左が2001年に上洛した折、詳しくは思い出せないが町屋が寄り集まった区域の掲示板に貼ってあったイベントのポスターなのだが、使っている写真がとても気に入って写真にまで撮ってしまった。一体何の写真なのか気になってはいたのだけれど、何の情報も得られないままで、いつしかその写真の事は忘れ去っていた。そして右は、11年後の去年末に再び上洛した折、河原町の商業ビルの入口の柱に、別なイベントのポスターとして貼ってあった。再び興味は再燃したが、やはり何の手がかりも見つけられなかった。
そして今年に入って Tumblr のダッシュボードに前述のポスター写真の原型であろう上記の写真画像が流れてきたのだ。ここで逢ったが百年目、まさに狂喜乱舞した僕であるが、流れて来たのは写真だけで、その他には何の情報も得られなかった。
全体の雰囲気からして、明治大正期のカッフェーであるように見える。客の男は40代から50代くらいの銀行員ではないかと想像する。二人の女給はとても若そうで、着物や髪飾りが派手なところを見ると舞子だろうか。そしてその二人の間に白い欄干が見える。揚屋でこのような欄干を使う事はないと思うので、もっと新しい施設であろう。仮設のものであるかも知れない。そうすると川床であろうか。そして更にその向こうに見える灯りが賑やかで、河床から見た川向こうの灯りだとすると近すぎるので、隣接した川床の灯りを映しているのだと想像する。右側の影になった方の女給の左手には指輪が光り、金属製の盆の上に乗せられているのはずんぐりとした酒瓶。麦酒であろうか。見ていると色々と気になってくるものである。
長年に渡り繰り返し使われている写真のようなので、恐らく有名なものであるのだろう。僕の当て推量に間違いがないとすれば、その当時のカッフェーの様子を此処まで濃密に映した資料を他に見た事がない。もしかしたら現代になってセットで撮影されたものかも知れないが、それならそれで凄いと思う。何だろうか、この写真は。もの凄く気になる。というか僕が其処に居たい。
追記 20131115:Patron of Nightclub Uruwashi having his cigarette lit by geisha というのがこの写真のタイトルであるようだ。撮影者は Eliot Elisofon という、1911年生まれの米国のフォト・ジャーナリスト。1962年3月26日にライフ紙に発表されたものであるようだ。
November 12, 2013 at 21:32
僕も一瞬でこの写真に心惹かれてしまいました。幇間でしょうか。気になったので調べてみると、どうやら2011年10月22日のエコノミスト(雑誌)に掲載された写真のようです。日本人の喫煙(煙草文化)についての記事だったようです。一応リンクを張っておきますね。
http://tamaeigo.blog.so-net.ne.jp/2011-10-28
November 13, 2013 at 14:14
お久しぶりですね。幇間ではないと思いますが、よく見つけましたね! 海外の雑誌社の人間も知っていて(若しくは見つけやすくて)、且つ使用許可を取りやすい写真なんでしょうね。何処ぞの新聞社(国外かも知れません)の記者が撮った写真であるとか、そんな気がして来ました。
November 14, 2013 at 19:19
小生も炉画像の出所をさぐるようにgoogle画像検索してしまいました。
1946年の京都…
なぜかシナのサイトばかりがヒットして、
こいつはシナ人が再現した日本か
はたまた魔都上海の残影かと
うたがいたくもなりました。
November 15, 2013 at 16:54
うーむ、そういう情報が出てきましたか。Google の、画像をアップロードしてやる検索である程度調べがついたんですが、少し違いますね。
http://www.art.com/products/p13870927-sa-i2775728/eliot-elisofon-patron-of-nightclub-uruwashi-having-his-cigarette-lit-by-geisha.htm
上記は海外のポスターを売ってるサイトなのですが、該当の写真も売られていました。「 Patron of Nightclub Uruwashi having his cigarette lit by geisha 」というのがこの写真のタイトルで、撮影者は Eliot Elisofon という、1911年生まれの米国のフォト・ジャーナリスト。1962年にライフ紙に発表されたものであるようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Eliot_Elisofon
ナイトクラブのオーナーではなくパトロンとは、どういう形態の店だったのでしょうね。外国人向けだったとかでしょうか。「 Nightclub Uruwashi 」で検索してみましたが、何も見つかりませんねぇ。
November 16, 2013 at 08:51
なるほど――などといって自分の直観を正当化するわけじゃないんですが、
なんだか魔都上海のような気がしたのは――よそもののメリケンの視点で
この写真が撮られているからなんですね…
"musume" という単語はフランス語になっておりますし、
”hentai" もエロアニメをあらわす共通語に定着してひさしいですが、
"uruwashi" も そのたぐいでしょうかね? 「宵町」 をあらわすような…
ただし被写体は芸者というよりも芸者がひどく頽廃したような
たとえば荷風でおなじみのカッフェーのようにみえなくもないですね。
November 16, 2013 at 15:29
揚屋でこういう照明の焚き方はしないでしょうから、そう見えても無理からぬ事です。それに、上海での写真だと考えた方が面白い。何となく、僕が彼方此方で見る舞子や芸子とは身につけているものが少し様子が違う気がしますし(たぶん指輪はしないと思われます)、芸子コスプレのナイトクラブなのかも知れません。
それにしても、ライターの火に照らされた芸子の肌が艶めかしい。あの白粉を叩いた肌は、本来こういう心許ない灯りの下で眺めるものなのでしょうね。
フランス語で言うところの musume とは、young lady のような意味合いなのでしょうか。uruwashi についても、そのような事があるかも知れないですね。銀座に「 Uruwashi 」という倶楽部が在るようです。
http://r.gnavi.co.jp/g175200/lang/en/
それと、uruwashi という言葉を知っていて、意味を知りたがる外国人も存在するようですね。
http://www.ask.com/ja-question?id=200135821&isSeo=1&ouri=/answers/200135821/ja-question&q=&o=0&l=dir&jss=1
November 17, 2013 at 11:10
"musume" はことばどおりの意味ですね。
"uruwashi " は日本語の意味をはなれた隠微なニュアンスで外国人すけべ野郎たちの
鼻口をまどわせているのかもしれませんね.、わが国のかつてのトルコ風呂みたいに…
ただ本物の妓楼でないとすると、なぜ京都がこの写真を大々的につかったのかという
そもそもの疑問がわいてきます。
真贋はともかく外国むけのジャポニズムの発露にもってこいの画だったからか?
