DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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Tamaki Ogawa deplored, You are a liar.

 数日前から緒川たまきの事で頭が一杯である。それというのも、2005年に J-WAVE で放送されていたリリー・フランキー TR2 という番組の音源を聴いていたら、その中でトリビアの泉の中の一コーナー「ガセビアの沼」、所謂緒川たまきの「うそつき」コーナーについて話していたので、それで興味を持ったのである。もともと緒川たまきは気になっていたのだがトリビアの泉はたぶん一度くらいしか観た事がなくて、そのコーナーの事は全然知らなかった。それで何となく調べていたら Youtube の動画を見つけて、夢中になってしまった。それ以来脳裏から離れてくれないのである。
 さて、その魅力を言葉で説明するのは無理なので以下にその動画を置いておく。

 いやあ、可愛いなこの人。そりゃあこれは演技である。しかし誰かが言ったように「人の目の在るところでの人間の行動は全て演技である」という事からすれば、これは素晴らしき現実である。こういった場合の正直さなんてものは、この際書いてしまえば怠慢故の我が侭でしかない。人と人との関係はお互いに演じる事で円滑に作用する。それをしないという事は即ち相手に興味がないのである。で、僕はこういうのが出来ない傲慢な人間なのである。

 話が逸れてきたので元に戻す。僕がとても気に入っているのは「ひとしきり笑った後にキッと睨む」パターン。怒った顔がとても美しい。少し様相は違うが、こういった表情の美しさの最たるものは「愛の嵐」の中で、籠城した二人の男女、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングがジャムを取り合って争う場面。結局腕力でジャムを奪い取られたランプリングの憎しみに打ち震える表情が身の毛がよだつ程に美しい。交尾の最中にメスカマキリに喰われるオスカマキリはこんな気分なのだろうか、と訳の解らない感想を持ってしまう。

ハイヒール〜続き

 そう言えば昔、18世紀頃のフランスやイタリアの貴族に関する本を何冊か読み漁っている時に「ハイヒールは、その靴を履く女性の胸や尻を僅かに突き出させ、強調する為に創られた。」というような記述を目にした記憶がある。生きる為に働く必要も無く、ひたすらに享楽を追い求めた人々ならではの発想だが、それに気づき、考案・開発した人間は凄い。靴が女性器の象徴であるとか、ハイヒールの踵は男根の象徴であるとか、そういう回りくどい比喩ではなく、実に直接的な欲求を満たす為に駆使された知力である。
 とは言え、これは本を数冊読んだだけの知識であるので、全体的な歴史的事実がどうなのかは知らない。

 これと似たような事で「首飾りや乳首へのピアッシングは、その金属や宝石の輝きによって、男性の目を自分の乳房に惹き寄せる効果を持つ。」と書かれていたと思う。首飾りはともかく、異性のの感心を買う為には己の身体に手を加える事も厭わないらしい。というか、現代では普通に行われている事なのだが、改めてその精神構造を知ると現代人がどんな呪縛の基に日常生活を営んでいるのか知れて、幾分は楽しく、そして空恐ろしくもあるのである。

ハイヒール

 季節はとうに過ぎ去ってしまっているが、女性が素足に履くミュールはとても好きだ。個人的な好みを言えば、白い素足に黒や紺などの濃い色のミュールを履いてるのを見るのが大好きである。ところが、である。ミュールを履いた女性の足音はどうにも美しくない。踵をホールドしていないせいで、ヒールは恥も外聞もなく地面を打ち叩きパカンパカンと遠慮の無い音をたてる。これは下品である。見た目はあんなにも麗しいだけに、非常に残念な事だ。

 話は少し変わるが、僕が住んでいる部屋の表通りは人の往来が少ない。ましてや夜半を過ぎれば人通りは無いに等しい。そんな中、時折闇に紛れて靴音が聞こえてくる。駅からの帰り道になっているのであろう、靴音のする方角がいつも同じである。そして何故か、聞こえてくるのはハイヒールがアスファルトを打つ音ばかりなのだ。まあ考えてみれば、最近の男性用の靴は柔らかい靴底のものが多いので、恐らく僕がその靴音に気付いていないだけなのだろう。
 それはともかく、そのハイヒールのたてる音が美しい事と言ったら! 僅かに抑制された靴音は、音のくぐもりを突き破るかのように闇に響き渡り、残された余韻は幾層にも重なって耳にまとわりつく。誰がどう考えても実用以外の目的で創られたこの装身具。それが日常で用いられているという事実をどう捉えるのか。それを考えると空恐ろしい気分にならなくもない。

 余談だが、知識としてだけ知っていた纏足。先日テレビで一瞬だけその足を見る機会があった。それはもう、何というか本当に驚愕に値する。

ラジオの声

 休日の午前中は部屋でFMを流している事が多い。しかも目が覚めたらすぐにチューナーの電源を入れる。かと言って直ぐにベッドから起きあがる訳ではない。微睡みの中で、スピーカーから聴こえて来る、低く絞られた音を聴いているのが好きなのである。内容なんか全然聞いていないし、曲もうろ覚え。耳障りの良いラジオの声を聴いているだけで良いのだ。
 しかしこれはAMではダメである。AMの音は不快に感じる。詳しく調べた事はないが、FMの方が断然気持ち良い。例えばこのサイトなんかを読むと、AMはノイズに弱い性質を持ち、FMはノイズに強いという事らしい。しかし、それだけでは説明し切れない部分があるように思える。

 この習慣は高校の時から有る。ラジオが自分の部屋に無い時期もあったから、その間はこの習慣を、自分自身忘れてしまっている。今この部屋に在るチューナーは今年になって買ったものだが、それまで僕の部屋にラジオは数年間無かった。それがある時、何となく自分の部屋でラジオが聴きたくなって、秋葉原に出向いてチューナーを買って来た。それからは時々電源を入れては何となく聴いていて、でも起き抜けに聴く事は無かった。
 ある朝、何となしにラジオをつけて、スピーカーから聴こえてくる音に耳を澄ますと、何とも言えない安心感に包まれるのを感じた。その時聴いていたのは J-WAVE の番組でクリス智子が喋っていた。彼女の柔らかな声が非常にツボであった。それが余りにも気持ち良くて、それからは休日の午前中はラジオの声を聴きながら微睡む、という習慣がついてしまった。そう言えば高校の頃聴いていたのも、FM福岡の朝の番組(確か土曜日)で女性のパーソナリティだった。

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