DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: sexuality (page 7 of 9)

ハッシュ! / 橋口亮輔

 一組のゲイのカップルの間に「子供を作りたい」と言うヘテロの女が割り込んで来る話。誰かには誰かが必要だが、それが家族や恋人である必要はない。長く連れ添う事が稀なゲイ・カップル。将来を思ってみても、養子でも貰わなければ家族が増える事はない。片や女は、長らくの不摂生(不特定の男との性交)が祟り子宮に陽性の筋腫が見つかる。出産をする気がないのなら摘出してしまえば良いのでは?と医師に薦められる。
 この映画の中では、家族制は(核家族でさえ)否定されている。将来の孤独から自分を一生涯救ってくれるほどの確固としたものではないという理由で。であれば、利害(それだけではないが)の通じる相手を見つけ、一緒に生きていくのが進むべき道ではないか。
 印象に残った台詞。ゲイ・カップルが些細な喧嘩の後にベッドで強く抱き合う。片方が言う「苦しいよ。」そしてもう片方が答える「寂しいよりいいじゃん。」

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 とまあ、此処までは僕が2006年に書いた記事である。何故今更こんなものを引っ張り出してきたのかというと、橋口亮輔の今年の夏公開予定の最新作「ぐるりのこと。」が気になって仕方がないからである。
 主演のリリー・フランキーは勿論大好きだし、木村多江も好きである。だからそれだけでも観る気満々なのに、此処の橋口亮輔のインタビュー記事を読んだらもう居ても立ってもいられない気分になってきた。せっかくなので引用しておく。

 それまで、日本映画の中で真面目に扱われてこなかったゲイの登場人物たちを10年通して描いてきて、『ハッシュ!』(2001)で大きな評価をいただいたので、ひとつやり終えた感があったんです。じゃあ何を撮ろうって考えたときに、『ハッシュ!』以降の人間関係、それも“絶対に別れない夫 婦”をやろう!と思って。

 実は僕が「ハッシュ!」の後、鬱になったん ですね。「映画なんてできない、もう無理だ」って1年 くらい何もしない時期があって…。そんな時、2001年の 米テロ事件が起きたんです。実はテロと鬱ってす ごくよく似てて、くすぶっていた過去の問題が全部表面 化しちゃうという共通点があるんですね。そんな90年以降の犯罪史が、僕の鬱屈した想いとリンクして、 「どうやったら希望をもって人は生きられるんだろう?」と、祈りにも似た想いで考えていました。でも結局、希望なんて人と人 との間にしか生まれないですよね。面倒くさいし、やっか いだけど、人と人との繋がりしかないんだって。…だから 何が起きようとも“絶対に別れない”夫婦なんです。

 僕は未婚であるので夫婦の事についてはよく解らない。しかしこれまでの経験上、人と人は、出会えば何れは別れ別れになるものだと思っている。血縁関係にしたって、不仲であれば大仰な名目でもなければ顔を合わす事もない。まあ、これは僕個人に関しての事だが。ただ、前述の僕が書いた記事と、橋口亮輔のインタビュー記事との間の流れを考えれば「絶対に自分の目の前から居なくならない人がいる」事への羨望は、僕の裡にもその欲求は十分に備わっている。だから、そういう人と人との関係は一体どういう風に形作られているのか、その事に大変興味がある。公開まであと半年もあるが、きっと忘れた頃に突然思いだして慌てて劇場へ足を運ぶのだろう。

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 因みに、この映画の予告編を観ていると、リリー・フランキーという男に何というか、愛しさみたいなものを感じてくる。何処がどうとは説明出来ないのだけれど。

Tamaki Ogawa deplored, You are a liar.

 数日前から緒川たまきの事で頭が一杯である。それというのも、2005年に J-WAVE で放送されていたリリー・フランキー TR2 という番組の音源を聴いていたら、その中でトリビアの泉の中の一コーナー「ガセビアの沼」、所謂緒川たまきの「うそつき」コーナーについて話していたので、それで興味を持ったのである。もともと緒川たまきは気になっていたのだがトリビアの泉はたぶん一度くらいしか観た事がなくて、そのコーナーの事は全然知らなかった。それで何となく調べていたら Youtube の動画を見つけて、夢中になってしまった。それ以来脳裏から離れてくれないのである。
 さて、その魅力を言葉で説明するのは無理なので以下にその動画を置いておく。

 いやあ、可愛いなこの人。そりゃあこれは演技である。しかし誰かが言ったように「人の目の在るところでの人間の行動は全て演技である」という事からすれば、これは素晴らしき現実である。こういった場合の正直さなんてものは、この際書いてしまえば怠慢故の我が侭でしかない。人と人との関係はお互いに演じる事で円滑に作用する。それをしないという事は即ち相手に興味がないのである。で、僕はこういうのが出来ない傲慢な人間なのである。

