DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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 特に現代美術館は、現代、同時代のアートを《新しさ》の生産として見せる空間である。同時にリアルライフのの中に存在し、《現代社会や日常に揺さぶりをかける》場所でもあるのだ。例えばミシェル・フーコーは、あらゆる他の場所関係しながらも同時にそれらとは矛盾する奇妙な場、日常生活から逸脱する《他なる場 (outer spaces)》としてユートピアとヘテロトピアを挙げる。ユートピアは現実に存在しない思考の中の空間であるが、ヘテロトピアは実際の施設や制度の中に現実に存在しながら、人びとを現実から運びさる場である。日常の生活に根をおろしていながらまったく異質な空間として、フーコーはミュージアム、図書館、オリエントの庭園、アミューズメント・パーク (fairground)、植民地、売春宿、船などを例として挙げる。そこで、ヘテロトピアはモダニティの周縁的な場として、モダニティの閉じた状態と確実性を常に崩壊の危機にさらすものとして論じられている。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 pp.77-78

 表現主義的な絵とインダストリアル・ミニマルの彫刻が好きなドイツ、オーガニックで官能的で、それが洗練された中庸の域を出ていないことが肝要なフランス、その間をとっているのが、奇妙さとかわいらしさ、グロテスクが混在するスイスである。そして《絵画》と《彫刻》が好きで、美術館での《学習》が趣味となっているアメリカ、音楽やダンス的な要素、トロピカルバロックが好きなブラジル、同じ傾向にありながら、浪花節的感情表現が入ってくるのがトルコ。記憶や物語、そしてミュータント的な人工生命の好きな韓国、とにかく巨大で壮大なテーマの作品と人間の身体モティーフが好きな中国。かわいくて感覚的、清々しいかグロテスクかのどちらかで、テクニカルに精巧にできている作品が好きな日本。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 p.60

 彼は常に《食べる》ためのサイト(場所)を重視する。このときは日本であり、生産の場として彼を魅了したのは、最大のファクトリーシップの一つである捕鯨船だった。鯨を捕獲したあと、それらはすぐに解体され、長い船旅に耐えられるように加工され、保存される。捕鯨船は、通常の漁船とは違う。バーニーから捕鯨船、しかも調査捕鯨の最大の捕鯨母船「日新丸」と聞いたときには、目の前が真っ白になった。「どうやって借りる? そんなものをーーー」水産庁の担当者を訪ね、ジーンズとパーカー姿で「nisshin maru …」と呪文のように唱えるバーニーを横に置き、「この方は若いが、ミケランジェロに匹敵するアメリカの偉大な彫刻家で、船の上で彫刻を制作し、これを映画に撮ろうとされています」と、ある限りの立派な厚い彼のカタログを広げて説明した。アメリカ人ではあるがグリーンピースの関係者ではないことを証明するのも大変だった。偉大な芸術のテーマとなることで捕鯨の価値や美学の見直しに貢献することを強調して説得し、幸運にも協力を得られることになった。これは今日にいたるまで私の最大の交渉の成果となっている。ただ、それはほんの始まりの一歩だった。その後、捕鯨基地や、鯨にまつわる信仰や儀式の残っている場所、熊野や伊勢、他の場面のロケ調査を含め、北海道から鹿児島までまさに列島縦断の調査を行った。この過程で、神道や、自然と人間のアニミスティックな儀礼、茶道などの文化や思想に触れ、これを横糸に織り込んでいったのである。
 彼の心をとらえたのは、なぜヒトと同じように鯨の胎児を埋葬し、墓碑をたてるのか、なぜ、そこまで人間と対等に尊敬する対象を《食べる》ことができるのか、という点だった。日本刀の刀鍛冶の人間国宝を訪ねて奈良の山中を訪れたとき、彼が見ていたのは日本刀ではなく長刀だったし、金沢の茶の師匠の点前に彼が見ていたのは、茶碗の回転の角度だけだった。これらの独特のフォーカスは、バーニー独特の味わい方を反映しており、彼はどんな対象からも何かを貪欲に摂取していた。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 pp.50-52

 アートはメタファーの場、第三の場所とでもいえる領域である。人間だけが何のために自分が生きているのかについて考える。その解が欲しくて、人間は最初に神をつくり、そして別の答えを求めて科学を発達させた。科学が宇宙と生命の原理を解いてしまったとき、最後に、脳や意識の問題と、そこからの曖昧な産物である芸術や哲学がこれに付随して残った。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 pp.38-39

 キュレーターは、得体の知れない含意と奥行きを秘めた、時を超えた芸術作品(マスターピース)と、表象批判の先鋭のような実験的な作品(カッティングエッジ)をともに扱いながら、現在にそれらが存在することの意味を、展覧会として問いかける。観客や批評界からのフィードバックをもとに、新たな芸術表現を次々と歴史の通時的な軸の中に組み込み、文脈化していくのだ。一方で巧みなテーマ立てや作品の選択、ディスプレイ、場の設定で、鑑賞者を誘惑し、心身ともに鑑賞体験、参加体験に没入させるさまざまな専門知識と戦略をもつ。人びとの意識を変えるという確信犯的目的に基づき、視覚を通した集合意識、集合記憶をすくいとり《文化》としてフォーマット化し、次代に接続しようとする善意の歴史家。それがキュレーターである。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 pp.24-25

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