DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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雲は流れて、陽は落ちる

 空が黄昏れる少し前、明るさを残したまま、沈みゆく太陽が雲を黄金色に染め始める頃合いを何と呼ぶのか判らないが、だいたいここからが夕方だと思っている。そして空は赤みを帯び、後には灰色が混じり始め、地上は黒い影に覆われていく。こういう光と闇が交代していく光景をまともに眺めていられたのは、中学生の時までだろうか。一周が300メートルのトラックの横、どうにか確保していた直線でダッシュを繰り返しながら、そういう空を見上げていた。ブラスバンド部が鳴らす下手くそな音階がいつも聴こえていた。
 そういう光景は大変美しいのだけれど、それとは別に何か焦りのようなものを感じていた事を覚えている。日が暮れて夜になってしまったらどうしたら良いのかわからない、というような途方に暮れた感覚。考えるまでもなく、家に帰って家族と晩ご飯食べて風呂に入ってテレビ眺めて寝てしまえば良いのだし、実際に家に帰ると安心する。そうすると、焦りの原因は光量によるものとしか考えられないが、よく判らない。

 大人になって勤めるようになるとその感覚は殆ど無くなった。昼間に働く大人にとって夕方とは、仕事から解放された後の楽しい時間の始まりであるので、焦りなど感じるはずもない。あるとすれば、待ち合わせの時間に遅れそうだとか、終わらない仕事の期限だとかそのくらいである。途方に暮れるのとは全然違う。
 ただし、休日に部屋に籠もっていたりした夕方に、同じ様な感覚に陥る時がある。何となく夕暮れが怖いのである。それならば音楽を鳴らすなり本を開くなりテレビを点けるなりすれば良いのだが、意識しなければそうはしないようで、気がつけばボケっと夕暮れの空を眺めていたりする。独り暮らしはこの時間がキツい。

 これはそういう時間をやり過ごす為の mix である。余り救済的なものにはならなかったけど。

A cloud flows and light go down from doggylife on 8tracks Radio.

夏の終わり in Brazil

 とかいってもう初秋なんですけどね。今年の夏は短かったなあ。例年だと9月一杯は残暑に抗いながら、汗みどろで暮らしていたように思えるのですが、今年は空気が乾燥しているので昼間でなければ涼しく過ごせてしまいます。
 この Mix は夏の間に途中まで作っていて、その後かなりの間放ったらかしにしていたのですが、この季節には合わないのではないかという予想に反して悪くはない感じに出来ました。何だか不思議ですね。夏から秋への過渡期だからでしょうかね。

The End of Summer in Brazil from doggylife on 8tracks Radio.

真夏の夜の夢 in Cuba

 梅雨明けと同時に灼熱の夏の到来である。僕は下町に住んでおり、河の近くでもあるのでまだマシな方だと思うが、それでもこの急激な季節の変化について行けないでいる。植物と老人は萎れ、焼けたアスファルトの上では猫が踊っている。現在の室温は摂氏31度。自室ではエアコンを出来るだけ使いたくないので、もっぱら扇風機にしがみついて過ごしている訳だが、これがいつまで保つのか。これより三月はこんな気候が続く。生まれた季節が夏なので割合暑いのは平気なのだけれど、加齢と共に厚さが堪えるようになった気がする。世の老人達はどのようにして夏を生き抜いているのだろう。己の行く末が心配だ。

 キューバの音楽には「涼」が在る。打楽器・弦楽器・歌・管楽器。それぞれの楽器が紡ぐグルーヴは奔流のように暴れ回り、その中に何故か「涼」を感じる。これはもうその土地が生み出した快楽とでもいうしかないだろう。

A midsummer night's dream in Cuba from doggylife on 8tracks Radio.

