DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: tokyo (page 13 of 15)

山手線沿線を歩く(大塚〜池袋)

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陸橋〜小径: 大塚駅からすぐの陸橋を越え、商業地域を過ぎた辺りに本道から逸れて行く微かな、それでいて魅惑的なY路地が在った。そこはやはり線路沿いを道を選んだのだが、其処にはもう素晴らしい小径が伸びていた。左手には路線の敷地と公道を仕切る金網。右手には民家の塀代わりの金網。しっかりと舗装された道の路肩には背の低い雑草が生い茂っている。此処も早朝か真夜中に歩いてみたいなあ。
 こんな道でも人と擦れ違うのだが、彼らは一様に目を伏せがちに歩いている。それは何処の小径でもそうだったのだけれど、やはり裏通りというのは人をうらぶれた気分にさせるものなのだろうか。

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路線両側の高台の風景: この辺は住宅が多い。線路沿いの道をスタスタ歩いていると、小学生の駐輪場と化した公園だか広場が在り、その先には古木に玄関を浸食された住宅が在り、更に進んでいくと庭の植物に水をやる中年男の表情からそこが行き止まりである事が判った。仕方なく道を戻り、横道に入って抜け道を探した。
 再び線路沿いの道に出る直前に在る民家の壁には、無駄に展開された消費者金融の看板。この民家、この写真では判りにくいが、軒の柱に使用した飾り造りのブロックを故意にずらして積んでいたりして、なかなか面白い意匠を凝らした民家であった。

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増殖する視線: だんだんと池袋に近づくにつれて歩行する人々に対する訴えかけのような物が増えてくる。飼い犬に用を足させる事を禁ずる手作りの札。実はこの直ぐ上にも同じ内容の今度はアクリル製の札が取り付けられていたりする。その先の、自動車道に出る手前に在るスナックはこれ以上ないくらいにシンプルな店名で、入口の周りは物置なのか飾り棚なのかよく判らないくらいに混沌としている。
 陸橋手前の柱には一体何に対するアジテートなのかよく判らないビラが貼り付けられていて、その陸橋から池袋方面を見遣れば、それはもう正にメトロポリス。

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池袋駅前公園: 本来ならばここには池袋駅の駅名を撮った写真が配置されるべきなんだけれども、大ガード付近の金属と油とコンクリートで造られた異形にすっかりテンションが上がってしまった僕は、そのまま浮かれた気分で歩いていたので撮るのを忘れてしまったのである。

山手線沿線を歩く(巣鴨〜大塚)

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線路脇の歩道: 巣鴨駅から直ぐの高台の上の歩道にはこのように自転車がたくさん駐輪されているのだが、無法地帯という印象はあまりない。秩序というより節度を持って勝手に駐めてあるように見える。きっとこのような光景も「悪い景観」として括られてしまうのだろうけれども、線路と金網と自転車と落ち葉の組み合わせがなかなか宜しい。「悪い景観」を廃除しようと目論む人々は恐らく、抑制と合理化を念頭に置いて思考しているのであろう。都市構造や建築物をデザインする人間としてそのような考えを持ってしまう事は十分理解出来るのだが、己以外の人間の欲望を無視しているところが鼻につくのである。

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陸橋からの眺め: 両脇を樹木と建物に囲まれた谷底を走る線路。この日、この時間のこの場所からの眺めが一番美しかった。陽が傾きかけた頃、金色に輝く木々の葉が揺れ、鈍色の線路の滑走する銀色の車体が真っ直ぐに伸びていく光景は素晴らしい。

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山の手ゴルフ: という名前の施設ではない。線路脇の高台に在る打ちっ放し施設。立地が立地だけに敷地は狭い。此処の利用客というのは一体どういう客層なのかと思い覗き込んでみるが、特別変わったところのない人々であった。巧い具合にネットと広い帯状の雲と太陽が重なっていたので写真を撮った。施設の右側には車道とはとても言えないくらいの狭い道が在り、この近辺では何組もの散歩者と擦れ違った。車の通りは少なく非常に歩きやすい環境だからなのか、人気があるようである。

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大塚駅: 駅前の、というより駅のホームから見た視界の広がり方が高円寺の駅に似てるなあといつも思う。その逆も然り。改札を出てからの町の構造は違うのだけれど、目に飛び込んでくる光景は同じ雰囲気を持っている。

