DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: philosophy (page 4 of 11)

12月のネオン

 去年のクリスマスの少し前だっただろうか、僕は夜の新宿を歩いていた。新宿通りの左側の歩道をJR新宿駅から三丁目へ向かって。そしてちょうど伊勢丹の入口、ショーウィンドウの光が溢れている辺りに差し掛かった時、僕の視界には歩道から外れた位置で二人の男が向かい合っている姿が入ってきた。二人とも体躯が大きく短髪で、ブルージーンにスタジャンを着ていた。例えるならば、大学か若しくは社会人のラグビー部のチームメイトという感じであった。共に 180cmは優に超えるであろう身長なので、百貨店前の人混みの中でも頭ひとつ飛び出ており、とにかく目立つ二人連れであった。そしてそんな彼らは向かい合って何をしていたのかというと、両の手を繋いでお互いの顔を見つめ合っていたのだ。とても幸せそうな表情で。
 新宿を東に向かって歩いて行けば、ゲイのカップルを見かける事はそう珍しい事ではない。しかし彼らほど幸せそうに見えるカップルを僕は見た事がなかった。僕の眼鏡に色が着いていたのかも知れないが、大体は少し緊張した面持ちで、殊更に堂々と振る舞おうとしていたように思う。だからだろうか、彼らの姿が僕の目にはとても新鮮に映ったのだ。しかし僕が持った印象はそれだけでは説明できない。洪水が如き人波に押し流されて、僕は立ち止まる事も出来ないまま彼らの傍らを通り過ぎた。夜の影を歩む僕の目が捉えたものは、粉飾された幸福の模倣などではなく、ただただ幸福な二人の人間の姿であった。そういう人達を見かける事は希だ。殊更に騒ぎ立てる必要もなく、好きな人とお互いに見つめ合いながら微笑む事が出来るというのは、なんと幸せな事だろうか。良いものを見せて貰った。そう思いながら僕は横断歩道を渡った。

今生の別れ、その言葉たるや

 今放映中の ” JIN -仁- ” の第五話のラストにこういう場面があった。梅毒を患い末期の症状に苦しむ女郎を救おうと、江戸時代にタイムスリップした現代の医者が、当時には存在しえないペニシリンを用いて治療を施す。しかしペニシリンの精製が間に合わず、とうとう患者は最期を迎える。そして今際の際に女郎はこう呟いて、手を合わせたまま息を引き取るのである。

みなさま・・・ありがとう。けんど・・・苦しむことにも飽きなんした。堪忍しておくれなんし。・・・おさらばえ。

 凄く印象に残る場面であったので少し検索してみたところ、同じように思う人はたくさん居るようで、数多くの記事がヒットした。特に「おさらばえ」の言葉が反響を呼んでいるようだ。僕にしても、なんと美しく響く言葉だろうかと打ち震えた。言葉を分解してみれば「それならば・それでは」という意味の「然らば」の頭に「御」を付け足し、尾に女性言葉の「え」を付け足した単純な言葉であるのだが、導き出される情感は果てしがない。
 どうしてこんなにも美しい言葉が日本の社会から失われてしまったのだろうか。いろいろ調べてみると、どうもこの言葉は武家若しくは郭の女性が主に使っていたようで、時期を異にすれどもどちらも解体された階級若しくは職場であるので、そのタイミングで失われたのだろうか。惜しい事です。情感溢れる古の言葉は、近代化や合理化に馴染む事が出来ずに風化してしまったのかも知れません。そしてそれと共にある種の美しさをも失ってしまったように思える。

 挨拶というのは大変美しいものだと思うのだけれど、それをしない人もたくさん居る。他人の事情は想像を以てしても知る事はできないが、挨拶なくして一体何時、好意や感謝を伝える事が出来るのだろうか、とも考えるのである。

