斎宮の女御(六条の御息所の娘)が、秋雨の降るころ、二条院に里下がりした。源氏は御息所の思い出を語りながら、春秋の優劣論を楽しむ。女御は秋を好むと答え、のち「秋好中宮」と呼ばれるようになった。
角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 源氏物語』角川文庫 2001年 p.179
斎宮の女御(六条の御息所の娘)が、秋雨の降るころ、二条院に里下がりした。源氏は御息所の思い出を語りながら、春秋の優劣論を楽しむ。女御は秋を好むと答え、のち「秋好中宮」と呼ばれるようになった。
角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 源氏物語』角川文庫 2001年 p.179
よろづのこと、来し方行く末思ひ続け給ふに、悲しきこといとさまざまなり
角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 源氏物語』角川文庫 2001年 p.128
というサービスを岩波書店がやってくれないかなぁ、と夢想している。開始時期は、荷風が書き始めたのが1917年(大正6年)9月16日からなので、100周年記念の2017年の同日からでどうだろう。毎朝、前日の日付の荷風の日記が配信され、そしてそれは勿論42年間続く。その間にはインターネットの状況も大きく変わっているだろうし、無謀な気もするが、それだけに面白そうだ。
このサービスを受けて一番喜ぶのは、その年に丁度荷風と同じ38歳を迎えた独身の男性だろうな。100年前に生きていた一人の極めて個人主義の男の毎日を、パラレルな感覚で読み続ける事が出来る。それはとても面白い経験だと思うんだけど、冷静に考えると、そんな物好きは提供する側にしても受け取る側にしても余り居ないのかも知れないな。
昔からこの言葉を何となく知っていて、良いなぁと思っていた。そして先日、人のとの会話の中で偶然にこの言葉と邂逅する機会があったので、この際だからちゃんと読んでみるかと、岩波文庫の木下順二訳「マクベス」を買って読んでみた。しかし最後まで読み通してもこのフレーズは出てこない。何故だろうとよくよく調べてみれば、該当する部分は冒頭にこう訳されていた。
輝く光は深い闇よ、深い闇は輝く光よ、浮んで行こう、よごれた霧の中をよ。
大まかなニュアンスとしては共通しているが、僕にとっては全然違うように読める。どちらも抽象的な対比には違いないのだけれど、そこから喚起されるイメージの領域が違う。タイトルに掲げた言葉は一体どの訳本に出てくるのか。内容はもう知ったので、それだけの為に探し求める気はさらさらないのだが。
本日 NHK ドラマ「坂の上の雲」にて正岡子規が死んだが、自分の葬儀に関して色々と注文をつけていたらしく、その葬儀の場面でモノローグとして読まれた。正確に知っておきたかったので、改めて WEB で調べてみたら以下のような文章を見つけた。
われらなくなり候とも葬式の広告など無用に候。家も町も狭き故二、三十人もつめかけ候はば柩の動きもとれまじく候。
何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上候事無用に候。
戒名といふもの用ゐ候事無用に候。かつて古人の年表など作り候時狭き紙面にいろいろ書き並べ候にあたり戒名といふもの長たらしくて書込に困り申候。戒名などはなくもがなと存候。
自然石の石碑はいやな事に候。
柩の前にて通夜すること無用に候。通夜するとも代りあひて可致候。
柩の前にて空涙は無用に候。談笑平生の如くあるべく候。
仰臥漫録:正岡子規最晩年の日記
そしてそれとは別に、正岡子規の遺言書なるページを見つけた。岩波文庫からの転載であるらしい。
余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解していた
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いひで
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で生きている事であった
正岡子規遺言書(PDF)
特に何か感銘を受けたとか、そういう事でもない。己が葬儀の華美に催される事を嫌うのはよく聞く話である。しかし文章として明文化されているのは初めて見るし、近い将来の自分に参考になるのではないかと思い、此処に記しておく。独り床に伏していると、時折こんな事を考える。
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