僕の平熱は36.2度などその辺りで、割と低めである。そのせいかどうかは判らないが、熱が出にくい体質であるようだ。風邪をひいて熱を出したとしても37度前半などで、滅多な事では38度までは上がらない。そもそも風邪をひいても熱を出す事が少ない。しかしそのせいだろうと思うけど、治りにくいし、口唇ヘルペスが出来たりする。どちらかと言えば厄介な体質である。しかしそんな体質の僕が過去に一度だけ39度という大台を超えた事がある。今回はその時の話。
あれは随分と昔、2000年にはなっていなかったと思う。金曜日の夕方に寒気を覚えたが仕事が終わらず、夜ともなればとうとう悪寒と頭痛がし始めたので帰宅し、夕食も摂らず風呂にも浸からずにそのまま布団に潜り込んだ。酷い状態だったが、明日一日寝ていればどうにかなるだろうと高を括っていた。しかし甘かった。翌朝僕は、全身の痛みと共に目を覚ました。何がどうなっているのか判らないが、体中が痛くて起き上がれないし、頭部の中心から熱を発しているようで意識も混濁しているようだった。這うようにして体温計を探し、計ってみたところ39度を越えていた。これが39度の世界か。そんな事を考えながら、数分の後に意識を失った。
その後何度か同じ事を繰り返した。意識はぶつ切れなので時間の感覚はない。しかし窓の外から黒夢の曲が聞こえていたのを覚えている。黒夢を知っている人は想像出来ると思うが、高熱にうなされて目を覚ます度に黒夢の曲を聴かされるのである。一体何の呪いなのか。当時僕が住んでいたマンションの斜向かいに古いアパートが在り、そこには近くの新聞販売店の従業員達が住んでいた。その後にもそのアパートの一室から黒夢の曲が漏れ聞こえていたので、その日もそいつが流していたのだろう。それにしても大音量で一日中となると迷惑極まりないが、こちとら重病人である。どうする事も出来ない。(因みに、窓を開け放っていたところをみると温暖な季節だったのだろう)
更に翌朝日曜日。夜が明けた直後のようでまだ薄暗い時間に目を覚ました。すると外から自家発電機のようなディーゼル音が聞こえてくるので、何とか身体を起こした僕は窓の外を覗いてみた。二階から見下ろす道路には誰も歩いておらず、ディーゼル音だけが聞こえてくる。暫くまっていると、全身白い衣服を身に纏った二人の女性が、蒸気のようなものを噴出している機械を載せた荷車を曳きながら歩いてきた。蒸気は消毒液の匂いがしていた。僕は「保健所の職員の方が消毒作業をされているんだな。ご苦労様だなあ」などと思いながらその光景を眺めていた。女性達はマスクのせいでくぐもった声で何やら話しながらゆっくりと歩き、やがては煙った道路の先に消えて行った。どことなく幻想的なその光景を見遣った後、起き上がっている事に疲れた僕は再び布団に潜り込んだ。
その後も目を覚ましては寝てを繰り返して、その日の夕方には随分とマシになり、コンビニと薬局から当座を凌ぐ物を買ってきて、翌月曜日には出社したと思う。若かったせいだろうか、よくそんな事が出来たものだと思う。今だったらきっと死んでしまう。
以上が僕が人生最高の熱を発した時の思い出話なのだが、それを数日前、柔らかな陽差しの中を散歩していた時にふいに思い出した。そして一つの疑問が頭をもたげる。あの二人の女性は実在したのだろうか。
というのも、15年以上も前だとは言え、何処かの機関がそのような方法で消毒作業をしていたのだろうか。方法として古臭い気がするし、あの方法だと消毒されるのは道路際までである。そんな対処は有効なのだろうか。そんな事を考えたからである。そもそもあれは何の為の消毒作業だったのだろう。その前後に何かしらの感染症が蔓延していたからと今まで僕は考えていたが、そう言えばそんな話は何も聞いていない。僕が患ったのがインフルエンザだとして(結局医者にはかかっていない)、その対処にそんな作業をするものなのだろうか。「保健所 消毒液散布 白い衣服」などで検索してみたが、なにもヒットしない。
そんな事を考えていると段々不安になってきた。今まで15年以上もその事に何の疑問も持たずに過ごしてきていたので、自分の思いつきなのに驚いた。もし、もし仮にあの光景が幻視だとすると、もしかして僕は死にかけていたのだろうか。おまけに、あの二人の女性の白ずくめの姿が本当は白装束であったような気もしてきた。今更だが、そうでない事を願う。今は元気なのだからそんな事はどうでも良いだろうとも思うが、自分が死にかけていたとは余りショックだ。春の訪れにすっかり綻んでいた気持ちが、すっかり異世界に紛れ込んだような気分だ。
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