今、ぼくらの芸術の世界は中国、オイルマネー、ロシア、そういった新興国の人たちの生みだす整備されていないお金に翻弄されています。彼らが西欧式の芸術の歴史、ここでぼくが述べたような芸術の歴史を知っているかどうかはわかりません。なぜ芸術を買おうとしているかといえば、自分たちも先進国の仲間入りをしたい。相応の文化的レベルが高い人と思われたいという、日本が明治維新で文明開化した時のような発想にすぎないかもしれない。
ただ、彼らはバブルの時の日本とは違います。バブルの頃、我々日本人は本当に何もわかっていなかった。我々は、第二次世界大戦で、国が富むとか、豊かな社会で人間が根本的にどうやって生きていくべきかという哲学を全部潰されました。
だから、先が読めなかった。贋作もつかまされるし、せっかく買った、重要な芸術作品もバブルが崩壊した後、オークションを通じて外国に売らなくてはならなくなってしまった。そのために、日本にあまり良い作品は残っていません。しかし、新興国の彼らは、国家とは何かとか、自分たちが将来立国していこうとする方向性とか、本当に、未来のことまで考えています。だから最良のものを買う。まちがいをおこさないようにアドヴァイザーを雇って、将来、作るべき美術館を想起する。
もちろん、資本主義経済のなかでアートはいちばん利殖をするのに有利だというリアリズムもある。そういう単純な理由も含めて、彼らは日本人のバブル期とはまったく別に、利殖と社会的な上昇の二つを一挙両得で手に入るのだったら、金は余っているのだから使ってよいではないか。そういう理由で、どんどん、芸術作品を買っている。
これが、現在の芸術作品の流通の実情であり、我々がおかれている現状です。
村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 pp.45-46
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