 この区間の線路脇の道は非常に安定していて歩きやすい。散歩者も多く、友人同士らしき年老いた女性達や、若い恋人達などが歩いていた。

山手線沿線を歩く(駒込〜巣鴨)

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ただならぬ空き地: 巣鴨駅からよちよちと線路沿いの道を歩いていくと、二本の道が交差する角地に、つい最近建物が取り壊されたであろう更地があった。しかしながらただの更地とは違い、綺麗な砂利が丁寧に敷かれてあり、島を造って赤い植物が植えられていた。うっかり何の植物なのか確かめるのを忘れてしまったのだが、色からしてポインセチアなのだろうか。写真では解り難いが、実はこれ平面的にはハートの形をしている。僕の趣味ではないが、楽しそうである。

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迷い鳥のマーチ: 飼い主の愛鳥への思い入れが裏目に出ている気がしてならない張り紙。飼い鳥が居なくなってしまい、飼い主はさぞ切実な心情であろうかとは思うのだけれど、子細な情報を張り紙に盛り込む時点で「これ作ってる時は楽しかったんだろうな。」と思わせてしまうほどの懲りようである。

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付け足す事に因って損なわれる何か: 何故なのだろうか。こんなにも狭いスペースへ「ビル」と無理矢理入れたばかりに全てを台無しになってしまう事に、施主は気付かなかったのだろうか。「ラウンドブリッジ」で良いではないか。確かにそれでは意味がよく解らない。しかしそのたった二文字のせいで、いつかこの建物が崩壊するまで「ビル、小さいなあ。」とかずっと気にしなくてはならない事に比べれば、何かしらの不都合があったとしても諦めるべきではなかったのだろうか。ああ、心配だ、僕とは全く関係ないのに心配だ。

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切実な禁止表示: さすがにここまで並べたら誰も駐輪したりはしないようだ。しかし、何処となく切ない感じがする。誰も居ないのに、必死に何かを訴え続けようとしているその佇まいが切ない。
 少し違うが、以前に仕事で長野に行った時の事。仕事を終え、何処かでしこたま呑んだ帰り道。確か市街地から少し離れた場所に在る工場のような建物の屋上にネオンサインが設置してあった。既に真夜中で、車も人も誰も通っていない県道の脇で、真っ黒な夜空に向かってチカチカと点滅するネオンの光は、呼応する相手を持たないが故に大変切なかった。何となくそれに似ている。

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巣鴨駅: 結構な賑わいを見せる駅前。振り返ってみて、これまでの区間とは違って変なものにばかり目が行っているところから察するに、見るべき風景はあまり無かったようだ。この区間から暫くはずっと高台の上の道を歩く事になり、変化に乏しいのがその要因の一つなのだろうけれど。

山手線沿線を歩く(田端〜駒込)

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崖っぷちな小径: 田端駅(谷底)から前へ進もうとすると一度左側の高台へ登らねばならない。つまりあの駅舎へ行くのに皆高台から降りてくるのだ。で、その坂道というか緩やかな階段を登っていると、ふと右側に妙に狭い、公の道だとはとても思えない通路のようなものが在り、非常に興味をそそられた僕は嬉々としてそちらへ歩を進めた。何しろその小径の佇まいが大変宜しい。
 回廊のように絶壁を巡る小径はやがて行き止まり、そこから狭い石段で高台を登る。そしてそれは、近所に住む人でなければ気付かぬような場所へと続くのだ。一体どのくらいの人がこの道を必要として作られた道なのか。部外者である僕には窺い知れないが、この場所で毎日を過ごす人でなければ持ち得ない利便性が在るのだろう。

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ポロック・ガレージ: 高台の上の正規の道路に出、山手線が大きく左へカーブするまでの直線を進んでいると、これまた妙な家屋が見えてきた。下町で良く見られるような個人商店の4枚の引き戸が入口となっているよう雑多な物が積み重ねられている。この写真では確認し辛いが、それらは一葉にジャクソン・ポロックの絵画から深みを取り除いたような色彩のスパッタリングが施されている。装飾の為に施されたであろう着色は、言わせて貰えれば余計にガラクタ感を助長しているようにしか見えない。表札に見える物があり、それに拠れば何かのスタジオであるようなのだが、一体何を作っているのだろうか。

