DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: August 2013 (page 1 of 2)

村上:なんでまた現代美術なんかやり始めちゃったのですか?

蓑:たまたま金沢市長が呼んでくれたから。まあ、もともと現代美術は好きでしたから。普通、自分の専門外のものは分からないと言いますが、一つのものが分かれば、いいか悪いか一緒だと思いますよ。
 古いものを見てきて感じるのは、現代美術もそうなんだけれど、だいたい、昨日出来たようにきれいなものが本物ですよ。下手に古そうに見えるやつは危ない。

村上:危ない?(笑)

蓑:いいものというのは、ほんとにフレッシュですよ。

村上:そうですね。そうなんですよねえ。

蓑:現代美術と一緒ですよ、そこは。そこが皆さん分からない。なにか真新しいから駄目だというのですよね。最後に私が突き詰めた結論がそうです。昨日出来たみたいなやつのほうが、よっぽどいい。

村上:前に僕は志野焼のよびつぎ茶碗を買ったのです。ずいぶん高いものでした。それを骨董の分かる人に見せたら、「うわ、汚い、何これ。いくらで買ったの?」と聞くのでむむむ円と言ったら「高い勉強代ですね」って。じゃあ、って言うんで本物の志野焼を見せてもらったら、うわっ、ほんとだ、全然フレッシュ。今、釜から出てきたみたい。
 いいものとはどういものか、今日は教えてもらいました。昨日出来たものみたいなのがいいんですね。

蓑豊著『超・美術館革命ー金沢21世紀美術館の挑戦』角川oneテーマ21 2007年 pp.170-171

雨の日の光景

 ふと思ったのだけれど、雨にずぶ濡れになりながら歩く姿が似合うのは、中学生もしくは高校生の男の子だけではないだろうか。

 小さな子供や年寄りは可哀想に思ってしまうからそもそも除外するとして。眺めている側からすると、青年や壮年の男性の場合は見かけるのは大概仕事中だったりするので、頑張ってるなぁとか、大変だなぁとか、何か嫌な事でもあったのかなぁとか、色々と複雑な思いで眺める事になるので美的観点は成立しない。それと同じ年頃の女性である場合は、本人達が雨に濡れる事を非常に嫌がり執拗に避けるし、濡れたら濡れたで地獄にでも落ちたような表情で歩いているので正視するのが難しい。仕事中の女性の場合は、男性に対するのと同じような感じか。で、中学生や高校生の女の子の場合は、一人だとやけに心配になるし、複数だと騒ぐのでうるさい。
 中学生や高校生の男の子は、自分がそうであった時の事を思い起こせば、傘を差すのは嫌いだし、そうするくらいなら寧ろ雨に濡れた方が心地良いと感じていたような気がする。そういう記憶も手伝ってか、彼らが雨に濡れていても一向に心配にならないし、可哀想にも思わない。とても落ち着いた気持ちで眺めていられるので、その姿を美しいと思うのかも知れない。どんな時でもそう思う訳ではないが、例えば季節は夏で、夏の制服を着ていて、緑の多い田舎道だという風に条件を揃えていけば更に良い。これは緑に白いシャツという色の組み合わせが美しいという事が大きいと思う。
 しかしこういう見方は多分に偏見を伴っている気はするし、眺めている人間がもし女性であるなら違った見方をするだろうとも思う。もしかしなくても、中学生や高校生の女の子に対して同じように思うのかも知れない。そうだとすると、あの雰囲気はあの年ごろに特有の質感なのか。それとも見る側の記憶が創り上げた幻影なのか。先日降った雨の日に、白いイヤフォンを耳に突っ込んだまま、半ば俯いた様子で自宅の前の道をとぼとぼと歩いていた少年を見た時にそんな事を考えた。

 全小中学生を招待して彼らの反応を観察したとき、私は感じたことがあった。やっぱり一、二年生では、まだ集中力がないので、ここで作品に触れたことをあまり覚えていないだろう。五、六年生もダメ。中学になったらもっとダメになる。なぜか。五、六年生になると、異性に興味を持ち始めるからだ。美術館に来ても、好きな異性ばかり気になって、作品を見るどころではない。
 だから小学四年生、十歳なのだ。これは私の観察から得た私なりの結論だったが、学校の先生はみんな知っていることだと判った。教えるのは四年生が一番ラクだ。なぜラクかというと、四年生というのは何でも興味を持つころなので、何を教えても吸収していけるからなのだという。そのために、どの学校でも、低学年や五、六年生に力のある先生を配置し、四年生は凡庸な先生に担当させる傾向があるという。私に言わせれば、四年生にこそクリエイティブな先生を担任にしてほしい。そうすれば、日本の学校は絶対に変わるはずである。

