DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: sociology (page 4 of 29)

 なぜ、そこまでメインカルチャーは抑圧の力が大きいのか? 少し説明してみよう。
 メインカルチャーのルーツは、キリスト教とギリシャ哲学だ。
 まずギリシャ哲学の頃からの伝統的考え方として「世の中のすべてには理由がある。物事はすべて論理的に存在していて、人間が努力して賢くなればあらゆる事は解明できる」という思想がある。
 その考え方をキリスト教が少しアレンジする。世の中には、はっきりとした秩序(コスモス)の部分と、はっきりしない無秩序(カオス)の部分がある。コスモスが神の世界、カオスが悪魔の世界だ。
 この世界観をよく表すエピソードとして、教会の鐘の音、というのがある。中世の城塞都市には、必ず町のど真ん中に教会がある。これは、教会の鐘の音の聞こえる範囲が教会の安全保障ラインだ、という考え方から来ている。つまり、鐘の音が聞こえる範囲はコスモスで神の世界、聞こえない森の中はカオスで悪魔の世界、ということなのだ。森の中のことに神様は責任を持ってくれない。
 実際、中世ヨーロッパの都市は鬱蒼とした森の中にぽつんと穴があいたように、とこだけ切り開いて町を作っている。一歩町から外へ出ると悪魔の世界という考え方も自然なことかもしれない。『ドラクエ』で町を離れるとモンスターたちが徘徊する平原というのも、実はこういった考え方がもとになっているのだ。
 こういう中世の世界観の中で科学は生まれた。
 もともと科学は森とか海とか植物とか、そういった魔の世界を研究してその中に秩序を見つけ出してコスモスにする、という行為だったのだ。科学は「魔の世界」に光を当てて、「神の世界」に取り戻す、という宗教的戦いだった、ともいえる。
 こうやって生まれた科学を中心とするメインカルチャーは秩序だっていること、論理だっていることがもっとも大切とされる。

岡田斗司夫著『オタク学入門』新潮OH!文庫 2000年 pp.341-343

 以前、フランスの版画家集団アトリエ・アルマーのアーティストたちと話したことがある。彼女たちはフランス政府から援助を受けながらアーティストとして活動している。アトリエはナポレオン時代に要塞だった建物を改造したもの、日本の美術展への出展も政府後援だった。いわゆる、「ちゃんとしたアーティスト」なわけだ。そんな彼女たちに僕は、「マリオやソニックなどのコンピューターゲームを、アートとしてどんなふうに評価しているか?」と聞いた。

 (中略)

「ゲームはアートじゃない。うちの子もゲームが好きで、放っておくとゲームばかりやりたがる。だからゲームは日曜日に1時間だけと決めている。日曜日は家族で子供を美術館や博物館に連れていって、アートとは何かをちゃんと教えている」
 僕は「これだから教養のない人は」という目で見られてしまった。彼女たちにしてみれば「アート」とは教養として学ぶべきものなのだ。けっして子供たちが自分から自然に飛びつくような「おもしろい」ものではない。その「おもしろさ」と、いわゆるアカデミックな世界の「アート」とは何の関係もない。本来、関係ないからこそ、「アートは教養として学ばないと身に付かない」ものなのだ。

 (中略)

 彼女たちが子供に教えようとしている「本格的・正統的文化」とは、メインカルチャーと呼ばれているものだ。メインカルチャーとはおおざっぱにいうと、アート、文学、科学、歴史、クラシック音楽といったアカデミックかつクラシックなもの。もっと平たくいうと大学で昔から研究してきたようなもののことである。
 彼女たちが所属しているヨーロッパ文化圏では、メインカルチャーを身につけるのが当たり前である。それも出来ない人は「クラスが低い」とされてしまう。いまだ階級社会の色合いを強く残しているヨーロッパでは、「メインカルチャーを身につけず、自ら階級を下げる」なんてことは半分自殺行為のようなものなのだ。

