DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: tokyo (page 3 of 15)

 昔の酒屋には計り売りの酒というのがあったが今の酒屋にはない。今の酒屋をのぞくと銘柄ものの瓶がずらりと並んでいるばかりである。昔の酒屋にもそりゃ銘柄ものもあったけれど、そんなものは、特別のおつかいものに使うくらいで、普段は計り売りの酒を飲んでいた。
 この計り売りの酒というのがそこの酒屋の酒ということで、つまりそれぞれの酒屋の親父が、それぞれのルートや顔で、安い地酒を数種類集めてきて、それを各自の味覚臭覚でブレンドする。つまり酒屋一軒一軒が、みな違った味わいの酒を樽に入れて計り売りしていたということである。
 こんな楽しいことが、今では酒税法の関係でできなくなってしまったと聞いたことがある。
 酒屋それぞれのオリジナルの計り売りの酒だから、いくや気安くつき合っている酒屋でも、それだけでその店から買うというわけにはいかない。酒飲みは、それぞれの好みの酒屋を探してそこから買うということになる。

渡辺文雄著『江戸っ子は、やるものである。』PHP文庫 1995年 pp.151-152

 ところで、「そば屋の風邪薬」というものをご存知だろうか。
 ちょっとした風邪をひいて鼻をグチュグチュいわせていると、どてらをかかえた親父に「おい! 来い」とそば屋に連れていかれる。
 そば屋の壁にはたくさんの薬包みがはられた「そば屋の風邪薬」と大書きされた紙が下げられていて、その一つがもぎとられ、私の手に渡される。しぶっている私に、「おい! のめ!」とちょっとこわい顔をして「かけともり」とそばを注文する。風邪薬を飲んで、熱々のかけをすすり出すと、背中にどてらがかけられる。そんな私を、もりを肴にチビチビとやりながら親父はじっと見つめている。そのかけを食べ終える頃には、額にじっとりと汗がにじむ。
「さ、早く帰って寝ろ! どてらかぶってかけだして行くんだぞ!」
 親父の方は、いつか話し相手をみつけて、お銚子のおかわり。
 この風邪薬、とっても効いた覚えがある。病院の風邪薬ではなくて、そば屋の風邪薬。
 できればそば屋の風邪薬で風邪を治したいと思うのは、中年男のセンチメンタルだと、やはり言われてしまうのだろうか。

渡辺文雄著『江戸っ子は、やるものである。』PHP文庫 1995年 pp.88-89

 まったく変な遊びがはやってたもんだ。ドロダンゴ。土でダンゴをつくりその強度を競いあう。
 もう少し具体的にいうと、ジャンケンで負けた方が、砂場の砂の上に、自分のドロダンゴを置き、勝った方が、その上に自分のダンゴを落下させる。もちろん割れた方が負け。割れなければ代わり番こにくりかえす。
 実に単純な遊びだが、子供達はその土ダンゴの強度を高めるために、ちょっと大げさにいえばそれこそ命がけであった。材料の土とネンドと砂の割合をいろいろ変えてみたり、でき上がったダンゴを土にうめてみたり、またそのうめる所をいろいろ変えてみたり、それこそありとあらゆる試みにいどんだ。
 勝ちすすんだダンゴは、いつも掌中にあるため、つやつやと黒光りして、それはもう間違いのない宝物であった。このドロダンゴ(と何故か呼んでいた)の重要な材料がイイネンドなのである。

渡辺文雄著『江戸っ子は、やるものである。』PHP文庫 1995年 p.70

偏奇館跡を訪ねる

 去年の10月の終わりに上京した際、もう一カ所訪ねた場所があった。永井荷風が大正9年から、空襲で焼け出される昭和20年まで住んでいた偏奇館の跡地である。在京している間も訪ねてみたいと思いながら何となく行かず仕舞いであったが、これまた川本三郎が著した「荷風と東京」を読んで改めて行きたくなった。上巻の「崖の上の家ー偏奇館独棲ー」の中にはこうある。

 サントリーホールや全日空ホテルのある六本木アークヒルズから飯倉に向かう道を左に折れると、道源寺坂と西光寺という寺が相接してある。両寺にはまだ小さいながらも墓地が健在で、その墓石を見下ろすようにアークヒルズの建物が建っている。
 この道源寺坂をのぼった崖の上が、荷風の偏奇館のあった麻布市兵衛町である(現在の町名は六本木一丁目)。このあたりはいまでもアークヒルズの隣接地とは思えないような古き良き、静かな町である。個人の住宅がまだ何軒か残っているし、細く、曲がりくねった道が、車が入ってくるのを拒んでいる。

(中略)

 道源寺から、まさに「間道」のような細い道を右に折れ、左に折れしながら歩いて行くと崖の上に出る。そこにヴィラ・ヴィクトリアという五階建ての小さなマンションが建っている。そこが荷風の偏奇館があったところで、マンションの傍に港区教育委員会が昭和五十二年建てた「偏奇館跡」のささやかな碑がある。碑のそばに、沈丁花が植えられている。沈丁花(瑞香)は荷風が好んだ花のひとつ。
川本三郎著『荷風と東京(上)』岩波原題文庫 2009年 pp.98-99

 そして章末にはこんな注意書きが添えられていた。

 追記 この原稿を書いてから、偏奇館周辺は地形を変えてしまうほどの再開発によって激変した。偏奇館のあとに建てられていたヴィラ・ヴィクトリアはいまやあとかたもない。現在は、泉ガーデンタワー(二〇〇二年竣工)という大きなビルが建っている。敷地内に偏奇館跡の小さな碑が作られているのが救い。
川本三郎著『荷風と東京(上)』岩波原題文庫 2009年 p.110

