DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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 芸術の独立というところから話が複雑になりました、芸術が独立してそれ自体の価値を主張しはじめた結果、当然のことながら芸術家はパトロンを失って作品制作をするための資金がなくなってしまったわけです。
 最先端技術を駆使した油絵を描くためには、資金が必要です。それで、芸術家たちは資金がないのにこういう最先端技術で自分の欲望のための作品を作る方策をなんとか編み出さなければいけなくなりました。

(中略)

「芸術家のための芸術」という奇跡のようにすばらしい最先端の芸術をやることによってでさえも「貧」からは逃れられない。それなのに、あろうことか「貧」をつきつめるとペギー・グッゲンハイム(Peggy Guggenheim/マックス・エルンストの夫人だったこともある前衛芸術の理解者、パトロンで多くの芸術家を庇護)のようなケタ外れな理解者つまり、パトロンが出てきて芸術家を救済するという話になるわけです。
 しかし、これだってよく考えてみれば、背後にはアメリカ経済の勃興というものがあり、そこでまた、話がさらに複雑になるわけです。ぼくもそうでしたが、この辺が整理されないまま現代に至っているので、ただでさえわかりにくい西欧式ARTが日本人には特別わけがわからないものになりました。
 こうした混乱を第二次世界大戦に勝ったイギリスとアメリカが上手く整理して、芸術の覇権をフランスのパリからニューヨークとロンドンに移動させました。戦争に勝つだけではなく同時に文化的な優位も奪取しようと、政治的な文脈も含めて整理整頓したわけです。そのために、ある日突然のようにアメリカから、そしてイギリスからと最新のARTモードが発明され、発信されて来ました。ポップアートが終わるとミニマルアート、もしくはランドスケープアートが出てきます。僕ら日本人は、これらを無条件で受け入れるしかなかった。つまり最新モードはつねに英米からやってきたのです。

 (中略)

 また、「貧」、「貧しさ」の物語です。最先端の技術を使った芸術でも「貧」になる。でも、ペギー・グッゲンハイムのような人が出てきて助けてくれる。ペギー・グッゲンハイムはこういう「貧」から出てきた結晶のような芸術作品を集めることでみんなからはすばらしいと賞賛を受けてしまったわけです。ニューヨークのアップタウンにあるフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)が設計したカタツムリみたいなグッゲンハイム美術館はその集大成です。
 こういうふうにして、「芸術とは何か」といえば「芸術とは貧である」というコンセプトが、がっちりと日本人の中に組み込まれ、インストールされてしまったわけです。

村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 pp.30-33

 それが、一九世紀になって印象派の登場あたりから芸術家が芸術家のために作る芸術があってもいいのではないかというムーブメントがおきました。それから話がややこしくなってきます。
 なぜ、こういうことが起きたかというと、ひとつには肖像画の需要がなくなったということもあります。今や肖像画というのは芸術家の仕事としてはほぼありません。ウォーホールがあえて意図的にやりましたが、一般的にはほぼ絶えてない。なぜなら写真が発明されてしまったからです。

 (中略)

 このようなわけで、ARTとは何か、芸術とは何かなどという大きな疑問が生まれてくると同時に、芸術家が自分たちの職業の存在意義を考え、いろいろ理論武装して趣向を凝らす必要が生まれてきました。

 (中略)

 たぶんそういう変革が西欧では一九世紀あたりに来てしまったのでしょう。そうしたムーブメントの中からサロンというものも生まれて、哲学者やら思想家やら芸術家たちが集まって「ああでもない、こうでもない」と口角泡飛ばした議論がパリあたりで起こったわけです。それが、芸術についての話をややこしくしはじめた、そもそもの出発点です。
 つまり、芸術家が独立して芸術を作る非常に純粋性の高い、純潔の芸術が誕生してしまったわけですね。しかも、この大きい変革に世界中が熱狂してしまったわけです。
「すばらしい、そんな奇跡のようなことがあっていいものか!」
 ところが、西欧は階級社会ですから、この芸術家が芸術家のために作る芸術すら、自分たちのために次の時代の芸術を装飾として買おうという上流階級の魂胆があったわけです。
 かつての権力者、宗教的権威、お金持ちが自分たちのために芸術家に作品を作らせるという単純な時代から、芸術家が芸術家のために作った作品を、まさにそのことを理由にお金持ちが自分たちのために買うというややこしい時代に移行したわけです。そのせいで、作品としての価値と金銭的な価格が大きくずれることになりました。

村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 pp.27-29

 欧米のアートマーケットの基盤には、作家や作品に価値を与えていくアートビジネスの構造があります。これは、アーティストをブランディングしていく上手な仕組みとも言えます。著名な国際展、アートフェア、オークションは、互いに連動しながら一つのサーキットとして成立しています。
 例えば、春先にニューヨークで有名なアートフェアが開催された後には、ニューヨークとロンドンで話題の作品が一挙に競り出される注目のオークションが開催され、初夏にはスイスのバーゼル・アートフェアに世界中の一流ギャラリーが集まります。バーゼル・アートフェアのオープニングのすぐ後には、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア・二年に一度)、ドクメンタ(ドイツ・五年に一度)、ミュンスター彫刻プロジェクト(ドイツ・一〇年に一度)が開催され、秋が近づくとパリのフィアック・アートフェア、ロンドンのフリーズ・アートフェアがあり、その後再びニューヨークとロンドンで大きなオークションが開催されます。そして、冬にはアメリカ東海岸のアート・バーゼル・マイアミビーチが一年を締めくくります。
 毎年このような世界的なサーキットに乗って、アートマーケットは巨額の利益を生み出しています。
吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.120-121

 過去にもう一人、アートマーケットの基盤を形作ったキーマン的存在として、あのパブロ・ピカソが挙げられます。ピカソといえばキュビスムの創始者であり、二〇世紀の美術を代表する偉大な芸術家です。しかし、彼が美術の流通に資本原理を取り入れた先駆的存在であり、アートマーケットの立役者の一人であることはあまり知られていません。
 ピカソは自らの作品の流通の状況をつぶさに把握し、上手にコントロールしていたと言われています。作品が多く出回っているときには新作の発表を控え、少なくなってきたと思えばギャラリーに作品を卸すようにしていました。いわば、受給の調整を通じた価格や人気の維持、作品のブランディングを自ら行っていたのです。
 また、アーティストとギャラリーが正式に契約関係を結んだのも、ピカソが初めてだったと言われています。それまでは、創りたいときに創りたいものを制作していたインディペンデントなアーティストは、ときにギャラリーに作品を買い叩かれることもあるような弱い立場におかれていました。しかしピカソは、ドイツ人画商カーンワイラーとタッグを組み、戦略的な作品制作・発表・流通の一連のプロセスを築き上げました。ピカソは天才的なアーティストであると同時に、一流のマーケッターでもあったのです。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.80-81

 二〇一三年現在、経済はBRICsの台頭に示されるように、アジア、南米の活性化が著しい。例えば不況のスペインからブラジル人やアルゼンチン人が引き揚げるだけでなく、スペインの若者たちが南米に職を求めて移動を始めている。この逆行は文化的なイニシアティヴの転倒につながる。つまりスペイン人の移民は、ビジネスのためにブラジルのローカルの文化を学ばねばならないのだ。それはグローバル企業のマーケティング・リサーチとは異なるレベルとなる。
 この移動の図にはかつての宗主国と植民地の関係によって形成された言語的・文化的なネットワークが関わっている。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 p.166

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