蓑豊著『超・美術館革命ー金沢21世紀美術館の挑戦』角川oneテーマ21 2007年 p.114

架空地図

 関東では6月29日に放映されたタモリ倶楽部の架空地図の回を先日ようやく観た。面白かったなぁ。登壇した三人は、始めたきっかけや理由は様々でも、同じように小学生の時に空想の地図を描き始め、それからずっと描き続けている。それだけ長い間、同じ事を飽きずに続けている人というのは、もうそれだけで恐れ入るのだが、この場合は、架空地図を描く事がどう楽しいのかが自分にも解るので、それを成長と共に蓄積される知識や、繰り返す空想を丹念に組み込みながら増殖させる事の喜びが想像出来るのである。

 話変わって小学生の頃僕は、週刊少年ジャンプに連載されていた「サーキットの狼」を好きでよく読んでいた。連載は1975年から1979年にかけてで、中盤の少し後くらいに、舞台が瀬戸内海の流石島に造られたサーキットでのレースに移った辺りが一番熱心に読んでいたと思う。そして僕は読むだけでなく、漫画の中に続々と出てくるスーパーカーを模写するのが好きであった。ロータス・ヨーロッパ、ポルシェ・911カレラ、ランボルギーニ・ミウラ、ランボルギーニ・イオタ、BMW(当時はベー・エム・ベーと発音していたと思う)、フェラーリ・ディノ、フェラーリ308GTBなどなど、挙げていたら切りがない。「スーパーカー大百科」という小型辞典のような本も買って貰い、熱心にそれらを眺め回しては模写していた。
 そうしているうちに、漫画の中では舞台がサーキットに移り、スーパーカーをサーキットレース仕様に改造した車両が続々と登場する。そこで僕は何かしらヒントを得たらしく、今度は自分が考えたレースカーを描き始めた。誰にも教えられていないのに何故かしら三面図で描いていて、ボディラインを描いては消し、自分の理想の形状になるまでそれを繰り返した。今から考えると、僕がデザイン的な行為をしたのはそれが最初だったかも知れない。 そしてそれが更に高じて、今度は流石島サーキットの平面図に魅入られた僕は、自分で考えたサーキットとその周辺環境を描き始めた。メインストレートの全長が何百メートルだとか、第一コーナーの半径は幾つだとか、バンク角度が幾つだとか、スターティング・グリッドの配列はどうだとか、敷地内に森や河を適度に配置させるだとか、そういう事を考えてそれを描き込むのがとても楽しかったのだ。何故突然そんな事に興味を持ったのか。記憶は薄いので定かではないけれど、たしかレーシング・スーツやヘルメットのデザインもやってたと思うので、まだ自分にデザインされていない要素がもうそれしか残っていなかったのだろう。描くだけ描いても高ぶった気持ちを持て余してしまうので、とうとう手を付けてしまった。と、そういう事だったのではないかと考える。

 恐らくそれから数年後、きっかけはもう全く思い出せないが、僕は自分が住む市の全域図を描いていた。そんな事をする必要は全くないはずである。何か気に入らないところでもあったのだろうか。僕は市内地図から主だった道路と鉄道路線を書き写し、それを白地図として、駅を増やしてみたり、人口に対してまんべんなく行き渡るように学校や病院、公園を配置してみたり、何となく住む人がより良い生活を送れるように配慮しながら都市計画をしていたようだ。小学生(か、もしくは中学生になってたかも)のくせに生意気である。割と細かい設定までも考えていたようで、この学校は公立にしようとか、女子校も増やした方が良いのではないかとか、既存の校名がなければ地名から命名するとか、そんな事まで考えていたと思う。とにかく楽しかったようだ。しかしそれを続ける事をしなかった。気まぐれで飽きっぽい性格がそうさせたのだろう。タモリ倶楽部の架空地図回を観ていると、どうしてやり続けなかったのだろうと悔しさがこみ上げてくる。でもまぁ、今更しょうがない。

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 余談であるが、番組内で登壇していた方の一人がブログをやっており、そこにある「架空都市レファレンス」というリンク集が素晴らしい。こういうのを色々集めて、展覧会をやったらどうだろうか。面白そうなんだけどなぁ。

 子どもというのは、万国共通、常に大人になりたい、大人になりたいと思っている存在である。常に大人と同じ土俵で勝負したいと思っている。金沢21世紀美術館の「もう一回券」が七千枚も回収されたのも、子どものそういう気持ちを捉えたからだ。「ぼくには、わたしには切符があるから、お母さん、お父さんも一緒に行こうよ」と親を誘う喜び。美術館に来ても、親とは別に自分は自分の切符を出す、この喜び。この気持ちが大人には解っていない。

蓑豊著『超・美術館革命ー金沢21世紀美術館の挑戦』角川oneテーマ21 2007年 p.108

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