DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: walk (page 7 of 12)

山手線沿線を歩く(新橋〜有楽町)

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 この区間のガード下も素晴らしき造形。扇形に組まれた煉瓦に合わせて誂えた三枚の鉄扉が在るが、それが一体何の為の窓なのかはさっぱり判らない。

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 恐らく鉄扉の在る主柱部分の両脇、コンクリートで塗り固められた部分はただの空間だったのだろう。其処に後から店舗や倉庫その他に利用したものであって、建設当時は美しいアーチ型の鉄橋だったに違いない。それから長い年月をかけて増改築をくり返し現在の姿になった。

 これを書きながら気付いたが、この光景にばかり気を取られていて、その他は何も見ていなかったようだ。

山手線沿線を歩く(浜松町〜新橋)

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 浜松町の駅から離れ線路沿いの路を歩く。線路の東側には高層の建物が建ち並んでいるのだが、西側には意外なほどに古い人家が残っていたりする。

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 なかなか線路には近づけずに第一京浜を北上して歩いていると、すぐに新橋駅が見えてくる。写真はガード下を潜る通路。決して明るい場所ではないし悪臭すらしてきそうだが、こんな厳つい雰囲気がとても良い。

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 ガード下には倉庫や店舗がひしめき合い、長い年月を経て改築に改築を重ねた形跡は剥きだしである。

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 新橋駅周辺というのは本当に雑多な雰囲気である。この辺りを眺めていると笑ゥせぇるすまんのアニメーションを思い起こす。

国立科学博物館付属自然教育園

 植物に囲まれないと堪えられない(この感覚は非常に理解し難いと思うが)と思い、先々週JR目黒駅に近い国立科学博物館付属自然教育園に行って来た。

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 これまで東京に在る植物園と言えば都立夢の島熱帯植物園東京大学大学院理学系研究科付属植物園(小石川植物園)などは時折訪れていたのだが此処には初めて来た。隣の東京都庭園美術館には来た事があったのだけれど。

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 敷地は広くそして開けた場所も少ないので、敷地の端に寄らなければ森に遮られて周囲に建つビルなど全く視界に入って来ない。森の中を歩き回っていてふいに空を見上げて「あれ、此処は何処だっけ」という感覚に陥る事が頻繁に有る。森林や湿地を歩いていると色々な懐かしい匂いがしてくる。樹木の匂い・落ち葉の匂い・草の匂い・池の匂い・土の匂い。かつての僕は一体何処でこのような匂いを嗅いでいたのかまるで判然としないのだが、とにかく不可思議で安心する。そして遂には此処に住みたいとさえ思うのであった。

山手線沿線を歩く(田町〜浜松町)

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 線路沿いに道が無いので迂回する。右上の写真の建物、手前の壁は幅1mくらいしかないのだが、端の部屋は一体何に使われているのだろうか。何の建物なのか確認するのを忘れてしまった。頭上をモノレールが走る。そして狭い水路を渡り、その一角は船舶が碇を降ろしていた。

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 頭上のモノレール路線をなぞるように歩く。途中に在った公園で一休み。水を呑みながら汗が引くのを待つ。その間一体何本のモノレールが走り過ぎただろうか。その光景は物珍しくて飽きずに眺めていた。

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 東芝の敷地内に在る舗道状公開空地を歩く。水路と首都高速都心環状線の手前から階段を登り遊歩道となる。旧芝離宮恩寵公園を右に見遣りながら、そのまま浜松町駅の駅ビルへ。この区間は歩いていて楽しかった。水路とモノレールが交差する空間が妙に期待感を持たせるのだ。

荷風参り

 先日新橋界隈でLSTY氏と呑んだ際に「永井荷風は吉原は浄閑寺に葬られる事を望んでいた」という話を聞いたので少し調べてみたら、確かに荷風はそう望んでいたらしいのだが実際には荷風が父の眠る雑司ヶ谷霊園に墓は在るらしくて、浄閑寺には谷崎潤一郎ら42名が荷風を偲んで詩碑を建てたという事のようである。さっそく次の日に尋ねてみた。
 その日は秋分の日つまり彼岸の中日で、JR大塚駅から乗り換えた都電荒川線車両内は供花を手にした客で一杯だった。雑司ヶ谷駅の小ささと地味さに感心しつつ霊園に入る。これまで谷中や青山の霊園に足を踏み入れた事はあるが、何処も似たような雰囲気である。荷風の墓が霊園の何処に在るのか前もって調べておいたので直ぐに見つかるかと思いきやなかなか見つからない。先に小泉八雲や荷風の日記によく登場する成島柳北の墓を見つけてしまったので、取り敢えず墓石に手を合わせ荷風の墓を更に探す。ようやく見つけた荷風の墓は、実は調べておいた区画の隣の区画であって、三方を生け垣に囲まれ、父の隣に、父よりも大きな墓石に葬られていた。初めは花を持参しようかとも考えていたのだけれど、どう考えても荷風翁はそんな行為を嫌がる気がしてならないので僕は止めておいたのだが、供えられてから数日を経ているであろう花が飾られていた。僕は墓石の前に跪いて手を合わせ、それだけやれば気が済んだので霊園を後にする事にした。

 それから僕は浄閑寺に向かうべく三ノ輪橋行きの荒川線に乗った。ご存じのように都電荒川線は大変狭い路線敷地内をガトゴトと走っている。場所によっては手を伸ばせば両脇の民家の届きそうなところも在る。そう言えば江ノ島電鉄にも同じ様な箇所が在り、僕はそういう状況がとても好きだ。

 終点の三ノ輪橋駅を降り浄閑寺を探す。これも直ぐには辿り着かなかったのだが、途中で地図を片手に何やら探している老夫婦を見かけ、これはきっと荷風碑を尋ねてきたのに違いないと思い付いていく事にした。果たして僕はまんまと浄閑寺に辿り着き、荷風碑を探し始めた。どうにも境内には無さそうなので霊園に入ると、そこはもう墓石の展示即売会場かと思ってしまう程に墓がぎっしりと並んでいた。敷地などという概念はなくただ墓石が建ち並んでいるという感じ。こんな雰囲気の場所の一体何処に詩碑が在るのだろうと思いながら探していると、本堂の裏側、新吉原総霊塔の正面に在った。壁の御影石に彫られた偏奇館吟草の詩を読んでいると、先ほどの老夫婦がやって来た。
 僕は彼らに譲ろうと碑から離れた。最近特に思う。老人は老い先短く機会が少ないのだから、鉢合わせてしまった場合には出来るだけ譲らなければならない気がする。それから僕は境内で暫く過ごし、その内に先ほどの老夫婦が出て来たので僕は改めて荷風碑に戻った。詩碑を十分に眺め、それから僕は向い側の新吉原総霊塔に手を合わせた。この場所では一番多く花が供えられていた。壁に埋め込まれたこれまた御影石には花又花酔の川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の文字を眺めていると、二人の老女が花と水桶を手にやって来て霊塔を清め始めた。何となく、其処に居てはいけないような気がしてきて慌てて僕は立ち去った。名残惜しい気はしたがまた来れば良いのだと思って。そもそも何故名残惜しく感じるのかはよく解らないのだけれど。

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