DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: philosophy (page 10 of 11)

左様なら、そうであるなら、さようなら。

 此処を読んでいて思い出した。

「さようなら」「じゃまた」でなく「今度」でもない。「さようなら」は諦めの言葉なのです。相手の事情を理解して、一歩退いた上での別れの挨拶なんですね。

 昔、7年くらい前。誰かの日記サイトで同じ様な文章を読んだ記憶がある。「そういう事情であるのでしたら、私は立ち去りましょう。」そういう意味だと書いてあった気がする。当時の僕には目から鱗であった。それまでの僕が、人と会い、離れる時にどう挨拶していたのか、今一つハッキリ思い出せないが、その文章を読んで以来「さようなら」という言葉を使う事に神経質になった。二度と会いたくないとか、二度と会えないだろうとか、そんな事を思ってもいないのにその言葉は使えない。ましてや、もう一度会いたいと願う人に対しては思い浮かびもしない。

 時折、「じゃあ、また。」というニュアンスで「さようなら。」と挨拶する人と出会う。それはただの習慣の違いだと思っているので、その事について何か批難めいた事を言ったり、どういう意味なのかと尋ねたりする事はない。思い返してみれば、小学校の時は「帰りの会」が終わった後に「先生、さようなら。みなさん、さようなら。」と言うように教えられたではないか。しかしやはり、好きな人に「さようなら。」と言われると、「永遠にさようなら。」と言われているような気分になって、言いようのない不安を自分の中に見つけたりするのである。

Isamu Noguchi

 東京都現代美術館のイサム・ノグチ展にて購入したDVDを観た。その中で、彼のデザインした提灯を模した照明「AKARI」についてこう語っている。

紙の提灯は壊れても、また新しいものに取り替えられる。私はこの概念を日本に教わった。過ぎゆくものを慈しむ心。いずれ人生は終わり、桜の花は散る。そこに残るのは芸術と命なのだ。

 これと似たような言葉を、昔テレビで見かけた事がある。確か北欧を紹介する番組で、国はスウェーデンかフィンランドだったと記憶する。我々が普段目にする欧州の教会は、通常は重圧で頑強な石を使って建てられる。しかしその国の教会は木造だった。教会などは何十年も何百年も壊れてしまわないように、石で建造するのが普通の考え方ではないかという問に、木造の教会で神に仕える牧師はこう答える。「形あるものは全て朽ち果て、壊れてしまうものだと私達は考えている。しかし、教会が朽ち果てても、そこに信仰は残るのだ。」僕には、その考えはとても東洋的なものに思えた。しかしその発想は、明らかに間違った認識であるようだ。

ブラッサイ – ポンピドゥーセンター・コレクション / 東京都写真美術館

 ブラッサイの写真展を観てきた。ブラッサイは「夜のパリ」と「昼のパリ」の写真集しか観た事はなかったのだけれど、今回の展覧会ではその他のシリーズも観る事が出来て良かった。私が得に気に入ったのは「落書き」のシリーズ。壁を石で削って描かれたその落書き達は、その深遠な表情と声ならぬ声で観る者に語りかけてくるようだ。ブラッサイはこれらの落書きを「時間のもたらす風化を確認するために」数年間に渡って繰り返し撮影されたそうだ。

 ブラッサイは、やはり夜を撮った写真が好きだ。絶妙な光加減でパリの街やそこに佇む人達を浮かび上がらせる。本展のコミッショナーであるアラン・サヤグ氏のコメントにはこうある。

 ブラッサイは一度もスタジオを持ったことがない。ルポルタージュやモード、あるいは広告にもまるで関心がなかったし、また、事故や犯罪の現場に駆けつけることもなかった。彼はセンセーショナルな出来事を嫌っていた。(中略)ブラッサイは世の中を凝視する人間であろうとし、またそうであることに深い喜びを感じていた。彼は儚いものを越えて、永遠なるものを引き出し、不変の規範をそこに与えた。

(夜を撮った写真とは余り関係のない話になってしまったが)写真表現が成立する理由として、それだけを全面的に支持する訳ではないが、人間の欲求としてそれを全面的に支持する。荒木経惟も同じような事を言っているが、彼は舞台を創ったりもする。森山大道や中平卓馬はどうだろう。考えれば切りがない。別に批判をしているのではなく、僕が自分の中で区別整理したいだけなのである。今自分が見ている世界や人々以外に凝視すべきものなど有り得ないし、そうであれば、何をどうすれば良いのだろう。写真に限らず、それは僕の命題であるように思われる。

ヘルタースケルター / 岡崎 京子

 誰か(それが特定であれ不特定であれ)の視界から外れる事、つまり忘れられる事への恐怖は、人に驚くほどの刹那的な行動をとらせてしまう。勿論個人差はあるし、それとは逆に視界から外れる事に安堵し、それを望む人も居る。これらを「欲望」という言葉で表すのは少々違和感があるのだが、本作に倣って「欲望」としておく。欲望に駆られた人間の姿は、グロテスクである。自分の欲望以外には何も見えなくなっているのだから当たり前だが、周囲に不安や不快感を呼び起こして、それでも闇雲に前へ進もうとする。「欲望」を止める事は出来ない。何しろ「欲望」という力に「人間」がドライヴされているのだから。周囲の人間はただ呆然とたちすくみ、眺めている他はない。その姿を見る事に耐えられない人間は、目を、耳を塞いで時が過ぎ去るのを待つのみだ。

 この本の最後。To be continued. になっているが、岡崎京子はこの後の構想があったのだろうか。あるのならば是非読みたい。この本は事故に遭う直前に執筆されていたものらしい。彼女の回復の吉報も耳にしているので、何年後になるのかは判らないが、首を長くして待つ事にしよう。因みに「欲望が人間をドライヴする」という行は、何処かの小説の一節からのパクりだ。

参議院選挙には甘い果実を添えて

 昼一で行って来ました。黄色いTシャツにカーキ色のパンツにサンダル履きで、近所の小学校まで。前回の衆議院選挙の時には有権者の近所の住人の人々が投票を並んで待っているほどだったのですが、今回は僕を含めて5人くらい。雨も降りそうだったし、皆午前中に済ませてしまったのでしょうか。
 比例代表制の名簿に喜納昌吉の名前を見つけました。そう言えばそんな事言ってたっけな。僕はこの人の名前を見ると、ずっと以前に何処かで読んだ逸話を思い出します。かなりうろ覚えですけどね。
 地元でミカドというクラブを経営していた彼は或る日、沖縄県警の摘発を受ける。麻薬不法所持。当時大麻がクラブ内に蔓延していたという。しかし彼は独りで罪を背負い、沖縄刑務所へ入獄する。同年に沖縄は日本国へ復帰する。しかし当時の仲間は誰一人として面会に来なかった。それどころか皆姿を消してしまった。彼は仲間に裏切られ、絶望の淵から突き落とされる。獄中での彼は哲学書に救いを求めたという。翌年、出所。それから数年後に彼は ” 喜納昌吉 & チャンプルーズ ” を結成する
 僕は彼の作る音楽に心酔している訳でも、彼の活動に諸手を挙げて賛同している訳でもない。しかしこのエピソードが、彼を何処ぞで見かけた際にはいつも思い出される。どんな男なのだろう、とその事だけをいつも考えている。

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