DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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町田町蔵

art_20070728a 布袋寅泰、町田康の顔面を殴るの巻。一昨日から楽しませて貰っている。Yahoo トピックでこの記事を見つけてしまったものだから、これは祭りに違いないと2ちゃんねるの「芸能ニュース速報+」で該当スレッドを見つけて早速読み始めてしまった。だいたい発言は同じ様な事が繰り返されるのだが、たまに80年代のその界隈の裏話とか出てくるので、それ目当てで読んでいたのだ。しかしさすがに3スレッド目で飽きた。
 スレッド内では「何故、布袋は町田を殴るに至ったのか?」という話題と「殴られたからって被害届を出すのは元パンクス小説家としてどうか?」に二分されているが、僕個人としては前者はどうでもよい。後者に関しては少々気になるところなのだが、スレッド内でその命題に対する、すこぶるナイスなレスポンスを見つけた。

町田はパンクだから被害届け出したんだよ
ただのロックだったら出さなかっただろうな

 解りにくいとは思うが、パンクとは個人の気に入らない者(事)に対するアンチテーゼ、言ってみりゃただの悪意であるのだもの。社会的な正当性や倫理観などとは無縁の行為なのだ。自分が受けた圧力に対して、ねじくれた悪意で返すのがパンクの姿勢である。場合に拠ってはそれが喜びともなる。まあこれは僕の勝手な解釈だ。

 いつものように Wikipedia で検索すると「パンク・ロック」に関してはこんな大層な事が書かれている。特に思想的特徴の辺り。そしてそれが日本に伝わってくると、様相が違ってくるようで、思想として確立するまでには至っていない。しかしながら、中には真面目に考え、その定義を求めようとする人も居たりする訳である。

 時々思うのは、文化的な奔流の発端は思想なんかじゃないと思うのだ。思想とはあくまで、後々になってから、或る現象を解りやすく括る為の方便だと思っている。そりゃまあ、社会の大きな流れとなるには共感を覚え、賛同する人々の感情を汲み取るような何かしら原義が在るとは思うのだけれど、個人レベルの話と、共同体レベルの話であれば、その中心となるものが全然別個のものだと思うのである。

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 話がやたらと大きくなってきたので元に戻す。

 高校3年の頃、Uちゃんというパンクスの友人が居た。3年になるまでお互いにその存在を知らなかったのだが、デッサンを習っていた教室で一緒になり仲良くなったのだ。それから僕は、彼の影響で時々アマチュア・バンドが出演するギクに顔を出すようになった。僕がパンクと実際に触れ合っていたのはその頃だけだ。彼方此方で色々なものを見聞きしながらも、相変わらずそれに踏み込む事も出来ず、傍観するような態度で眺めていた。
 その頃のUちゃんとの会話の中で、こんなエピソードを聞いた。或る時Uちゃんは自宅でとあるバンド(聞いたはずだけど忘れた)のテープを聴いていたところ、彼の妹がそこに現れ、やたらと横柄な態度で「それ、ダビングしてよ。」と言い放たれたらしい。その態度にムカついた彼は言われた通りにダビングするフリをして、実はボリュームを0に下げて録音して渡したとか。Uちゃんはそんな事を話しながらウッシッシッシと笑っていた。妹の傲慢さに悪意で報復する兄。僕はその時、内心は「なんて性格の悪い奴なんだ。」と思っていたのだが、今現在となってもそのエピソードを楽しく思い出す。

 僕がパンクに関して知り得たのはUちゃんから教えられた事ばかりだ。つまりは彼のフィルターを通しての事なので、どう考えても一般的な認識であるはずはないのだけれど、その出で立ちや行動を介して、他人から指さされる事で己の存在を確認するという、そういう精神性を持った人間をパンクスと呼ぶものだと僕は思っている。だからこそ、上に引用した2ちゃんねるでのレスポンスにひどく共感を覚えたのである。

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 町田町蔵。数々の逸話を残すパンクスのアイドルであった。「つるつるの壺」の文庫本に掲載された中島らもの解説や、「へらへらぼっちゃん」の文庫本に掲載された大槻ケンヂの解説や、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(当時は有頂天のケラ)のブログ「日々是嫌日」の記事を読めば、その一端は知れると思う。とか偉そうに書いているが、僕だってそれ以外には知らない。
 それと、大槻ケンヂの解説の中にも出てきた、日比谷野音でのライヴ「天国注射の昼」の映像の一部が Youtube にアップされていた。ケラが書いた記事にあるように見事に前歯が折られている。気持ち悪い癖に凄まじく格好良い。

蛮行伝 その二

 暫く前の話。恋人同士なのか夫婦なのか判らないが、見慣れない顔。上気したような表情で男が女の肩を抱く。肩を抱くとは言っても、例えば年老いた白人の夫婦が愛情と労りを持ってするような雰囲気ではない。飽くまで性的快楽を求めるような手や指の動きである。昨夜のセックスがそんなにも良かったのか。それとも玄関を出る寸前までヤっていたのだろうか。射精後の男がそういつまでもそんな状態でいられるとは思えないので、恐らく時間切れで中途で止めてきたのだろう。

