DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: October 2015 (page 1 of 2)

 欧米のアートマーケットの基盤には、作家や作品に価値を与えていくアートビジネスの構造があります。これは、アーティストをブランディングしていく上手な仕組みとも言えます。著名な国際展、アートフェア、オークションは、互いに連動しながら一つのサーキットとして成立しています。
 例えば、春先にニューヨークで有名なアートフェアが開催された後には、ニューヨークとロンドンで話題の作品が一挙に競り出される注目のオークションが開催され、初夏にはスイスのバーゼル・アートフェアに世界中の一流ギャラリーが集まります。バーゼル・アートフェアのオープニングのすぐ後には、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア・二年に一度)、ドクメンタ(ドイツ・五年に一度)、ミュンスター彫刻プロジェクト(ドイツ・一〇年に一度)が開催され、秋が近づくとパリのフィアック・アートフェア、ロンドンのフリーズ・アートフェアがあり、その後再びニューヨークとロンドンで大きなオークションが開催されます。そして、冬にはアメリカ東海岸のアート・バーゼル・マイアミビーチが一年を締めくくります。
 毎年このような世界的なサーキットに乗って、アートマーケットは巨額の利益を生み出しています。
吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.120-121

 過去にもう一人、アートマーケットの基盤を形作ったキーマン的存在として、あのパブロ・ピカソが挙げられます。ピカソといえばキュビスムの創始者であり、二〇世紀の美術を代表する偉大な芸術家です。しかし、彼が美術の流通に資本原理を取り入れた先駆的存在であり、アートマーケットの立役者の一人であることはあまり知られていません。
 ピカソは自らの作品の流通の状況をつぶさに把握し、上手にコントロールしていたと言われています。作品が多く出回っているときには新作の発表を控え、少なくなってきたと思えばギャラリーに作品を卸すようにしていました。いわば、受給の調整を通じた価格や人気の維持、作品のブランディングを自ら行っていたのです。
 また、アーティストとギャラリーが正式に契約関係を結んだのも、ピカソが初めてだったと言われています。それまでは、創りたいときに創りたいものを制作していたインディペンデントなアーティストは、ときにギャラリーに作品を買い叩かれることもあるような弱い立場におかれていました。しかしピカソは、ドイツ人画商カーンワイラーとタッグを組み、戦略的な作品制作・発表・流通の一連のプロセスを築き上げました。ピカソは天才的なアーティストであると同時に、一流のマーケッターでもあったのです。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.80-81

 文学のような文字メディアが現実認識に対する主要な媒体であった時代には、例えば主人公の人格形成の遍歴を扱う小説のような形式が、読者に人生の予行練習としての経験の先取りを与えていたのでしょう。しかし、ビジュアル・イメージが支配的なメディアの形式となると、現実認識に対するバイアスは、概念からイメージへと変化します。
 近代以降の知的枠組みでは、概念・表現と事物・対象との対応や一致が、諸学問および芸術の判断基準となってきました。現実の再現というリアリズムの束縛から一歩踏み出たかに見える印象派のような絵画が、知覚的経験の再現という解説を付される背景には、このような判断基準の働きがあります。
 それは、科学的知識が信頼に足るのは経験的検証を経ているからであるということと、基本的には同一の考え方と言ってもいいでしょう。それは、概念・表現と事物・対象との対応が経験による審判によって正当化されるという枠組みです。
 しかし、概念と事物ではなく、イメージと事物が現実認識を生成する主要なモードであるとすれば、それらは相対的な二項としてあるため、現実についての真偽や善悪に関する命題も相対的なものにならざるを得ません。イメージと事物の対応が経験的知覚によって検証されると言うこともできなければ、どちらか一方を他方に基礎づけることもできないでしょう。そうすると、対象や事物と呼ぶべきものの位置づけも曖昧になります。
 対応および一致の検証という論理的作業のきっかけを失ったとき、経験的知覚そのもののなかには、イメージと事物を分け隔てる物質的要素の有無を知る手がかりもなければ、それを知る必要も感じないからです。
 私たちが直面している生の条件とは、このようなイメージの専制とでも呼ぶべき、現実性=虚構性の等式が成り立つ一元的な世界なのです。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.57-58

 九〇年代アートは、こうしていわゆる現実志向の作品が主流をなすようになりました。理念や価値を提示する理想主義やエッセンシャリズムに代わり、眼前の現実の有り様に注意や関心を向けるスタンスが、広範に浸透していったように思います。
 こうした変化の背景には、冷戦構造の崩壊が関与しています。東西の体制が競い合ってきた「豊かさ」や「解放」といった大きな物語が権威を失墜させたことで、断片化した現実に関心が向くようになったのです。アーティストがとりあげる現実の対象は、コンフリクトに満ちた社会問題(ポストユートピア)であったり、私的で身近な世界(インプライベート)であったりしました。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 p.26

 この本の最初で現代アートについて私は「人々がお互いの違いを認識し、共存していくためのヒントまたはツール」であり、そこにはアーティストが、自らの生まれ、育った国または地域の文化や歴史、宗教、政治、風俗等と、他者あるいは世界との関係性が様々な形で表されていると申し上げました。
 さらに、同時代性、社会性を備えてもいない、あるいは関係性が希薄な作品は、ただ単に現在制作されただけの「現在アート」であるとも。

宮津大輔著『現代アートを買おう!』集英社新書 2010年 p.191

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