光の手

 もう20年近く前に当時の知人から聞いた話。彼女の知り合いに、患部に手を触れて病を治す施術者の女性が居たらしい。幾人もの病人が彼女の元を訪れ、その都度、彼女は患部に手を触れて病を治していた。しかし、数年後に今度は彼女自身が病を患ったが、残念な事に自分自身を治す事は出来なかったようで、果たして彼女は死んでしまった。ここら辺の記憶は曖昧だが、施術者の女性は、病人の病を自分自身の身体に移す事で、患者を治癒に導いていたという話だった。似たような話が乙一の ” Kids ” という小説に出てくる。
 僕の知人は施術者の女性が亡くなった時、この世の何かしらを悟ったような気がしたと言っていた。それから時を経て彼女は美術家となった。何年か前に僕は偶然その事を知った。今現在の彼女が元気でいるのかどうか、僕は知らない。何故だかこの話を今日思い出したのだ。そして時折思い出すこの話を、書き留めて置いた方が良いような気がしたから、今こうして書いている。

退屈と恐怖

 例えばすべき事が何も無い休日の午後、床に寝っ転がってぼんやりと天井でも眺めているとしよう。仕方がないから天井のシミや黴の跡を見つけて数えてみたり、天井を斜めに横切る小さな蜘蛛を眺めたり、そうでもなければ窓から差す陽射しに照らされた無数の塵が空気中を漂うのを眺めたりする。そんな時に口をついて出る「退屈だなあ」という言葉の響きには悲壮感は見当たらない。それどころか幾らか嬉しさのような成分も含まれている。多忙な日々を過ごした後の事ならその感慨も一入だ。何ならこういう時間がこの後当分の間続いたとしても、それはそれで良いのかも知れないと思えたりもする。

 それとは別に、興味や意識の矛先を何一つ持てない、ある種の閉塞感を伴う「退屈」はやがて恐怖を呼び起こす。それは「無」を予感させるからだ。例えば真の闇の中に自分が置かれているとする。手を伸ばして何かに触れようとしても其処には何も無い。そして視覚を奪われているが為に自分が知覚出来るのは温度と匂いと音だけである。これでもし匂いも音も遮断されたとしたら? 残るのは自分自身の思念のみである。これほど危険を孕んだ状態もそうはないだろう。昔懐かしい良い思い出や楽しい事ばかりを考えて調子に乗っていられれば良いのだけれど、一度嫌な思い出や空しさについて考え始めたらこれはもう負のスパイラルである。邪魔するものなど何もないのだからひたすらに落ちていくのみである。眠れない夜にこれと似たような事が起きる。だから僕は不眠が怖い。

 どんなに些細で取るに足らない事であっても、自分の外に意識を向けている事が出来れば大丈夫な気がする。更にはそれに興味を持ち、何かしら自分の行動に繋がればもう自分が「退屈」であった事など忘れてしまうだろう。

扉を開ければ其処には意外な現実が在った

 ずっと昔僕が未だ実家に住んでいた頃、テレビ番組で東京の少し変わった住宅事情を紹介していた。場所は渋谷。恐らく桜丘町辺りだったと思うのだけれど、古いホテルを改装して各部屋を貸し出しているという物件だった。その物件は非常に人気があり、部屋が空くのを待っている人が後を絶たないという事であった。ホテルの部屋だから浴室とトイレは完備しているがキッチンは無い。しかし自炊する習慣の無い人にとってそれは大した問題とならないのかも知れない。部屋は広く造りもしっかりしているので、通常の賃貸物件に住む事に比べれば気分は上がる。管理人はいつでもフロントに居るし。ラウンジに腰掛けていれば、丁度お隣さんなんかが帰ってきて言葉を交わしまるでサロンのような雰囲気である。

 そんな楽しい場所が在るなんて東京はなんて素晴らしい街なんだ、とその当時の僕は思っていたに違いない。しかし進学や就職で上京したての新参者がそんな物件に入り込める訳がない。どうやって探して良いのかすら判らないし、僕はテレビを観てその事を知っていたが、そうでなければそういう場所が存在することすら知らないだろう。僕達が知らず知らずに頭の中で構築した世界というか社会の構造の外側には、想像もしなかった場所が厳然と存在しているのである。
 何故だか知らないが、そんな事を思いだした。

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 以前に村上春樹が何処かで書いていた。抜け道が多い社会こそ良い社会である、と。決まり切った額面通りの路しか無いと思いあぐねて延々と生きるのでは、どうにも希望が無い。

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