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山の手ソープ: 山手線に乗って車窓を眺めていると必ず目に留まるソープランドの看板。山手線沿線道路の、建物の影に隠れる事もない、非常に開かれた場所で営業している。そんな立地だと宣伝効果は勿論絶大だろうけれど、非常に入店しにくいのではないだろうか。総額表示もかなり低い値であったが、そういう問題じゃないような気がする。因みに僕が住む町から二駅分登った線路脇の道沿いにも同じような立地のソープランドが在る。そこも安い。でも客が出入りするところを見た事がないのである。

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駒込駅: この駅も改札が2箇所在り、一つは写真に在るように大通りに面した比較的新しい駅舎に在り、もう一つは商店街直結するように存在する鄙びた駅舎(ガード下)に在る。当然のように僕はその鄙びた方の改札が好きなのだが、何故か今回はそちらを撮っていない。何故だったのだろうか。たぶん西日のせいで写真を撮るには不向きな状況だったのだろう。しかしながら、その改札の近くに在る中華料理屋で炒飯は食べた。その店には何度か行っていて、そこの炒飯とおまけに付いてくる若布スープが好きなのだ。

 部外者には窺い知れない都合に拠り形成された町の造形というのは、その理由がはっきり理解出来ないが故に僕を魅了する。出来るだけ多く、そういう場所に巡り会いたいものである。

山手線沿線を歩く(西日暮里〜田端)

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空見坂: 実際にそういう名前な訳ではない。僕が勝手にそう呼んだだけである。西日暮里の駅から続く緩やかな坂道。左側は更なる高台になり、右側の大きく開けた空の下に山手線の路線が走る。この写真を眺めながら思ったのだけれど、この坂道は朝焼けとか夕焼けの時刻にとても素晴らしい眺めになるような気がする。坂道の在る暮らしって良いなあ。

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蜜柑坂: これまたそういう名前な訳ではない。夏蜜柑だと思うのだが、よく実っていた。この写真を撮る少し前まで、僕より少し若いツーリングの途中であろう自転車に乗ったカップルが、この木の下で記念写真を撮っていた。何故こんな場所で、とも思ったのだが、僕だってしっかりと写真を撮っているのだから人の事は言えない。何となくだが、あのカップルはブログを運営していて、このネットの何処かにこの蜜柑の木の下で撮られた写真が掲載されているような気がしてならない。もしそうだったら少し楽しい。

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空見専用椅子: どう見ても室内用の事務椅子が、捨てられているのではなく、置かれていた。想像するに、近所に住む或る老人が、毎日高台からの空景を眺める為に何処ぞから引っ張ってきたのだろう。春夏秋冬、晴れた日の午後には、水筒を持参した老人がこの椅子に腰掛けて日がな一日空を眺めているのだ。この季節では、透明な空の色の微かな変化や、散りゆく落ち葉の軌跡を幾重も眺めて過ごしているのだろう。そういう老後って良いなあと、憧れたりする。

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ジャングルボール: 坂道を登り切った場所に或る公園。その中にこれまで見た事のない形状を持ったジャングルジムが在った。まるでサッカーボールのようである。公園内には三組ほどの家族連れが遊んでおり、彼らの面前でいい年した男がジャングルジムに挑み掛かる姿を見せるのも何なので、眺めるだけにしておいた。形状を観察してみれば、大人であればまだしも子供にとっては非常に登りにくいジャングルジムではないだろうか、などとどうでも良い事を考えていた。

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田端駅: 線路の反対側にはもっと立派な駅舎があるのだが、僕はこっちの方が好きだ。この、何というか見事に冴えない感じがとても良い。窓らしきものは塞がれているわ、電気配線は露出してるわ、入口の横には堂々と見窄らしい倉庫が在るわで都心に或る駅だとはとても思えない。しかしそれが良いのである。毎朝毎晩、この駅を利用して通勤するのは一体どんな気分なのだろうと想像して、また楽しい気分になった。

 この区間には商業的な施設が少なく、それ故に閑静であった。競争や顕示欲の磁場から逃れた空間を歩くのはとても気分が良いものである。

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