DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: architecture

「オタクの連合赤軍」とも呼ばれたオウム信者たちにとって、ハルマゲドンを契機とする英雄譚に宗教的なまでの憧れがあったことは、当時幾度も指摘された。ただしここで重要なのは、それにより富士山が帯びた彼らにとっての特別な象徴性である。大災害を表象することによって、それは逆説的に救済の表象となったのである。大聖堂の尖塔に頂く十字架のように、あるいはステンドグラスから降り注ぐ光のように。宗教建築が担ってきたその機能が、富士山に移譲されていたのである。シェルターとしての機能のみを残し、表象機能を分離させて富士山に憑依させた宗教建築の姿。それが、サティアンなのである。

森川嘉一郎著『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』幻冬舎 2003年 p.180

愛媛県八幡浜市立日土小学校

 ただの寄せ集め記事である。今朝観ていた NHK の「あさイチ」で紹介され、とても気に入ってしまったのでその確認用に。まずは YouTube に写真をコマ撮り風にまとめたものが在ったのでそれを。

 静止画で見たければこちらのブログを。見学会に参加した際に撮った写真でリポートしている。そして Wikipedia にも頁があった。概要は以下。

 1956年竣工の中校舎と1958年竣工の東校舎はいずれも同県大洲市出身の建築家松村正恒(1913年~1993年)が八幡浜市建築課に勤務していた時の設計による2階建て木造建築で、鉄筋コンクリート造や鉄骨造がほとんどのモダニズム建築を木構造により実現した極めて稀なもの。学校建築としても日本でクラスター型教室配置計画を採用した唯一木造による最初期のもの。
八幡浜市立日土小学校 – Wikipedia

 情報を加えるなら、上記した見学会参加の記事中にこうある。

 松村氏は1913年(大正2年)愛媛県大洲市に生まれ、東京の武蔵高等工科学校(現・東京都市大学)や土浦亀城建築設計事務所で欧米のモダニズム建築を学びました。戦後は故郷愛媛に戻り、八幡浜市職員(建築技師)として勤務した時期も。この日土小学校や病院関連施設など、多くの優れた公共建築を設計されました。八幡浜市立・日土小学校を見に行ってきました – 愛媛 南予にきさいや

 それから、東京の建築ギャラリーサイトにも写真と文章と図面で紹介されており、神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科のサイトの記事には、夕景の写真が在る。

本郷館

hobby_20070318a 未見であった本郷館が4月に取り壊されると聞いたので行ってきた。現地に着いた時には、僕と同じように取り壊しの話を聞きつけたのであろう人が数人既に写真を撮っていた。実際に目の前にするとその建物の巨大さに圧倒された。板張りの外壁がそびえ立つ様は城を思わせる。狭い路地を歩いていたら突然巨大な木造建築物が目の前に現れるというアプローチにも異様さを感じるし、その事に感動さえ覚える。まるで時空をねじ曲げられたようだ。

 上記の Wikipedia もそうだが、彼方此方で見かける本郷館の姿は正面玄関側から撮影した写真ばかりで、僕もその印象しか持っていなかった。しかしこの建物の周囲を歩き回ってみるとその様相は様々で、見ていて飽きない。たくさん写真を撮ったはずなのだが、どうやらフィルム・カメラでばかり撮っていたらしく、デジタル・カメラで撮ったのはほんの数枚だった。フィルム・カメラのレンズは50mm、デジタル・カメラのレンズは28mm。近づいて撮るには28mmでも画角が全然足りなかった。せめて21mmは要るなあ。

 余談だが、本郷館を紹介している頁では何処も本郷6丁目という事までしか記載していない。恐らく住人へ配慮であると思う。つまり無遠慮に見物に来たり写真を撮るなという事だろうな。入口には関係者以外の立ち入りを禁じる注意書きがあるし、その日の撮影者が多かったせいか、窓や玄関から外の様子を伺う住人の姿が見受けられた。まあ、迷惑には違いない。

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