DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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 七草は前日の六日に準備する。すべてをまな板にのせたらその日のうちに、包丁、杓子、銅杓子、すりこぎ、菜箸、火箸、薪という七つの台所道具で、この順に一つの道具で七回ずつ七草を叩いていく。
 そのときの囃し歌が「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントンと たたきなせえー・・・」というもので、七五調ならぬ四三調でリズムをとる。ワンフレーズがちょうど道具一つ分に相当するわけだ。

歴史の謎を探る会編『江戸の食卓 おいしすぎる雑学知識』KAWADE夢文庫 2007年 p.134

川床カッフェー

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 左が2001年に上洛した折、詳しくは思い出せないが町屋が寄り集まった区域の掲示板に貼ってあったイベントのポスターなのだが、使っている写真がとても気に入って写真にまで撮ってしまった。一体何の写真なのか気になってはいたのだけれど、何の情報も得られないままで、いつしかその写真の事は忘れ去っていた。そして右は、11年後の去年末に再び上洛した折、河原町の商業ビルの入口の柱に、別なイベントのポスターとして貼ってあった。再び興味は再燃したが、やはり何の手がかりも見つけられなかった。

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 そして今年に入って Tumblr のダッシュボードに前述のポスター写真の原型であろう上記の写真画像が流れてきたのだ。ここで逢ったが百年目、まさに狂喜乱舞した僕であるが、流れて来たのは写真だけで、その他には何の情報も得られなかった。

 全体の雰囲気からして、明治大正期のカッフェーであるように見える。客の男は40代から50代くらいの銀行員ではないかと想像する。二人の女給はとても若そうで、着物や髪飾りが派手なところを見ると舞子だろうか。そしてその二人の間に白い欄干が見える。揚屋でこのような欄干を使う事はないと思うので、もっと新しい施設であろう。仮設のものであるかも知れない。そうすると川床であろうか。そして更にその向こうに見える灯りが賑やかで、河床から見た川向こうの灯りだとすると近すぎるので、隣接した川床の灯りを映しているのだと想像する。右側の影になった方の女給の左手には指輪が光り、金属製の盆の上に乗せられているのはずんぐりとした酒瓶。麦酒であろうか。見ていると色々と気になってくるものである。

 長年に渡り繰り返し使われている写真のようなので、恐らく有名なものであるのだろう。僕の当て推量に間違いがないとすれば、その当時のカッフェーの様子を此処まで濃密に映した資料を他に見た事がない。もしかしたら現代になってセットで撮影されたものかも知れないが、それならそれで凄いと思う。何だろうか、この写真は。もの凄く気になる。というか僕が其処に居たい。

 追記 20131115:Patron of Nightclub Uruwashi having his cigarette lit by geisha というのがこの写真のタイトルであるようだ。撮影者は Eliot Elisofon という、1911年生まれの米国のフォト・ジャーナリスト。1962年3月26日にライフ紙に発表されたものであるようだ。

白拍子の舞

 NHK大河ドラマの「平清盛」のオープニング映像に出てくる、白拍子の舞がやたらと格好良いので調べてみたところ、踊っているのはフラメンコ・ダンサーの鍵田真由美とその他であるらしい。どうしてそういう起用になったのか経緯が不明だが、経緯や意図はどうであれ、とても良い。日本古来の舞踊はこんなにも心躍るものであるのかと感心してしまうくらいに。しかしまあ、恐らく本来の舞よりもずっと動的な踊りになっていると予想される。
 で。そう言えば、白拍子という存在については暫く前から(遊女の起こりとして)知ってはいるけれども、その舞については、当たり前だが観た事はない。伝統芸能として伝えられているものでもなさそうだし、取りあえず検索して出てきたものの中で、気になったものを貼っていく。

 これは鎌倉まつりで演じられる鶴岡八幡宮「静の舞」。しかしこれは当時の白拍子の舞を演じているのではなく、たぶん江戸時代辺りに静御前を主人公として作られた長唄の類いのように見える。なんと言っても使ってる楽器が違うので。

 この動画のクレジットに、The 1st music video from a Japanese electronica-club-jazz artist SIENNA (www.sienna-web.com) who is based in Norway. とある。ノルウェイのシエナさんという方の作品のようだが、何故白拍子に興味が在るのだろうと思ったら、ノルウェイ在住の日本人のようだ。( CLICK )White rhythms というのが直訳っぽいので気になったけど、訳し難いと言えばそうか。( CLICK

 桜井真樹子(アクセス出来なかったらこちらを CLICK )という、白拍子の芸能を研究し演じている方が、イスラムの曲を白拍子でカバーしているものらしい。恐らくこれが本来の姿に一番近いのではないだろうか。当然と言えば当然だけど。

凡河内躬恒

 平安時代前期の歌人。百人一首にも収められている一首。

心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花

 まあ、パッと見てもよく意味は解らないんだけど、WEB 上でいろんな人の現代語訳を読んでみると、だいたいこんな感じ。

 初霜が降りて真っ白な庭に、見分けがつかないほど白い菊の花を探して、あてずっぽうに手を差し伸べて折ってみようか。

 これは単に訳しただけなんだけど、意味らしい意味なんてないんじゃないかという気がする。言い換えれば、そんな事を求めては詠んでいない気がする。下の降りた庭と、白菊の白さにただただ感嘆しているのじゃないだろうか。見分けが付かないのに手を出すなんてちょっと馬鹿げた行動だけど、そんな子供染みた事をしてしまう程にその白さは美しかったと。あ、こういう意味なのか。

今生の別れ、その言葉たるや

 今放映中の ” JIN -仁- ” の第五話のラストにこういう場面があった。梅毒を患い末期の症状に苦しむ女郎を救おうと、江戸時代にタイムスリップした現代の医者が、当時には存在しえないペニシリンを用いて治療を施す。しかしペニシリンの精製が間に合わず、とうとう患者は最期を迎える。そして今際の際に女郎はこう呟いて、手を合わせたまま息を引き取るのである。

みなさま・・・ありがとう。けんど・・・苦しむことにも飽きなんした。堪忍しておくれなんし。・・・おさらばえ。

 凄く印象に残る場面であったので少し検索してみたところ、同じように思う人はたくさん居るようで、数多くの記事がヒットした。特に「おさらばえ」の言葉が反響を呼んでいるようだ。僕にしても、なんと美しく響く言葉だろうかと打ち震えた。言葉を分解してみれば「それならば・それでは」という意味の「然らば」の頭に「御」を付け足し、尾に女性言葉の「え」を付け足した単純な言葉であるのだが、導き出される情感は果てしがない。
 どうしてこんなにも美しい言葉が日本の社会から失われてしまったのだろうか。いろいろ調べてみると、どうもこの言葉は武家若しくは郭の女性が主に使っていたようで、時期を異にすれどもどちらも解体された階級若しくは職場であるので、そのタイミングで失われたのだろうか。惜しい事です。情感溢れる古の言葉は、近代化や合理化に馴染む事が出来ずに風化してしまったのかも知れません。そしてそれと共にある種の美しさをも失ってしまったように思える。

 挨拶というのは大変美しいものだと思うのだけれど、それをしない人もたくさん居る。他人の事情は想像を以てしても知る事はできないが、挨拶なくして一体何時、好意や感謝を伝える事が出来るのだろうか、とも考えるのである。

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