 女が許せば、きっとその場でヤり始めるのではないかと考えながら眺めていたら、女は肩に乗せられた男の手を払いのけた。惚けているのは男の方だけらしい。興奮で脳味噌が溶けているのだろう、男はその後もしつこく肩を抱こうとしたり腰に手を回したりしていた。
 早朝の満員電車の中では、殆どの人々は内心イラつきながらも吊革に捕まっている。そんな中で欲望に顔を歪ませている人間が人目を憚らずに行為に及んでいれば、そりゃあもう不適切を遙かに超えて不快である。このまま男が諦めずに行為を続けた場合、女がキレるのが先か、それとも他の乗客がキレるのが先か一体どっちだろうな、などと考えている内に電車は僕が降りるべき駅に到着した。

 因みに僕は、人目の在る場所で性的な行為をするのが嫌いである。手を握ったり腕を組んだりするのが限界だ。僕の方からはそれ以上は絶対にしないし、もし相手がそういう事をし始めたら怒りすら覚える。それとは逆に、二人きりの空間でなら何をしようが大抵の事は平気なのだが。

業火

 社会人となって十数年、職場で色々な人と接してきた。時々思うのは、同じ共同体内で上司や先輩の悪い部分を、それはもう見事に後輩が受け継いでいるのは何故だろうという事。自分が同じ事をされて嫌だったろうに、何故かしらそっくりそのままの事を目下の人間に対して遂行しているのである。不思議だ。その昔に何処かで読んだ軍隊を例に出した加虐のメカニズムを思い出す。

 僕自身はそんな事をしているつもりはさらさらないのだが、気付いていないだけで実は同じような事をしているのかも知れない。そしてこれは何も仕事上の共同体だけの話ではなく、勿論家族という共同体の中でも見受けられると思う。現代の東京などでは有り得ない父権の強い家庭であるとか、男尊女卑の影が色濃く残っている家庭だとか、そんな家庭に育った人間は現代社会に於いてもその名残りを引きずっている。かく言う僕は明らかにそういう価値観の元に育っている。
 思春期を迎えた頃から僕はそういう価値観が嫌いであったので、出来るだけそれに逆らうような形で生活してきた。でも実際のところ、他人の目に僕がどう映っているのかは判らない。たまに自分の行動した事を後から思い返せば、父のかつての行動が思い起こされたりするので、何かしらを引き継いでいるとは思う。業を引き継ぐ、もしくは継承するというのはこういう事だろうか。

 少し話は逸れたが、こんな事を考えていると、人の世というものは日々ロクでもない方向に進んでいるような気がしてならないのだけれど、想像するよりも多少はまともな社会生活が営まれているように見えるという事は、業の継承とは別な流れが引き継がれているのだろうか。

根性彫り

 昨日の夜はひどく疲れていたので、さっさと寝てしまおうと23時頃にはタオルケットを被っていたのだけれど、何故かしらふいに根性彫りの事を思い出してしまい、それからあれやこれやと思い出していたら眠れなくなってしまった。

 田舎の中学生だった僕の周りには、所謂「ヤンな人達」が結構居て(というか元々保育園からの同級生なのだけれど)、彼等の間で「根性彫り」が流行っていたのだ。僕自身はその頃から非常に中途半端な精神性を持った子供で、真面目に勉強する事もなければ「ヤンな人」にもなれなかった。しかしその周辺には居たので自然感化される事になった訳である。つまり、僕も根性彫りをやった事があるような気がする。恐らく。というのも記憶が曖昧だからである。昨夜の回想の中では僕の左手首に刻まれた文字のような疵まで思い出せたので、恐らく間違いはないと思うのだけれど、僕は自分の記憶に夢が混ざっているフシがあるような人間なので確信が持てないのだ。

 さて、根性彫りとは一般的に「好きな人の名前を自分の身体に刻む。」という、言ってみれば「どれだけ相手に惚れ込んでいるか?」という事を目に見える形で証明する行為であるようなのだが、僕の周辺で行われていたのはそれとはかなり違い「好きな人の名前を自分の身体に彫って、それを誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら、その恋は成就する。」という、何というか・・・やってる事は大差ないのに、その意味合いが一般的な根性彫りに比べると一途で一本槍な感じがあっさりと崩れ去り、幼稚な部分だけが残ってしまったという非情に恥ずかしい行為であった。さすが中学生、おしなべて馬鹿である。
 そして根性彫りというのは、どちらかと言えば女の子がやる行為(海外では好きな女の名前を入れ墨にする男は結構居るようではあるが)であるようで、僕の周辺で流行っていた行為も、その意味合いからしてどう考えても女の子用に考案された遊びに思える。では何故僕がそんな事をしたのか。その時の事情を全く覚えていないので想像するしかないのだけれど、たぶん「乗せられた」のだろう。僕は昔っから誰かを好きになると、その行動全てにそれが現れるらしくて、長くは経たない内に周囲の人全てが知るところとなる。そんなあからさまな行動をとる僕はよく女の子達にからかわれていたのである。

