DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: May 2012

逢魔が時

 昼間暖かった日に、陽が傾くにつれて気温も下がり、少しく肌寒い心持ちにて部屋の中でぼうっとしていると、何やら寂しいような心許ないような気分に陥る事がある。これが精神的に安定している時であれば大した事はないけれども、少々でも不安定だったりすると、前述の感情に加えて焦燥感のようなものまで混ざってくる。そうなると不安定さが増して大変宜しくないので、何か他の事に目を向けて、意識を逸らす必要がある。勿論楽しい事が好ましい。
 そんな時はテレビ放送や気に入っている DVD を観るのが良い。その他にも漫画を読むとか、落語やラジオを聴くとか。共に暮らす人があれば話すのも良いし、飼い猫に自分からじゃれついて行くのも良いだろう。調理をして暖かいものを口にするも良いかも知れない。ともかく、独りでぽつねんとしない事である。

 今日の夕刻まさに、久しぶりにそんな気分になったので、録画していたテレビ番組を観ていたのだけれど、その番組が「峰不二子という女」であったので薄暗い気分は拭えなかった。仕方が無いのでこの文章を書き始めた訳(途中でスパゲティ作って食べたが)だが、ついでに「逢魔が時」を WEB 検索していてこんなページを見つけた。表現がなかなに的確だったので引用しておく。

 一日が終わろうとする夕暮れ時。お豆腐屋さんのラッパが薄暗くなりかけた夕焼け空を流れていく。我を忘れて遊びに全身を打ち込んでいた幼い頃、夕暮れ時はいつも理由もなく物悲しい気分にさせられた。
 仲間との別れ。遊びの終焉。明日になれば、また、会えるのだし、遊べるのだけれど、私は心の底で、でもそれは絶対ではない……と感じていたように思う。
 毎日巡ってくる、一日のあの時間帯。昼から、夜へ、その橋のような時間。明るくも暗くもないそのぼんやりした感じ。このぼんやりした橋を渡るとき、私はいつもとぼとぼと一人だったように思う。人攫いが出てくるのなら、こういう時だろうなと想像もしたっけ。

 そう、逢魔が時には何か終焉が迫っているような気がしてくるのだ。その辺りが焦燥感を生むのだろう。

 そう言えば子供の頃、父が時代劇が好きでテレビでよく観ていた。その中で確か「破れ傘奉行」だったと思うが、エンデイングの映像が画面一杯に映された夕陽で、太陽が徐々に地平線へ沈んでいく様を毎週眺めていた。しかし僕はその映像が好きだった訳ではなく、怖くて目を逸らせなかったのだ。沈みゆく太陽がこの世の終わり、というか自分の命の終わりを連想させて、自分が死んだ後は一体どうなるのだろう。僕が死んだ後も他の人達は生きていて、僕だけが真っ暗な宇宙のような何処か別な場所に放り出されて、その時僕はどんな気持ちになるのだろう。言葉でこう認識していたのかは怪しいが、感覚的にそう思っていた。それがとても辛くて、そしてやがてそうなるのであろう事実が怖かった。逢魔が時に感じるのと少し似ている。

 何の小説だったか忘れたが「人が死ぬ時に一番怖れるのは、自分という存在とお別れしなければならない事だ」というような事が書かれていた。確かにそれはとても怖い。想像するのも嫌である。霊や輪廻の考えは、もしかするとその恐怖から逃れる為に生まれたのかも知れない、と僕は思っている。

寺と雨

 僕が通っていた小学校の隣には寺が在り、小学校の裏門と、寺の裏口は道を挟んで向かい合っていた。この寺の境内を抜けた方が近道になるので、僕は通学路としてよく足を踏み入れていた。それに加えて、境内は僕らの放課後の遊び場にもなっていたので、僕はこの境内で色々な経験をしたと思う。その中で、今でも梅雨の入口で静かな雨に降られていると思い出す事がある。

 さすがに小学生の頃の事なので、記憶もかなり薄れてハッキリしない事が多いが、明るい雨降りの中、僕は一人で境内の中に佇んでいた。何をしていたのかと言えば、それだけは明瞭に覚えているが、僕は雨と木々の匂いを嗅ぎたくて其処にいたのである。境内の中には大小様々な樹木が植えられており、雨水を吸い上げたそれらは豊潤な香りで境内を満たしていたのだ。僕はそれまでの短い人生の其処此処に於いて、その匂いが自分に心地良さを与える事を知り、それを思い切り満喫出来る機会を待っていたのだろう。今ではこうやって説明出来るが、その頃の僕にはその力はなく、自分の中に在る何やらモヤモヤした気持ちとして仕舞い込んでいた。なので、誰にも説明する必要が発生しない機会を心密かに待っていたのだ。恐らく、その日は友達と連れだって帰るという事はせず、こっそり自分だけ境内に潜り込んだに違いない。雨の日に誰かが遊びに来る事もないだろうし、僕は安心しきって、山門の敷居に腰掛け、膝を抱えるようにして目をつぶり、雨が葉々を打つ音を聴きながら、樹木の匂いを心ゆくまで吸い込んでいた。

 今でもそのような匂いを嗅いだりすると、当時の光景を思い出すし、現在も尚あの場所に自分が居るように錯覚する。

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