愛と誠

 早乙女愛である。太賀誠である。石清水宏である。しかしながら読んだ事はない。絵柄は知っているが内容は知らない。週刊少年マガジンにて連載が始まったのは1973年。小学校に上がって間もない僕が、劇画調で内容のキツそうなこの漫画を読んでいるはずもない。後年になって彼方此方でたまに取り上げられているのを見聞きして、何となく雰囲気だけは掴んでいるような感じだ。
 んで、つい先日何故かしらこの漫画のタイトルが頭に浮かび、興味がなくもないから興が乗れば読んでみようかな、などと考えながらポチポチと検索していたところ、どうも面白いらしい。しかも左記のサイトを開く際のダイアログにも出てくるが、この漫画のタイトルの由来になっている言葉がなかなか凄いので非常に気になってきた。

愛は平和ではない。愛は戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における、もっともはげしい、きびしい、みずからをすててかからねばならない戦いである――わが子よ、この事を覚えておきなさい。ネルー元インド首相の娘への手紙

 そういう事で読む事にしたのだけれど、未だ買ってない。しかも読むより先にタイトルをパクって mix を作ってしまった。

Love & Sincerity from doggylife on 8tracks Radio.

Free ENKA

 先週末に放映された「湯けむりスナイパー」の中で、谷桃子扮する芸者小雪がカラオケにて ” ここにいるよ ” を歌い、それを遠藤憲一扮する主人公が聴いて「これは、21世紀の演歌だ」と嘆き涙を流すという場面があったのだけれど、それを観て僕は何か腑に落ちるものがあった。2年前にラジオから繰り返し流れてくる上記の曲を聴きながら、こんなにも湿っぽい内容の歌詞を僕よりもずっと若い人達が楽曲としてまとめて発表し、そしてそれが世間で売れているという事実が少し不思議に思えたのだ。それは恐らく僕の若い人達に対する偏見からくるもので、若い人達はおしなべて皆ドライな感覚で生きていると思っていたようなのである。しかし実際はそうでもないらしい。

 21世紀の演歌。もしかすると演歌的なものは昔からずっと、綿綿と受け継がれているのではないだろうか。音楽のジャンルとしてではなく、演ずる側聴く側双方の感覚的なジャンルとして。そう考えていると色々と思い当たる。この曲は何だか演歌っぽいなあ、という感じで。明確な基準はなく、飽くまで漠然とした感覚で。そういう曲を集めて繋いでみた。新しい曲ばかりだと解りづらいので古い曲も織り交ぜて。

Free ENKA from doggylife on 8tracks Radio.

 Wikipedia – 演歌を読んでみると冒頭に「演歌(えんか)とは、日本の大衆音楽のジャンルのひとつであり、日本人独特の感覚や情念にもとづく娯楽的な歌曲の分類であるとされている。」と書かれてある。まあそういう分類なんだろうなあ。しかし「情念」とは強い言葉を使ったものだ。その言葉を当てはめると定義が結構明確になる気がする。その他には音階や歌唱法によって特徴付けられているようである。今回色々と聴いていて思ったのだけれど、こんなにも素晴らしい歌唱力・表現力を持つ歌い手達の受け皿が無くなるのは勿体ない。最近は少し盛り返しているようだけれど、演歌というジャンルが衰退して久しい。大瀧詠一松本隆が楽曲を提供し森進一が歌った「冬のリヴィエラ」とか、福山雅治が楽曲を提供し前川清が歌った「ひまわり」とか、杉真理が曲を書いて石川さゆりが歌った「ウィスキーが、お好きでしょ」とか、そんな感じに混交していけば良いのになあ。先日、くるりが企画して毎年催される京都音楽博覧会に石川さゆりが出演する事が発表されたが、一体どういう事になるのやら判らないけれど、何だか楽しい気分にさせてくれる話である。

 で、音楽とは関係ない話なのだけれど、石川さゆりって昔っから結構好きである。実家に帰省した際に両親が「演歌の花道」なんかを観ていると、出演の是非を確認せずにはいられない。

 ★

 そう言えば、上の「湯けむりスナイパー」のカラオケでのエピソードは原作にもあるのかと思って調べたらそうではないようで、原作では椎名林檎の曲みたいだ。どの曲かまで判らないが台詞は「これは、女の殺し屋の歌だ!」で。脚本・演出の大根仁ブログに原作のエピソードが書いてあった。

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