DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: December 2015 (page 4 of 4)

 今、ぼくらの芸術の世界は中国、オイルマネー、ロシア、そういった新興国の人たちの生みだす整備されていないお金に翻弄されています。彼らが西欧式の芸術の歴史、ここでぼくが述べたような芸術の歴史を知っているかどうかはわかりません。なぜ芸術を買おうとしているかといえば、自分たちも先進国の仲間入りをしたい。相応の文化的レベルが高い人と思われたいという、日本が明治維新で文明開化した時のような発想にすぎないかもしれない。
 ただ、彼らはバブルの時の日本とは違います。バブルの頃、我々日本人は本当に何もわかっていなかった。我々は、第二次世界大戦で、国が富むとか、豊かな社会で人間が根本的にどうやって生きていくべきかという哲学を全部潰されました。
 だから、先が読めなかった。贋作もつかまされるし、せっかく買った、重要な芸術作品もバブルが崩壊した後、オークションを通じて外国に売らなくてはならなくなってしまった。そのために、日本にあまり良い作品は残っていません。しかし、新興国の彼らは、国家とは何かとか、自分たちが将来立国していこうとする方向性とか、本当に、未来のことまで考えています。だから最良のものを買う。まちがいをおこさないようにアドヴァイザーを雇って、将来、作るべき美術館を想起する。
 もちろん、資本主義経済のなかでアートはいちばん利殖をするのに有利だというリアリズムもある。そういう単純な理由も含めて、彼らは日本人のバブル期とはまったく別に、利殖と社会的な上昇の二つを一挙両得で手に入るのだったら、金は余っているのだから使ってよいではないか。そういう理由で、どんどん、芸術作品を買っている。
 これが、現在の芸術作品の流通の実情であり、我々がおかれている現状です。

村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 pp.45-46

 芸術の独立というところから話が複雑になりました、芸術が独立してそれ自体の価値を主張しはじめた結果、当然のことながら芸術家はパトロンを失って作品制作をするための資金がなくなってしまったわけです。
 最先端技術を駆使した油絵を描くためには、資金が必要です。それで、芸術家たちは資金がないのにこういう最先端技術で自分の欲望のための作品を作る方策をなんとか編み出さなければいけなくなりました。

(中略)

「芸術家のための芸術」という奇跡のようにすばらしい最先端の芸術をやることによってでさえも「貧」からは逃れられない。それなのに、あろうことか「貧」をつきつめるとペギー・グッゲンハイム(Peggy Guggenheim/マックス・エルンストの夫人だったこともある前衛芸術の理解者、パトロンで多くの芸術家を庇護)のようなケタ外れな理解者つまり、パトロンが出てきて芸術家を救済するという話になるわけです。
 しかし、これだってよく考えてみれば、背後にはアメリカ経済の勃興というものがあり、そこでまた、話がさらに複雑になるわけです。ぼくもそうでしたが、この辺が整理されないまま現代に至っているので、ただでさえわかりにくい西欧式ARTが日本人には特別わけがわからないものになりました。
 こうした混乱を第二次世界大戦に勝ったイギリスとアメリカが上手く整理して、芸術の覇権をフランスのパリからニューヨークとロンドンに移動させました。戦争に勝つだけではなく同時に文化的な優位も奪取しようと、政治的な文脈も含めて整理整頓したわけです。そのために、ある日突然のようにアメリカから、そしてイギリスからと最新のARTモードが発明され、発信されて来ました。ポップアートが終わるとミニマルアート、もしくはランドスケープアートが出てきます。僕ら日本人は、これらを無条件で受け入れるしかなかった。つまり最新モードはつねに英米からやってきたのです。

 (中略)

 また、「貧」、「貧しさ」の物語です。最先端の技術を使った芸術でも「貧」になる。でも、ペギー・グッゲンハイムのような人が出てきて助けてくれる。ペギー・グッゲンハイムはこういう「貧」から出てきた結晶のような芸術作品を集めることでみんなからはすばらしいと賞賛を受けてしまったわけです。ニューヨークのアップタウンにあるフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)が設計したカタツムリみたいなグッゲンハイム美術館はその集大成です。
 こういうふうにして、「芸術とは何か」といえば「芸術とは貧である」というコンセプトが、がっちりと日本人の中に組み込まれ、インストールされてしまったわけです。

村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 pp.30-33

 それが、一九世紀になって印象派の登場あたりから芸術家が芸術家のために作る芸術があってもいいのではないかというムーブメントがおきました。それから話がややこしくなってきます。
 なぜ、こういうことが起きたかというと、ひとつには肖像画の需要がなくなったということもあります。今や肖像画というのは芸術家の仕事としてはほぼありません。ウォーホールがあえて意図的にやりましたが、一般的にはほぼ絶えてない。なぜなら写真が発明されてしまったからです。

 (中略)

 このようなわけで、ARTとは何か、芸術とは何かなどという大きな疑問が生まれてくると同時に、芸術家が自分たちの職業の存在意義を考え、いろいろ理論武装して趣向を凝らす必要が生まれてきました。

 (中略)

 たぶんそういう変革が西欧では一九世紀あたりに来てしまったのでしょう。そうしたムーブメントの中からサロンというものも生まれて、哲学者やら思想家やら芸術家たちが集まって「ああでもない、こうでもない」と口角泡飛ばした議論がパリあたりで起こったわけです。それが、芸術についての話をややこしくしはじめた、そもそもの出発点です。
 つまり、芸術家が独立して芸術を作る非常に純粋性の高い、純潔の芸術が誕生してしまったわけですね。しかも、この大きい変革に世界中が熱狂してしまったわけです。
「すばらしい、そんな奇跡のようなことがあっていいものか!」
 ところが、西欧は階級社会ですから、この芸術家が芸術家のために作る芸術すら、自分たちのために次の時代の芸術を装飾として買おうという上流階級の魂胆があったわけです。
 かつての権力者、宗教的権威、お金持ちが自分たちのために芸術家に作品を作らせるという単純な時代から、芸術家が芸術家のために作った作品を、まさにそのことを理由にお金持ちが自分たちのために買うというややこしい時代に移行したわけです。そのせいで、作品としての価値と金銭的な価格が大きくずれることになりました。

村上隆著『芸術闘争論』幻冬舎 2010年 pp.27-29

 一生の間、歴史を学習し続ければ、どんどん自由になれる。これは当たり前のことです。芸術の世界だけではなく、どの業界にもその分野にも特有の文脈がありますが、「文脈の歴史のひきだしを開けたり閉めたりすること」が、価値や流行を生み出します。ひきだしを知らないまま自由自在に何かができるということは錯覚や誤解に過ぎません。そして、ひきだしを知らずに何かをやるという不可能なことに挑戦し続けてきたのが戦後の美術界だったのだと思うのです。ひきだしを知らずに作られた芸術作品は、「個人のものすごく小さな体験をもとにした、おもしろくも何ともない小っちゃい経験則のドラマ」にしかなりえません。小さな浪花節的な世界です。日本人はそういう生まれてから死ぬまでの小さな経験則が好きなんですけど、その程度のドラマしか設定できないことは、世界の表現の舞台で勝負する上では欠点になるのです。

村上隆著『芸術起業論』幻冬舎 2006年 pp.158-159

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