DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: November 2010

欲望装置〜続き〜

 村上龍の「希望の国のエクソダス」だったか、人間は欲望を持って生きないと退行するという意味合いの事が書かれてあった。そして何処で読んだのか忘れたが、アメリカ政府に保護されたネイティヴ・アメリカンの男達は、狩りをする必要も必然も無くなった為、毎日酒に溺れうな垂れて暮らしている。というような文章を読んだ事がある。

 人間は欲望を持たなければ、戦わなければ生きていけないのか。毎日を穏やかに過ごすだけでは駄目なのか。変化を望まない人間は滅びるしかないのだろうか。

欲望装置

 ここ三週間ばかり仕事に忙殺されていて、それがようやく一段落ついたところで、何だか虚ろな気分に陥ってしまった。忙しく立ち回っていた時との落差なのだろうと思っていたのだけれど、でもそれならそれで、忙しい間に出来なかったあれこれをやろうと解き放たれた気分になりそうなものであるが、そうはならないのである。どちらかと言えば何もしたくない。いや、積極的に何もしたくないのではなく、特に何かをしたいという気分になれないという、消極的なものだ。自分の中のあれしたい欲やこれしたい欲が消失してしまったかのようだ。はてさて、これは一体どういう事なのだろうか。

 何となく軽い鬱状態に似ている気がする。しかし、確かに忙しかったがそんなにストレスを溜め込んだ覚えはないし、冬鬱を患うには季節はそんなに深くない。さて困ったな。原因が掴めないと対処のしようがない。さりとてぼんやりと過ごせるような満ち足りた気分でもないのだ。何かしらスカスカしていて、ひんやりと危うい。

 こうやって改めて文字にすると、自分が物凄く酷い状態にあるような気がしてきた。ああ、自分が心配だ。何かしら見つけなければとは思うが、見つけるようなものでもない気もする。些細な事であれ、何かに集中出来ていれば大丈夫だと思うんだけどな。例えそれが無理矢理でも。

経年鈍化

 今年の秋は、印象としては僅かに二週間くらいしかなかった気がする。四季が失われつつあるのかなあ、とも思うけど、断腸亭日乗を紐解けば、永井荷風が同じように気候の変動を訝しむ記述があったりするので、もしかすると人間の環境に対する感じ方には傾向があって、それ故に四季が乱れていると思い込むのかも知れない。でもまあ、その理屈の動き方が思い付かないのでよく判らない。
 それとは別に、年齢を経ていけば、段々と一年という時間を短く感じるようになっているのは何故なのだろうな。子供の頃と違い、歳を取ると環境の変化やそれ自体に対する慣れ、またはそれらに倦む事に因って時間経過の感覚までも鈍化していくからだと聞いた気がするけど、そういうものなんだろうか。物理的な時間は変化しないだろうから、いずれにせよ人間の受容感覚が変化したのだろう。

 そう言えば先に挙げた断腸亭日乗、荷風最晩年の死の直前辺りでは殆どが天気の記述だけになる。日記を連ねる体力気力が無くなったのか、それとも何も感じなくなってしまったのか。さすがに老齢までには相当間のある僕には想像がつかない。

 しかし考えてみれば、もしかするとそういった加齢に比例した肉体や感覚の鈍化というのは、死を迎える為の準備なのかも知れない。例えば、三十路を越えた辺りから色々な事に対して思い悩む事が少なくなって、幸いにも生き易くなるような感じで。あれだって、もう思い悩む体力がなくなって疲弊しているからそうなるのだろうしね。若い時に比べれば、肉体や感覚が鈍化していた方が死を受け入れ易いだろう。そうすると、老化とは死を目指した成長だと考えれば、何というか、非常に都合の良い生命のプログラムであるような気がしてくる。

クラウド・ダイアリー

 先週 Tumblr に流れてきたこのテキスト。

俺は日記は書かない。人のコメント欄を日記として使う。誰にも全体を俯瞰することはできない。これを「クラウドダイアリー」と言う。
@himanainu_kawai ヒマナイヌ川井拓也

 これ読むと、何だかワクワクするな。ローカルにテキストを残しておけば自分は全てを把握出来るものね。物事は、というか、個々の所在がすべからく流動的である事で、何かしらこれまでにない価値観が生まれて来そうな気がする。

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