DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: psychology (page 7 of 9)

A pop star was killed by a human being today in 1980

 僕が生まれたのは、丁度ジョンヨーコが同棲を始めた頃である。そしてジョンが一人の青年によって命の灯火を消されてしまった時、僕は未だ鼻糞の詰まった小学生だった。日本の片田舎に暮らし、毎日の御飯と、プロ野球やスーパーカーや8時だよ全員集合や好きな女の子のスカートの色や少年漫画、それに毎週のように入れ替わるたわいのない遊び以外には何の興味もなかった僕の耳には、一人のイギリス出身のロックスターの悲報が届く事はなかった。だから、同時代的な思い入れなどあるはずもない。
 中学生になり、ラジオやテレビから頼みもしないのに流れてくる音楽だけでなく、自ら選んで聴く音楽を求めるようになってようやく、ジョン・レノンというロックスターが既に死んでしまっている事を知る事になる。とは言え、それは情報として知っただけの話で実感としては何もない。それにただ死んだのではなく、殺されたという事を知ったのも未だ少し先の話である。

 要するに今日は John Winston Ono Lennon の27回目の命日だ。どのラジオ曲でも今日は追悼番組をやっているのだろうと思っていたが、新聞の番組表を見るとそうでもないらしい。昔はその企画だけで4時間の番組を組んでいたりした気がするが、古い話は忘れ去られていくのは仕方のない事なのだろう。僕は今日一日、部屋で The Beatles と John Lennon ばかりを聴いている。

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 さて、ジョン・レノンに対してさほどの思い入れもない僕が、何故こうやってしこしこと書いているのかというと、まあよく解らない。僕はどちらかと言えば音楽家としてのジョン・レノンよりも、人間としてのジョン・レノンの方に興味があり、それ故に命日というのはわりと気にしてしまうのだ。ロックスターとして欧米の空の上に君臨したのは、彼の正確な本望だったのかどうかは解らないが、極東の地までツアーで来たり、インドに赴きグルの教えを請うたり、現代音楽や現代美術に傾倒したり、スクリーミング療法に通ったり、自分の音楽的原点に回帰したり、女性解放運動や平和運動に参加したりと、そういう行動家としてのジョン・レノンに興味がある。
 彼は一体何に成りたかったのだろうか。先ほど聴いていた J-WAVE の追悼番組。DJ の小林克也は「博愛主義で音楽的才能に溢れたポール・マッカートニーに対し、ジョン・レノンはひねくれ者で(自分自身と)戦い続ける男だった。」というような事を語っていた。まさしく、そういうジョン・レノンの姿に共感を覚えるのである。自分が成りたい自らのサンプルとしての人間が近くに存在しなかった場合、人は当てずっぽうに彷徨い歩くしかない。彷徨い歩き、少しでも共感を覚える世界には思い切って首を突っ込み、暫くして其処に違和感を感じるようになれば去り、また彷徨い続ける。その繰り返しである。ポップスターと成り万人にその姿を晒すようになっても尚、迷い彷徨う意気地を隠さない。それこそが僕が知るジョン・レノンである。

蛮行伝 その二

 暫く前の話。恋人同士なのか夫婦なのか判らないが、見慣れない顔。上気したような表情で男が女の肩を抱く。肩を抱くとは言っても、例えば年老いた白人の夫婦が愛情と労りを持ってするような雰囲気ではない。飽くまで性的快楽を求めるような手や指の動きである。昨夜のセックスがそんなにも良かったのか。それとも玄関を出る寸前までヤっていたのだろうか。射精後の男がそういつまでもそんな状態でいられるとは思えないので、恐らく時間切れで中途で止めてきたのだろう。

 女が許せば、きっとその場でヤり始めるのではないかと考えながら眺めていたら、女は肩に乗せられた男の手を払いのけた。惚けているのは男の方だけらしい。興奮で脳味噌が溶けているのだろう、男はその後もしつこく肩を抱こうとしたり腰に手を回したりしていた。
 早朝の満員電車の中では、殆どの人々は内心イラつきながらも吊革に捕まっている。そんな中で欲望に顔を歪ませている人間が人目を憚らずに行為に及んでいれば、そりゃあもう不適切を遙かに超えて不快である。このまま男が諦めずに行為を続けた場合、女がキレるのが先か、それとも他の乗客がキレるのが先か一体どっちだろうな、などと考えている内に電車は僕が降りるべき駅に到着した。

 因みに僕は、人目の在る場所で性的な行為をするのが嫌いである。手を握ったり腕を組んだりするのが限界だ。僕の方からはそれ以上は絶対にしないし、もし相手がそういう事をし始めたら怒りすら覚える。それとは逆に、二人きりの空間でなら何をしようが大抵の事は平気なのだが。

業火

 社会人となって十数年、職場で色々な人と接してきた。時々思うのは、同じ共同体内で上司や先輩の悪い部分を、それはもう見事に後輩が受け継いでいるのは何故だろうという事。自分が同じ事をされて嫌だったろうに、何故かしらそっくりそのままの事を目下の人間に対して遂行しているのである。不思議だ。その昔に何処かで読んだ軍隊を例に出した加虐のメカニズムを思い出す。

