戦闘美少女というイコンは、こうした他形倒錯的なセクシュアリティを安定的に潜在させうる、希有の発明である。小児愛、同姓愛、フェティシズム、サディズム、マゾヒズムその他さまざまな倒錯の、いずれの方角へも可能性を潜在させつつ、しかし本人はまったく無自覚なまま振る舞っている。彼女たちの存在は、「少年ヒーローもの」の対として受け取られ、さらにフェミニズムの文脈において十分に保護されるだろう。その倒錯性を指摘するような野暮は、いまどきの心理学者や精神科医に似つかわしい振る舞いとして失笑を買うだけだ。彼女たちの受容状況は、現代社会のーーとりわけ女性のーーありようを見事に象徴している。実際、そのような分析も部分的には可能なのであり、その視点から書かれた書物が歓迎されやすい状況もある。しかし私はそうした分析に、あまり関心を持つことができない。いまや虚構に現実の直接的な反映をみるといった素朴な分析こそが、「虚実混同」の典型的事例なのだ。このレヴェルに留まる限り、おたくの乖離したセクシュアリティを解読することは決してできない。
斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』ちくま文庫 2006年 pp.311-312
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