トルコ風呂といえば、ちかごろ東京ではチャイエスの格安さゆえ
さもしいスケベ野郎どもは鴬谷の日本人店によりつかなくなっているようです。
とはいえチャイエスにかようスケベ野郎どものブログがじつにおもしろく、
おのれの記事がもとで店を限定されてガサいれの対象にならぬよう、
またサーヴィス内容を明言せぬよう蟻蟻やSPなどの隠語をもちいながら、
また性隷と化して週に1度の休暇もあたえられぬシナ女たちの
100円ショップで買った植物をそだてることが唯一のたのしみだとかの
哀歓をかもした観照のもとで記述されてゆく。
ここに焦点をあてたら、あるいは第2の濹東綺譚が書けるかもしれぬと
ひそかに注目しておりますが、いやはや芸妓から話が大幅にそれて申しわけありません。
November 17, 2013 at 16:05
musume は言葉通りですか。不思議ですね。tsunami や hentai などは、日本特有の環境や文化を差していますが、娘は何でしょうね。昨今持て囃されている低年齢女子アイドルとか、あの辺りのニュアンスなんでしょうか。uruwashi は何となく、そのような気がしますね。
左側の写真は「 World Kyoto 」などと銘打ってありますし何の告知なのかよく判らなかったんですが、去年末に河原町で見たものは、英語混じりで書かれたクラブイベントか何かだったと思います。そのような人達なら、伝統文化を外から眺めたジャポニズムを好むような気がしますね。僕も結構そういうの好きです。今は余り見かけませんが、高校生くらいの頃に本屋の洋書コーナーで見かけた外国人向けのガイドブックなんかの雰囲気が好きでした。京都の風景を撮った写真やイラストに被せるように、大きく「 KYOTO 」とか「 BONSAI 」とか書かれてる本を、僕は単純に格好良いなあと思っておりました。
僕も一時期その手のブログを読み漁ってましたよ。たぶん3・4年前だと思いますが、その頃はアジアンエステと呼ばれていましたね。そういう人達は同好の士でリンクし合ったりしているので、たまたま見つけた一つのブログから芋づる式に読んでました。ただし、文章が下手だとか、話が面白くないだとか、更新がなさ過ぎるとか、だんだんと読むブログが絞られてきて最後には一つになりました。しかしそのブログも今では更新していません。
貴殿がその辺りの話を書けば面白そうですね。やはり舞台となるのは日暮里や鶯谷でしょうか。それらの街に限らず東京中に散在しているようですが、領域を決めておいた方が情景を書き出しやすそうですね。
November 24, 2013 at 18:42
いや~ひどい風邪でぶったおれておりました。妻にうつしてようやく恢復したしだいです。
むかしからその手のブログも読まれていらっしゃいましたか!!
どうやら2011年に壊滅的な摘発があったようで、日暮里・鶯谷近辺も根こそぎやられて、したがってブログもそのあたりで更新がとまっているものが多いようですね… さいごの砦は高田馬場か?
「濹」という隅田川をあらわす造字を江戸時代の文献にみつけて、題材うんぬんよりもその字によって俄然荷風は小説を書く気になったようですね。それにしても(趣味と実益をかねて)単身玉乃井にかよういつめる荷風のあのルポルタージュの日々はじつにスリリングです。
高田馬場は神田川の南です。むかしは平川とか蟹川などともよばれたようですが、それこそもっといかした造字でもみつかればと調査しております。
まあべつにspとか蟻蟻とかなくてもいいから、新橋・八重洲のみだらな “異境” のシナ女性との交情を、7年後のオリンピックによる “異境” の強制的消滅の予感とともに書くのもよいでしょうがね。
November 24, 2013 at 22:44
ほう、貴殿も病気したりするんですね。雨の日も走っているくらいなので、結構頑強な身体の持ち主だと思っておりましたが。その風邪が元々奥様から伝播したものだという事はないのでしょうか。
2011年にそのような事があったんですね。壊滅的とは言わないまでも、去年吉原と雄琴に摘発があった事は噂として耳にしています。しかし高田馬場ですか。何度か赴いた事がありますが、そのような領域を目にした事はありませんでした。そもそもが「馬場」ですからねぇ、あまり色っぽい名称は出てこないような気がします。それより現在は何がどう影響してその場所に集まったのかが気になります。
オリンピックに照準を合わせてきましたか。色々な場所が失われるタイミングですね。それを書くなら、今後七年間はそれらの街をつぶさに歩き回って見聞きする必要があるでしょうね。その手の話とは違いますが、村上龍の「ニューヨーク・シティ・マラソン」という小説を思い出しました。因みに「spとか蟻蟻」の意味が解っていません。