 僕自身はそんな事をしているつもりはさらさらないのだが、気付いていないだけで実は同じような事をしているのかも知れない。そしてこれは何も仕事上の共同体だけの話ではなく、勿論家族という共同体の中でも見受けられると思う。現代の東京などでは有り得ない父権の強い家庭であるとか、男尊女卑の影が色濃く残っている家庭だとか、そんな家庭に育った人間は現代社会に於いてもその名残りを引きずっている。かく言う僕は明らかにそういう価値観の元に育っている。
 思春期を迎えた頃から僕はそういう価値観が嫌いであったので、出来るだけそれに逆らうような形で生活してきた。でも実際のところ、他人の目に僕がどう映っているのかは判らない。たまに自分の行動した事を後から思い返せば、父のかつての行動が思い起こされたりするので、何かしらを引き継いでいるとは思う。業を引き継ぐ、もしくは継承するというのはこういう事だろうか。

 少し話は逸れたが、こんな事を考えていると、人の世というものは日々ロクでもない方向に進んでいるような気がしてならないのだけれど、想像するよりも多少はまともな社会生活が営まれているように見えるという事は、業の継承とは別な流れが引き継がれているのだろうか。

幸福という創造物

 つい先ほど、イトーヨーカドーで慎ましい夕食を買い求めて部屋へ戻るべく踏切を渡ろうとしていた時、擦れ違った男子中学生が携帯電話で誰か向かってこう話しているのが聞こえた。「ご飯ある?」相手は母親であろうか、学習塾の帰りなのかよく判らないけれども、これから帰る家に何かしら期待が持てるというのは幸せな事だなあ、と思う。
 そう言えば、ずっと以前に青山のワタリウム美術館で売られているポストカードを眺めている時に見つけた一葉の写真を思い出す。何処か外国のビーチで撮った写真で、高い位置から幼い男の子が父親の胸へ向かってダイヴする瞬間を写していた。男の子は父親が自分を受け止めてくれる事を一瞬たりとも疑う事なく満面の笑顔で飛び降りている。父親は少しだけ困ったような表情を浮かべながらも、逞しい上半身を輝かせながらしっかりと腰を据えて息子を受け止めようとしている。僕はカードを棚に戻す事も忘れてずっと眺めていた。

 このような写真を撮りたいなあ、などと時折思う。しかし実際にはこれとは凡そ反対の要素を持つ写真ばかりを撮ってしまう。それはそれで仕方ないと思ってはいるのだけれども、いつの日にかそんな写真を撮る事が出来たならば、己の死が間近に迫る日々を、その写真を眺めながら過ごしたいと思う。自分はそんな幸福な世界を生きて来たのだと、自分を欺いてでも、そう思いながら死にたい。

境涯

 久しぶりに古い友人と電話で長話をしていると意外な話が出てきた。一月ほど前に宗教家である友人の元に、かつての共通の友人が相談に訪ねて来たとの事であった。僕は別な高校に通う事になったので、中学を卒業した後のその友人の事を僕は全く知らなかった。伝え聞くところに拠れば、高校ではさほど問題のない生活を送っていたのだが、社会に出る少し前から精神のバランスを崩し始め、そしてそのまま働いては辞め働いては辞め、を繰り返して来たとの事だった。
 それで彼はどうにもならなくなり、手当たり次第に周囲に助けを求めるも何の救いも得られず、回り廻って友人の所へ頼ってきたのだった。宗教家の友人は話を聞きながら、訪ねて来た友人の変わりように衝撃を受けたようだ。僕が覚えているのは、いつもニコニコと白い歯を見せて笑っていた彼である。あれからもう20年以上経つ。そんなにも長い間、バランスを欠いた己の精神を抱えて生きてきたのだ。少し想像しただけでも目眩がする。

 そう言えば中学の頃、その宗教家の友人の兄がこう言ったそうだ。「おまえらの学年は他の学年に比べて何処か違う。」何を持ってそう言ったのかは不明だが、そうかも知れないとは思った。とにかく面白い奴が多かったのだ。それだけに楽しい学校生活を送る事が出来たので、僕は密かに自慢に思っていた。しかし後年になって、ちらほらと耳に入ってくる同級生達は何だか大変な事になっている奴が多い。社会が大きく変動した訳でもないので、たかだか一二年の差に何かが在るとは思えない。なので僕の年代だけがそうである訳ではなく、どの世代でも同じように皆大変な事になったりするのだろう。

 かつて、僕だけがおかしいのではないかと未だ悩んでいた頃。或る時期、或るきっかけで、誰もがそれぞれ少しずつおかしいという事に気付いた。そしてそのせいで誰もが日々酷い目に遭っている。その事実に対して僕は生まれて初めて絶望した。己が生まれ出たこの世界に言いようのない嫌悪感と無力感を味わったのだ。しかしそのままでは死ぬしかないので、僕は無理矢理にでもそれを認めるしかなかった。飲んで喰らって消化するしかなかったのだ。
 それから長い年月を経て、今では随分と慣れた。世界の成り立ちとしてその事実を認める事が出来る。しかし、それでも、かつての時間や空間を共有した懐かしい人達には、幸せでいて欲しいのである。

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