岡田斗司夫著『オタク学入門』新潮OH!文庫 2000年 pp.336-339

 ラカン派哲学者のスラヴォイ・ジジェクは、しばしばシニシズムについて語る。ある種のシステムや規範のもとでは、人々はそれが嘘であることを知っているにもかかわらず、あるいは知っているからこそ、それに進んで従うのだと彼は言う。
 本書でも私は、シニシズムを規範的に広めたテレビというメディアが、このところシニカルさを喪失しつつある危険を指摘した。対象や行動の価値を信じすぎないこと、ほどほどの距離を維持することは、ときには動機と倫理性を維持する上で欠かせない姿勢でもある。いわゆる「シラけ世代」は、まさにシニカルさの初期段階というべき世代でもあった。しかしこの世代から膨大な数のオタクが生まれたように、シニカルであることは必ずしも行動を抑制しない。むしろ旧世代の価値観に縛られない、巨大な趣味の共同体がもたらされたのだ。
 シニカルさはその後も形を変えて維持された。しかし振り返ってみると、九〇年代はこうしたシニカルさの作法がゆっくりと減衰していった時期だったのかもしれない。われわれはもはや、対象との間にシニカルな距離を維持できなくなりつつある。対象にシリアスにかかわるか、徹底した無関心か。コミットメントとデタッチメントの二者択一しかなきがごとしである。たとえばわれわれが、まさに目の当たりにしつつある戦争。もはや人々は、戦争に対してシニカルに構えることができなくなっている。可能な選択肢は「ブッシュとフセインの、どちらがよりましな『悪』であるか」しか残されていない。
 こうしたことが、若い世代にあっては「自己イメージ」について起こりつつあるのではないか。すなわち「本当の自分」にひたすら固執し続けるか、まったく執着しないか。後者についてはひとまず措こう。自己イメージとのシニカルな距離を維持できなくなると、人は既成の自己像に縛られる。その結果、自己が成長し変化しうる可能性に対して、強い不信と恐怖が芽生えてくる。かくしてもたらされる、「ダメな自分はダメなままである」という信念は、行動や他者との出会いへの意欲を徹底して抑圧するだろう。そうした抑圧が緩慢な衰弱死や集団自殺を呼び込んだとしても、もはや私は驚かない。

斎藤環著『「負けた」教の信者たち〜ニート・ひきこもり社会論〜』中公新書クラレ 2005年 pp.221-222

 それにしても、なぜ刑務所でこのような不祥事が頻発したのだろうか。これに関連してかつて興味深い心理実験がなされたことがある。
 それは、一九七五年に、スタンフォード大学で行われた。『シャイネス』のベストセラーで知られ、アメリカ心理学会の会長でもある心理学教授のフィリップ・G・ジンバルドーは、健康なアルバイト学生二〇人を募集し、コイントスで囚人役と看守役に分けた。彼らは実験のルールを説明され、合意のもとで「刑務所ごっこ」の実験に参加したのである。演出はなかなか凝ったもので、囚人役の学生は、実際に警官によって自宅で「逮捕」され、裸で身体検査を受けた後に囚人服を着せられて写真を撮影され、地下実験室に監禁された。看守役は、制服と警棒、警笛、手錠を与えられ、匿名性を保つべくサングラスを装用し、交代で囚人の監視をさせられた。囚人は常に番号で呼ばれ、睡眠、食事、トイレなど、あらゆる面で厳重に管理される。違反者にはペナルティが加えられ、暴力は禁じられていたが言葉による侮辱などは禁止されていない。その結果、何が起こったか。
 わずか二日後に囚人役の学生は、ひどく受動的で卑屈な態度に変わり、看守の指示に容易に服従するようになっていた。逆に看守役は、残忍で権威主義的な態度へと変わり、深夜に囚人役をたたき起こして無意味に点呼をとる、といった虐待まがいの行為を繰り返すようになったのである。精神病様の反応を起こして、実験から離脱する学生もいた。結局、二週間を予定していたこの実験は、わずか六日目にジンバルドー自信の指示で中止となり、以後この種の実験は、心理学実験倫理綱領によって禁じられることになった。ちなみに、二〇〇一年にドイツで大ヒットした映画 “Das Experiment”(『es』のタイトルで、日本でも公開された)は、この実験をモデルにしている。

斎藤環著『「負けた」教の信者たち〜ニート・ひきこもり社会論〜』中公新書クラレ 2005年 pp.160-161

 さらに虐待に関して言えば、(今回は見送られたが)警察官の「強制立ち入り調査権」を認めて欲しいという現場の声も切り捨てるわけにはいかない。虐待の可能性がきわめて高い家庭を訪問したさいに、ドアの向こう側にいますぐにでも救われるべき子どもの存在を確信しながらも、チェーンを壊して強制的に立ち入りできない現場職員の無念さは、想像するにあまりある。とりわけ、それができていれば死なずに済んだ事例が少なくないことを思えば、これはいかにも切実な問題だ。しかし一方で、子どもを救うためとはいえ、人権侵害にもひとしい強制立ち入りを安易に認められないのは当然とする意見も無視はできない。「子どものいのちを救うためなら、人権などなにほどのものでもない」という意見は、われわれが陥りやすい「俗情との結託」(大西巨人)にほかならないからだ。

斎藤環著『「負けた」教の信者たち〜ニート・ひきこもり社会論〜』中公新書クラレ 2005年 p.146

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