 そんな風にして僕は好きな女の子の名前を自分の左手首に彫る事になったのだが、その後の処理がこれまた甘酸っぱい。上に書いたように「誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら」という条件が在るので、何かしらで彫った名前を隠蔽する事になる。どうやって隠すか。それは絆創膏がその役目を果たしていた。しかも目立たない事を前提にデザインされた肌色の物ではなく、そこはさすがに女子中学生、キャラクター物の絆創膏なのである。他の人の事は覚えていないが、僕が貼っていたのはスヌーピーがプリントされた水色の絆創膏であった。勿論自分でそんな物を買う訳もなく、友達の女の子に予め貰って貼っていたのである。
 スヌーピーの絆創膏って・・・。もう言葉もない。恐らく女の子から何かしら貰う、という事が嬉しくて仕方がなかったのだろう。今思えば中学2年くらいまでは、毎日そんな事ばかり思って過ごしていた気がする。

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 さて、此処までは前フリである。昨夜思い出していた中でどうしても気になった事があって、それがこの話のメインなのだが、それは何かというと、僕が左手首に彫った名前の持ち主が一体誰なのか全く思い出せない事である。実はそれが思い出せないが為に眠れなくなったのだ。その当時、中学生の頃の前半くらい、該当する女の子は二人居るがそのどちらなのかが判らない。
 根性彫りと言うのならば、一生残る疵を自らに与えるのだろうけれど、根性も思想も何もなかった僕は、安全ピンを使ってナノ単位で薄く自分の皮膚を削っていたので、間もなく彫った名前は消えてしまった。そんな事を考えていると、もしかしたら僕の根性彫りは夢の中での出来事ではなかったのだろうかと思ってしまう。あり得るだけに確信が持てない。

 本気で根性彫りをする人を何となく羨ましく思う。昨夜は、酒の酔いに任せて久しぶりに彫ってみようかとも考えたが、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。今僕は、それを馬鹿馬鹿しく思わない精神性を眩しく感じるのだ。何故だろうか。たぶん、退屈なのだ。

人生なんて所詮死ぬまでの暇潰し

 随分前に、こんな台詞を友人だか知人だか誰だかにほざいた記憶がある。どう考えても誰かの受け売りなのだが、それが誰の言葉だったのかが思い出せない。しかしそんな事は日常に流され一瞬のうちに忘れ去ってしまい、ごく稀に思い出してはやはり思い出せないのでまた忘れてしまう。そういう風にして年月は経って行くのだけれど、ここの所、彼方此方で読み漁っている中にこの台詞が度々登場するので久しぶりに思い出した。

 まずは実相寺昭雄。吉原特集の「東京人」で氏の追悼記事が載っていて、その中にはこうあった。

 「生きてるなんてことは、所詮死ぬまでのヒマつぶし」が、実相寺さんの生活信条であった。

 当時の僕が実相寺昭雄に興味を抱いていたとは思えないのだけどなあ、と思っていると、また別な記述に突き当たった。Wikipedia で「みうらじゅん」について読んでいたいたらこんな記述があった。

 グレート余生:「人生とは死ぬまでの暇つぶし」はみうらじゅんの言葉である。人は生れ落ちた時、余生が始まると説いており、その余生を有意義にするのがマイブームである。

 数々の造語を世に広めた人ではあるが、1937年生まれの実相寺昭雄が生活信条にしていた言葉を、1958年生まれのみうらじゅんが造るかなあ、と僕はかなり疑っている。ついでに書くとリリー・フランキーの書いた短編の中にも出てくるのだが、これはみうらじゅん繋がりで出てきた言葉ではないだろうか。
 タイトルの言葉で検索すれば幾らかは出てくる。わりかし使われる言葉であるようだ。これだけ出てくるのならば、ずっと昔から伝わっている言葉ではあるような気がする。その元となるような記述を見つける事は出来なかったが、誰しもとは言わないけれど、結構人の口をついて出る言葉なのではないだろうか。

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 それはさておき、上記の実相寺昭雄の追悼記事の中で、寺田農の書いた記事にこうあった。

 そしてそのことが、若い頃から好んで口にしていた「生きてるなんて事は、所詮死ぬまでのヒマつぶし」につながっていくのだろうし〜中略〜ましてやそれを口にする時には、自虐めいた嘯きでもなかったしかといって虚無的な思索にみちたものでもなく、ジッソー独特の、あのイッヒッヒという笑いのなかでの言葉だった。

 確かに僕がその言葉を口にした時も多分に自虐めいていたし、検索でヒットした記事にしても大体はそんなニュアンスを含んでいるものばかりだた。そんなものはやはり人生に対する愚痴でしかない。その言葉を己の生活信条とした実相寺昭雄の軽やかさには到底及ばない。例えるならば、真っ白な画用紙に、十二分に水を含んだ絵筆から色彩を落としていくように、そして落とした色が画用紙に滲んで色彩を広げていくのを楽しむように生きる事。それを目指す事こそ、この言葉の本意なのではないだろうか。

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