DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: japanese (page 5 of 7)

さくらん / 蜷川 実花

 何だか勿体ない。蜷川実花と土屋アンナと椎名林檎を持ってきたのは良いと思うのだが、話の流れが淡々とし過ぎている、というより急ぎ足で原作をなぞっているだけという感じがして、物語を楽しめない。役者を揃えて、それを蜷川に撮らせたかっただけという印象ばかりが残る。美術や画自体は結構気に入ったのだけれど。
 そしてラストが本当にしょーもない。最後に光を求めるのならば、例えばもっと絶望的な世界観を持った女性の監督を据えた方が良かったのではないだろうか。全体が平坦過ぎて、希望を光として見つめる事が出来ないのである。

吉原と島原 / 小野 武雄

 先日再読してみた。この手の本は一度読んだだけでは極一部を覚えているだけでその他は全然頭に入っておらず、暫くしてか、若しくは数年後に再読すればその度に色々と気付く事があるものである。そりゃそうである。著者が膨大な時間とエネルギーを注いだ本を初見で覚えられるはずもない。第一僕は記憶力が薄い。すぐに色んな事を忘れてしまう質なのだ。そして今回、面白く読んだ部分は多々在ったのだけれど、その中で最近の僕の思考の流れに沿う部分を一部抜粋して話をしようと想う。

 客と遊女が本当に惚れ合い、離れ難い気持ちになると、とりわけ富豪の息子が夢中になって熱をあげると、遊女は彼を手放したくないと切望して、誓いの言葉を述べるだけでなく、最も権威あるものといわれる熊野神社の午王宝印の起請文にならって、夫婦になる起請文を書いて、神仏に誓う。

 落語「三枚起請」(僕自身はその話は知っているのだけれども、まともに落語としては未だ聴いていない)でも知られる誓いだてですな。武将の盟約にもよく使用されたらしく、誓いとしては厳格なものであったようである。(余談:実は三枚起請の下げの意味がよく解っていなかったのだが、此処にその解説がされていた。僕はまだまだ勉強が足りない。)とまあ、そういう事らしいのだが、しかしながらこれが今回の主たる話ではない。流れを作る前文として書いたまでだ。引用元の本には上記に続いてこう在る。

 さらにそれだけで不足ならば、遊女は真実の意を示す証拠として、小指を切断して男へ送る。

 漫画「さくらん」にも出てきた話だ。切断した小指を送りつけられるなんて、日常的な精神状態であれば脅迫という観念さえ越えて恐怖以外には思えない行為であるが、ロミオとジュリエットの類とは全然違った嗜好性に酔って、盛り上がりに盛り上がった当事者にとっては当然な流れなのかも知れない。更にこう在る。

 また、客とともに互いに腕に、○○(遊女の名)の命、××(客の名)の命と入墨をして、見せ合う。

 これを読んで「お。根性彫りてえのはその頃から継承する習慣だったのか!」と思ったりしたのだけれど、よくよく眺めていると少し感じが違う。「名前」と「命」の文字の間に「の」が入るらしいのだ。僕の認識で言うならば「千明命」だとか「静香命」という風に刻まれるはずである。その意味合いとしては「おいらは千明を命を懸けて愛するんだぜ!」または「おいらは静香を命を懸けて愛しているんだぜ!」とか、どちらかと言えば一方的な想いを告白している感じである。
 しかし江戸吉原で流行った入れ墨は「の」一文字が入っているだけで、その意味合いは「おいらは夕霧の命と謳われるほどの男なんだぜ!」となってしまう。相思相愛。お互いが最上の情夫(婦)である事を前提とした宣言文である。何だかえらい事になっているのである。これに比べたら「の」が入らない入れ墨なんぞ稚拙な自演に過ぎない。しかし傍から笑って見ていられるのもこちらである。相思相愛の上での入れ墨なんて笑えない。そういうのは他人に見せてはいけないものだ。上記の引用文から察するに、お互いが確認する為だけに行われた風習であるようだ。深く絡み合った情愛は二人以外の世界を排除してしまうのだろう。

蚊取り線香

 我が家では未だに夏が来ると蚊取り線香を焚く。勿論あの鬱陶しい藪っ蚊吸血鬼の飛来を妨げる為なのであるが、その本来の機能以外にも、僕の場合はあの蚊取り線香の香りを嗅ぐと何だか気分が落ち着くので、今日は雨が降っているし気温が低いから必要ないかなあと思っていても焚く。香りを楽しむ為の物ではないので、人に快をもたらす匂いではないとは思うのだけれど、何だか良いのである。だから恐らく、夏の間の僕は蚊取り線香臭いと思う。

 因みに僕は、実家で使用していたという事もあって、昔っから大日本除虫菊株式会社の「金鳥」ブランドを使っている。これがアース製薬の物だと、何処かしらしっくりこないし、マット状の電気式の物なんて「こんな甘い匂いで蚊が撃退出来るのだろうか。」とその機能さえも疑ってしまうくらいである。
 どうも僕は味とか匂いというものに対しては非情に保守的で、原体験で受け容れたもの以外はなかなか受容出来ないようである。あいや、よくよく考えたら僕は色んな局面に対して保守的な気がする。未知の可能性を夢見るよりも、慣れ親しんだものを慈しむ方が性に合っているようだ。