 読む限りかなり残念な状況になっている様子が伺えるが、取り敢えず行ってみる事にした。

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 この日、実際には森美術館で展覧会を観てから行ったのだが、地下鉄に乗る為に深い階段を上り下りするのが煩わしくて結局六本木一丁目まで歩いた。で、この写真は六本木一丁目駅付近に向かって撮ったもの。右側に見える白い高層ビルが泉ガーデンタワー。

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 そして、六本木一丁目駅の出口を越え、六本木二丁目交差点の手前で右に折れ、細い坂道の少し登ると西光寺がある。

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 道源寺坂と呼ばれるそうだ。坂道は緩やかに弧を描きながら続いていく。

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 すると道源寺の山門が見えてくる。これを過ぎて坂を上り切ったところが崖の上、という感じでもなかった。なんせ見晴らしというものがないのだ。そしていよいよ偏奇館跡碑は何処だろうと探し始めた。上図を見ると簡単に行き着きそうだが、実際にはかなり探した。泉ガーデンの敷地内である事は間違いないだろうと、隈無く歩いてみたが見つからず、変だなあと敷地の周りを歩いていたら見つけた。

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 生け垣の外側ではあるが縁石の内側で、これは確かに敷地内である。もっと見えづらい場所にうち捨てられたような佇まいを想像していたので、予想外であった。

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 平成14年の日付があるが、もともと在った碑を移したのだろうか。しかし教育委員会がねぇ、荷風をねぇ。何だか妙な感慨があった。実は、僕がこの碑を見つけた時には先客が居た。60代と思しき男性が佇んでおり、一頻り眺めた後に写真を撮って立ち去って行った。なので僕は少しの間待っていたのだ。貴方も荷風お好きなんですか? と話しかけても良いような気もしたが、そんな馴れ合いを荷風は好むまいと思い、止めておいた。

泉岳寺から高輪台を歩く(後編)

 豆腐屋が二軒もある。”高輪浴場” という銭湯がある。花屋がある。”虎屋” をはじめ和菓子屋もある。商店だけでなく、千葉のほうから大きな荷物を背負って魚の干物や野菜や果物を売って歩く行商のおばさんの姿も見える。親しい友人がこの町に住んでいるが彼にいわせると「ここは豆腐屋から葬儀屋までなんでもある町だ」ということになる。なるほど確かに葬儀屋もある。
川本三郎著『私の東京町歩き』ちくま文庫 1998年 p.48

 こうエッセイの中にあるのだが、どうもそのような雰囲気ではない。しかし場所は間違っていないようだ。僕が想像していたのは、せいぜい車一台が通ることが出来るくらいの道幅で、歩道もなく、個人商店がひしめき合うように建ち並ぶ、東京の東側でよく見るようなものであったのだが、実際には二車線の道路が走り、歩道の幅も充分に確保されていて、建物もぎっしり詰め込まれている訳ではない。「非常に明るく解放された感じがする」と書かれていたのは、この空間を広さを言ったものなのだろう。考えてみれば25年も前の記事であるので、店を閉めた商店も多いだろうし、それが建て替わって今のマンションが在ったりするのだろう。来るのが遅すぎた気がして、それが悔やまれる。

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 店は開いていないようだが、虎屋の建物は在った。中央部に煙突があるという事は、店舗の裏側に和菓子を作る厨房というか工場のようなものが在るのだろう。

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 廣岳院という曹洞宗の寺。この頁が詳しいようだ。入口から見える本堂の姿が少し変わった雰囲気だったので撮った。

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 道路に面した寺の山門を撮るのを忘れているので、再びこちらの頁を参考にされたい。日蓮宗承教寺とある。このサイトは実によく調べてある。僕はたいして下調べもせずに行ったものだからほぼ素通りしてしまって、道路に面したものしか見ていない。大変惜しい事をした。

左図: そう、この寺には「英一蝶」の墓があるのだ。それはこの立て札を読んで知ったのだが、墓には別段興味がわかなかったので中には入らなかった。しかしそれだけではなく、一蝶の描いた釈迦如来像が在るという事実を上記サイトで今知って、そして今悔しがっている。

右図: そしてこれは門前にある置物。気色の悪い狛犬だなぁと思って写真は撮っておいたのだが、実はこれ「」だそうだ。なぜ妖怪。なぜ件。不可思議だ。

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 こんな感じで、商店街とは呼べない雰囲気で道路を続いていく。25年前には在った店が次々に閉店して行ってる様子が窺える。

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 しかし所々には、レトロに洒落たワインバー(たぶん)があったりもする。蕎麦屋も見かけた。

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 このテイラーは営業を続けている。

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 そしていよいよ、目当てにしていたものが登場した。奥が高輪警察署で、手前が高輪消防署二本榎出張所である。

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 エッセイにも紹介されていたので期待していたのだが、それに充分に応えうる建築物であった。円筒形の火の見櫓が素晴らしい。さっきのサイトにも紹介されているのでリンクしておく。此処も中を見ておけば良かった。後悔一頻り。こういうランドマークが自分の住む町に在のは良いだろうなあ。

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 その後は別に面白くはない。左図の左手の奥にグランドプリンスホテル新高輪の高層階が見えるくらいだ。そして高輪3丁目の信号を右に折れると右図のように再び庶民的な並びとなる。

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そして高輪台の六差路に到着。これにてこの散歩は終わりである。全体を通してみれば、居心地の良い通りだったなあ。

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