DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: art (page 7 of 18)

 過去にもう一人、アートマーケットの基盤を形作ったキーマン的存在として、あのパブロ・ピカソが挙げられます。ピカソといえばキュビスムの創始者であり、二〇世紀の美術を代表する偉大な芸術家です。しかし、彼が美術の流通に資本原理を取り入れた先駆的存在であり、アートマーケットの立役者の一人であることはあまり知られていません。
 ピカソは自らの作品の流通の状況をつぶさに把握し、上手にコントロールしていたと言われています。作品が多く出回っているときには新作の発表を控え、少なくなってきたと思えばギャラリーに作品を卸すようにしていました。いわば、受給の調整を通じた価格や人気の維持、作品のブランディングを自ら行っていたのです。
 また、アーティストとギャラリーが正式に契約関係を結んだのも、ピカソが初めてだったと言われています。それまでは、創りたいときに創りたいものを制作していたインディペンデントなアーティストは、ときにギャラリーに作品を買い叩かれることもあるような弱い立場におかれていました。しかしピカソは、ドイツ人画商カーンワイラーとタッグを組み、戦略的な作品制作・発表・流通の一連のプロセスを築き上げました。ピカソは天才的なアーティストであると同時に、一流のマーケッターでもあったのです。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.80-81

 文学のような文字メディアが現実認識に対する主要な媒体であった時代には、例えば主人公の人格形成の遍歴を扱う小説のような形式が、読者に人生の予行練習としての経験の先取りを与えていたのでしょう。しかし、ビジュアル・イメージが支配的なメディアの形式となると、現実認識に対するバイアスは、概念からイメージへと変化します。
 近代以降の知的枠組みでは、概念・表現と事物・対象との対応や一致が、諸学問および芸術の判断基準となってきました。現実の再現というリアリズムの束縛から一歩踏み出たかに見える印象派のような絵画が、知覚的経験の再現という解説を付される背景には、このような判断基準の働きがあります。
 それは、科学的知識が信頼に足るのは経験的検証を経ているからであるということと、基本的には同一の考え方と言ってもいいでしょう。それは、概念・表現と事物・対象との対応が経験による審判によって正当化されるという枠組みです。
 しかし、概念と事物ではなく、イメージと事物が現実認識を生成する主要なモードであるとすれば、それらは相対的な二項としてあるため、現実についての真偽や善悪に関する命題も相対的なものにならざるを得ません。イメージと事物の対応が経験的知覚によって検証されると言うこともできなければ、どちらか一方を他方に基礎づけることもできないでしょう。そうすると、対象や事物と呼ぶべきものの位置づけも曖昧になります。
 対応および一致の検証という論理的作業のきっかけを失ったとき、経験的知覚そのもののなかには、イメージと事物を分け隔てる物質的要素の有無を知る手がかりもなければ、それを知る必要も感じないからです。
 私たちが直面している生の条件とは、このようなイメージの専制とでも呼ぶべき、現実性=虚構性の等式が成り立つ一元的な世界なのです。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.57-58

 九〇年代アートは、こうしていわゆる現実志向の作品が主流をなすようになりました。理念や価値を提示する理想主義やエッセンシャリズムに代わり、眼前の現実の有り様に注意や関心を向けるスタンスが、広範に浸透していったように思います。
 こうした変化の背景には、冷戦構造の崩壊が関与しています。東西の体制が競い合ってきた「豊かさ」や「解放」といった大きな物語が権威を失墜させたことで、断片化した現実に関心が向くようになったのです。アーティストがとりあげる現実の対象は、コンフリクトに満ちた社会問題(ポストユートピア)であったり、私的で身近な世界(インプライベート)であったりしました。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 p.26

 この本の最初で現代アートについて私は「人々がお互いの違いを認識し、共存していくためのヒントまたはツール」であり、そこにはアーティストが、自らの生まれ、育った国または地域の文化や歴史、宗教、政治、風俗等と、他者あるいは世界との関係性が様々な形で表されていると申し上げました。
 さらに、同時代性、社会性を備えてもいない、あるいは関係性が希薄な作品は、ただ単に現在制作されただけの「現在アート」であるとも。

宮津大輔著『現代アートを買おう!』集英社新書 2010年 p.191

 私は必ずパーティー用にコムデギャルソン・オム・プリュスのジャケットと、日本の若手デザイナーによるシャツやズボン(予算の関係でユニクロの場合もあります)、そして黒のパテントやゴールドの派手なスニーカーをスーツケースに入れていきます。海外のパーティーで、東洋人の私が大胆なデザインのジャケットを着ていると、向こうから「素敵なジャケットね。それはコムデギャルソン?」と必ず数人は話しかけてくれます。
 最近は余裕があれば亡き父形見の和服を着ることもありますが、外国人から見たインパクトの強さと、固有の文化に対する憧れや尊敬といった意味では、コムデギャルソン・オム・プリュスの服は、和服と同様の効果を持っているといえます。サラリーマンの給与からすれば決して安い買い物ではありませんが、アート作品のようにオリジナリティに溢れ美しく、海外のパーティーで話のきっかけになることを考えれば、決して高くないと思っています。
 また肌寒い季節なら、マフラーの代わりに絞りの子供用帯揚げを首に巻いていきます。褒めてくれたギャラリー・オーナーや仲良くしたいアーティストには、帰国後鳩居堂や榛原で手に入れた千代紙の文箱に入れて、サンクス・レターと共に贈っています。
 ちょっとした心遣いや、自国の文化をさりげなく身に着けることは、知り合いがいない異国でのパーティーを楽しむコツです。是非試してみて下さい。

宮津大輔著『現代アートを買おう!』集英社新書 2010年 pp.82-83

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