 少し話はずれるが、蚊取り線香に限らず、窓を開け放たれた部屋に香の匂いが漂っているという状況が、僕は好きであるようだ。

盛り蕎麦とざる蕎麦

 十数年前に上京して以来、関東の食べ物に親しんでいる。がしかし、どうにも納得出来ない事がままある。西日本で生まれ育った人間にとって蕎麦・饂飩(うどん)のつゆが醤油でやたらと黒いというのがその代表的なものであったりするのだが、今回はそれではなく「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」との価格差である。
 実は、僕が未だ福岡に住んでいる頃には「年越し蕎麦」以外に蕎麦を食べる習慣がなかった。とすると当然蕎麦を外食する事もなかったので「盛り蕎麦・ざる蕎麦」の類は食べた事がなかった。つまり上京して始めて蕎麦をつゆに浸けて食べるという事を経験したのだが、それが一体どのタイミングで口にしたのかは覚えていない。素麺を食べるのと違いはないので抵抗があった訳ではない。それでも習慣とは恐ろしいもので、恐らく上京後数年経ってからようやく口にしたのではないかと思う。

 話が逸れた。今では、この季節から秋口までは蕎麦を食べる事を毎年楽しみにしている僕であるが、やはり「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」の価格差が腑に落ちない。どう見ても、一掴みの刻んだ焼き海苔が蕎麦の上に乗っかっているかそうでないかの違いしかない。それでいて50円から店に拠っては100円の価格差が有る。一消費者である僕が考えるに、焼き海苔のトッピングは20円か30円程度にしか思えない。「海苔がなんでそげん高かとか!」何度そう叫びそうになった事か。しかしながら他の客はその事実を普通に受け容れ蕎麦を啜っている光景を目にすると、なかなかそう騒ぎ立てる事も出来ず、かと言って納得は出来ないので店員に訊くのである。「あのう、盛り蕎麦とざる蕎麦ってどう違うんですか?」返ってくる答えは何処で訊いても同じ。「海苔が付いてるか、付いてないかです。」
 以来僕は煮え切らぬ腹を抱えたまま、海苔も食べたきゃ「ざる蕎麦」を注文し、そんなの要らんと思えば「盛り蕎麦」を注文していた。外出した際にたまたま立ち寄った蕎麦屋で、答えは分かっている癖に、懲りもせずに同じ質問をした事も一度ではないのだが、やっぱり同じ答えしか返って来ず、この不可解さを一体誰と共有すべきかを考えたりしていたのだ。

 しかしである。つい数日前になんとなーく Wikipedia で蕎麦を調べてみたところ、驚くべき事実を知る事になった。以下はその引用。

 盛り蕎麦とざる蕎麦の違いは、その蕎麦つゆにある。ざる蕎麦は砂糖を用いた蕎麦つゆで、盛り蕎麦は味醂等で味付けした蕎麦つゆで食べる。江戸時代、当時はまだ砂糖は貴重品であり、区別を明確にするために蕎麦を盛る器に違いをつけたり、高級品であった海苔を散らしたとされる。砂糖が誰にでも手に入るようになった現在では、そういう区別をする蕎麦屋は少ないかも知れない。なお、冷たい蕎麦に刻んだ海苔を散らすようになったのは明治以降である。

 気付かなかった・・・。当時海苔が高級品だったのだろうなくらいは想像していたのだけれど、砂糖と味醂の差であったとは・・・。同じ店で「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」をそれぞれ食べた事はあるが、それは全然別な日にたまたま別なメニューを注文したのであって、同時に二種類注文して食べ比べた訳ではなかったのだ。自分の味覚が鈍磨されているとは思っていないし、砂糖と味醂の味の差は何となくでも判るつもりでいたのだが、これはどうした事か。この事実を確認するにはやはり、誰か付き添って貰って「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」をそれぞれ注文して食べ比べてみるしかないのだろうか。

 それはそうとして、この現代に於いて「焼き海苔の有無」と「砂糖と味醂の価格差」であの価格差はやはり納得出来ないように思える。海苔のトッピングやつゆのチョイスはサービスという事でも十分やっていけると思うのだけれど、わざわざメニューまで分け続けているというのは、伝統の形骸化と言えなくもないように思う。

2007.05.28 : コメントを戴き、実は諸説在る事が判った。

本郷館

hobby_20070318a 未見であった本郷館が4月に取り壊されると聞いたので行ってきた。現地に着いた時には、僕と同じように取り壊しの話を聞きつけたのであろう人が数人既に写真を撮っていた。実際に目の前にするとその建物の巨大さに圧倒された。板張りの外壁がそびえ立つ様は城を思わせる。狭い路地を歩いていたら突然巨大な木造建築物が目の前に現れるというアプローチにも異様さを感じるし、その事に感動さえ覚える。まるで時空をねじ曲げられたようだ。

 上記の Wikipedia もそうだが、彼方此方で見かける本郷館の姿は正面玄関側から撮影した写真ばかりで、僕もその印象しか持っていなかった。しかしこの建物の周囲を歩き回ってみるとその様相は様々で、見ていて飽きない。たくさん写真を撮ったはずなのだが、どうやらフィルム・カメラでばかり撮っていたらしく、デジタル・カメラで撮ったのはほんの数枚だった。フィルム・カメラのレンズは50mm、デジタル・カメラのレンズは28mm。近づいて撮るには28mmでも画角が全然足りなかった。せめて21mmは要るなあ。

 余談だが、本郷館を紹介している頁では何処も本郷6丁目という事までしか記載していない。恐らく住人へ配慮であると思う。つまり無遠慮に見物に来たり写真を撮るなという事だろうな。入口には関係者以外の立ち入りを禁じる注意書きがあるし、その日の撮影者が多かったせいか、窓や玄関から外の様子を伺う住人の姿が見受けられた。まあ、迷惑には違いない。

Older posts Newer posts

© 2025 DOG ON THE BEACH

Theme by Anders NorenUp ↑