の床に直に座るか、座布団ようなモノを持ち込んでそれに胡座をかいて座っていた。

 僕は次第にその場に飽きてきて、話し込んでいる他の二人を残して店の外に出た。

 店は公園に隣接していたので、僕は其処へ足を踏み入れた。舗道というようなモノがなく、雑木林と僅かな丘陵が在るだけの公園。人気も殆ど無い。僕にとってはその方が好都合で、気分良く散策に没頭出来た。すると、公園の端にコンクリート打ちっ放しの低い建物が現れた。人気はないが、中央に玄関らしきガラスの両扉と、左側にこれもガラスの片扉があった。玄関の奥は薄暗く廊下が続いているだけで何も無さそうだったが、左側の扉の奥には太陽光に近い色の照明に照らされた、棺くらいの大きさの石で出来た箱が何十も並んでいた。恐る恐る僕は中に入ってみた。
 四方の壁は白く、突き当たりにはオレンジ色のフィルムが貼られたガラスのパーテーションが立ち、向こう側へ廊下が続いているようだった。人の気配は無い。外からも見えた石の棺は、上面を分厚い擦りガラスでシールドしてあった。朧気に人間の顔の輪郭が見える。隅の方に僅かに結露しているのを見る限り、中に居る人間は呼吸をしているようだ。その時、表で人の気配がしたので、僕は慌てて外に出た。

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 実はこの話、僕が先々週の土曜日の朝見た夢である。夢など滅多に見ないし、細部が妙にリアルで不思議な映像だったので、今になっても未だ覚えている。暫く前に読んだ小川洋子の「六角形の小部屋」という短編を思い出した。その小説の中では、公園の中に在る今は使われていない社宅の一室に設置された、木製の六角形の小部屋に、自らが望み小部屋を探し当てた客達が僅かな賃金を払って、一人だけ小部屋に入り語って帰って行くという話だった。僕が夢の中で見た石製の棺に横たわる人々に、小部屋で語る人々と同じような印象を持った。語るのとは違い、封印された空間の中で眠り、呼吸するだけではあるが。昔、友人が屋久島に渡り、屋久杉の原生林に分け入った時の話を聞いた事がある。五人がかりでないと腕を回せない程に太い杉の幹に抱き付いていると、とても心が落ち着くのだそうだ。いつまでもそうしていたいとさえ思ったらしい。もしかしたら、石にも同じような力というか作用があるのではないだろうか。あくまで想像に過ぎないが。

 この夢には少しだけ続きがある。外へ出ると作業服を着込んだ数人の男女が、建物の前に無造作に積み上げられた様々な石を運んだり、石鑿を使って加工したりしていた。その光景をぼーっと眺めていた僕に、一人の青年がチラシを手渡した。綺麗にカラープリントされたそのチラシには「石との親和性を高める研究会」とタイトルが記してあった。