 話が逸れてきたので元に戻す。僕がとても気に入っているのは「ひとしきり笑った後にキッと睨む」パターン。怒った顔がとても美しい。少し様相は違うが、こういった表情の美しさの最たるものは「愛の嵐」の中で、籠城した二人の男女、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングがジャムを取り合って争う場面。結局腕力でジャムを奪い取られたランプリングの憎しみに打ち震える表情が身の毛がよだつ程に美しい。交尾の最中にメスカマキリに喰われるオスカマキリはこんな気分なのだろうか、と訳の解らない感想を持ってしまう。

ハイヒール〜続き

 そう言えば昔、18世紀頃のフランスやイタリアの貴族に関する本を何冊か読み漁っている時に「ハイヒールは、その靴を履く女性の胸や尻を僅かに突き出させ、強調する為に創られた。」というような記述を目にした記憶がある。生きる為に働く必要も無く、ひたすらに享楽を追い求めた人々ならではの発想だが、それに気づき、考案・開発した人間は凄い。靴が女性器の象徴であるとか、ハイヒールの踵は男根の象徴であるとか、そういう回りくどい比喩ではなく、実に直接的な欲求を満たす為に駆使された知力である。
 とは言え、これは本を数冊読んだだけの知識であるので、全体的な歴史的事実がどうなのかは知らない。

 これと似たような事で「首飾りや乳首へのピアッシングは、その金属や宝石の輝きによって、男性の目を自分の乳房に惹き寄せる効果を持つ。」と書かれていたと思う。首飾りはともかく、異性のの感心を買う為には己の身体に手を加える事も厭わないらしい。というか、現代では普通に行われている事なのだが、改めてその精神構造を知ると現代人がどんな呪縛の基に日常生活を営んでいるのか知れて、幾分は楽しく、そして空恐ろしくもあるのである。

ハイヒール

 季節はとうに過ぎ去ってしまっているが、女性が素足に履くミュールはとても好きだ。個人的な好みを言えば、白い素足に黒や紺などの濃い色のミュールを履いてるのを見るのが大好きである。ところが、である。ミュールを履いた女性の足音はどうにも美しくない。踵をホールドしていないせいで、ヒールは恥も外聞もなく地面を打ち叩きパカンパカンと遠慮の無い音をたてる。これは下品である。見た目はあんなにも麗しいだけに、非常に残念な事だ。

 話は少し変わるが、僕が住んでいる部屋の表通りは人の往来が少ない。ましてや夜半を過ぎれば人通りは無いに等しい。そんな中、時折闇に紛れて靴音が聞こえてくる。駅からの帰り道になっているのであろう、靴音のする方角がいつも同じである。そして何故か、聞こえてくるのはハイヒールがアスファルトを打つ音ばかりなのだ。まあ考えてみれば、最近の男性用の靴は柔らかい靴底のものが多いので、恐らく僕がその靴音に気付いていないだけなのだろう。
 それはともかく、そのハイヒールのたてる音が美しい事と言ったら! 僅かに抑制された靴音は、音のくぐもりを突き破るかのように闇に響き渡り、残された余韻は幾層にも重なって耳にまとわりつく。誰がどう考えても実用以外の目的で創られたこの装身具。それが日常で用いられているという事実をどう捉えるのか。それを考えると空恐ろしい気分にならなくもない。

 余談だが、知識としてだけ知っていた纏足。先日テレビで一瞬だけその足を見る機会があった。それはもう、何というか本当に驚愕に値する。

眼球舐め

 これは十庵氏の要請に応えるエントリである。

 だからと言ってこの話題というのも何だけれど。今から7年ほど前に、僕は突然、しかも実施でいきなりこの行為を知る事になる。しかし全然嫌ではなく、不思議な事に何の違和感も感じなかった。真夜中にいつものようにセックスに及んだ際に「ちょっと目開けてて。」と言われ、何だろうと思いながら目を思いっきり見開いて待っていたら、彼女は僕に覆い被さり、何の説明も予告もなく舐めてきたのである。
 確かに気持ち良かった。その気持ちよさを例えるなら、蒸しタオルで目を覆う気持ちよさと、粘膜を介して行う性的な気持ちよさが混じったようなものだった。僕はどちらかと言えば物の先端に恐れを抱く方で、目薬さえまともに指せないのだが、この時はあまりそういう事を感じなかった。彼女の舌先が僕の眼球をなぞるのは、身体の他の部分で感じるのと同じように、行為を受ける者の喜びを感じる事が出来た。

 その時の事を彼女がどう思っていたのか解らないが、眼球を舐められたのはその時一度だけだった。僕からもその時しかした事はなかったと思う。ノリだとか流れだとかの曖昧な理由で、その行為に及ぶ機会がなかっただけかも知れないが。

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 相手の眼球を舐めるという行為について、僕は人の口からは殆ど聞いた事がない。一人だけ、或る女性と話している時にその話題が出た事があるが、他はない。それは僕が性的な事柄について他人と話す事が余りないからかも知れない。実際のところ、よく解らない。少なくとも一般的ではないような気はしているのだけれど。

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