DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: May 2009 (page 1 of 2)

小五郎 05

 去年の冬辺りから小五郎の姿を見かける事がなく気になっていたのだけれど、時期を同じくして夫人の姿も見る事がなかったので、行方を尋ねる相手もおらず、結局、寒い季節なのだから外には出たくないのだろうと考える事にしていた。ところが、年を越し春が訪れて暖かくなってきた頃に、物凄く久しぶりに小五郎と夫人が通路で戯れているところに出会す。この日の夫人は寝間着にガウンを羽織っただけの姿で、そして完全にノーメイクであった。学生の頃ならいざ知らず、家族でもないし恋人でもない女性の化粧を落とした素顔を見知っているというのは、実に微妙な気持ちになるものだ。その顔に深く刻まれた皺の示す時間の経緯を何一つ知らないのだから、何となく怖い気もしてくる。しかし夫人そんな状況にまったく頓着しない様子で、こちらからは何も尋ねていないのに勝手に喋り始めた。

 どうやら小五郎はリンパ系の癌を患っていたらしい。リンパ系、と言われてもよく解らないが、夫人にしてもよく解っていないようなので病状に関する詳しい事は言わなかった。そう言えば去年の冬に姿を見かけなくなる少し前辺りから、僕が声をかけても小五郎は大儀そうに尻尾を動かすだけだったり、果てには何一つ反応しない事が続いていた。小五郎が僕に対して腹の立つ態度を示すのは茶飯事であったので、僕はさして気に止めていなかったのだが、実はあの時既に病に因り反応すら返す事が出来なくなっていたのかも知れない。小五郎は季節毎に体重の変動が激しく、その時はかなり痩せていたように思う。
 夫人は小五郎が日増しに元気を無くしていく事を不審に思い獣医に診せたところ、癌との診断が下され、取り敢えず投薬に因る治療を続けながらも、これはもう駄目だろうと自分の部屋に小五郎を連れ帰って、最期を看取ろうという腹づもりであったらしい。小五郎もかなり弱っていたので大人しく夫人の部屋で寝て過ごしいたのだが、思いの外それ以上悪くなる事はなく、徐々に体力を回復させ続け、遂に数日前に部屋から外へ出る事が出来たのだという。

 ★

 これが昨冬来の顛末である。小五郎は幾分ふくよかになった腹を敷石に擦りつけたり、ごろごろと転がり腹を見せて夫人に甘えてみせたり、隣家の植栽に顔を突っ込んで僕には見えない何かを探していたりする。春は再生の季節というが、小五郎もまた再生したのだった。

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このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。

ちゃんちゃらおかP音頭

 今朝電車の中でふいに思い出されたこの歌のサビ。何の歌だっけ。誰が歌ってたんだっけ。思い出そうとする間ずっと僕の頭の中では「ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー!」と誰かが歌い続けている。つい口ずさみそうになるのを堪えながら考え続ける。するとサンプラザ中野の顔がうっすらと浮かんできた。という事は歌っていたのは爆風スランプか。電車の中で思い出せたのはここまで。

 ネットで調べてみると僕と同じようにふと思い出してしまう人が何人かいるようだ。

 今日、会社で突然この曲を思い出したんです。誰の曲か全く思い出せなくって、他の人に聞いてもだーれも分からずじまい。ただこのメロディだけが帰りの電車の中でもぐるぐるしてました。そう、これは爆風スランプのサンプラザ中野がオールナイトニッポンの番組の中で「こぼうず隊」として出した音頭なのでした。
ちゃんちゃらおかP音頭 – 関心空間

 Wikipedia にはこうある。

 1985年9月には、爆風スランプが「こぼうず隊」と名義を変えて歌った「ちゃんちゃらおかP音頭」の歌詞をリスナーから募集している(同時に、その替え歌も募集していた)。ちなみに「おかP」という言葉は現代用語の基礎知識にも載った事があるという。
サンプラザ中野のオールナイトニッポン – Wikipedia

 1985年か。高校の頃だけど、僕はサンプラザ中野のオールナイトニッポンは聴いてなかったしなあ。何故知っているのだろう。恐らく同じクラスの誰かが、教室で繰り返し真似て歌うのを聴いていたのだろう。そんな気がする。

 表示される絵は全く関係ないと思うが、これがオリジナルバージョン。そしてなんとファイテンション☆テレビというテレビ東京系の番組で24年振りにリメイクされたらしい。歌っているのは改名後のサンプラザ中野くん。

 キャラクターがとても可愛いく、振り真似したくなる。今更だけど、流行らないかな、これ。

 ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー! ・・・「ピー!」の部分がとても良い。

凡庸の日々

 例えば一ヶ月後に訪れる自らの死に向かってひたすらに密度の濃い時間を生きるのと、死の概念など皆無で永遠に繰り返す毎日をどうにか飽きてしまわないように生きるのでは、結果としてどちらの人生が辛いだろうか。なんて事を時折考えるが、あらゆる事に白けてしまった場合には一体全体どう生きれば良いのだろうか。これまでの人生でこのような事に陥った事は何度かあったような気がするのだが、その際にどういう風に遣り繰りして過ごしていたのか全く思い出せない。やり続けて行きたい事はあるし、やり続けなければならない事もある。再び時間が流れ出すのをじっと蹲って待つか、それともあらゆる意味で外へ出て行かなければならないのではないだろうか。そんな気がするのだが、正直何が正解なのか皆目判らない。

山手線沿線を歩く(御徒町〜上野)

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 休日の混雑に紛れる。休日のアメ横など歩いて気持ちが良い訳がない事は判っていたのだが仕方がない。

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 とは言え、ガード下の猥雑さや店舗に押し上げられた仏閣やアジア的な雰囲気など、見ていて楽しい。店舗のファサードの上に何故か扉が在って、その扉が半分開いていたりして物凄く興味をそそられる。でもまあ、アメ横を歩いていて上を見上げる人なんて殆どいないだろうけどね。僕がやっている事などある種の変態だ。

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 この界隈の彼方此方で展開される、歩道を占拠して営まれる飲み屋。真っ昼間にこんな店でもつ焼きを突きながら一杯呑む事が憧れなのだが、どうも独りではちょっとね。

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 上野駅着。山手線沿線を歩く旅は大した感慨もなく終了。全く何も思わない訳ではないけれど、一昨年の秋から気が向いた時にだけ歩いているので達成感のようなものは余りない。そういうやり方を自分で選んで実行しているのだから当然だ。暇潰しのようなものだ。

 この旅全体を通して考えれば、予想していたように東と北は楽しいが、西や南は歩いていても余り楽しくなかった。開発され過ぎていて街の歴史を感じる機会が少ないのだ。時間の累積を見ない空間は薄ら淋しい。どんなにきれいに整備されていても、其処には温度や匂いというものが無く荒涼とした光景が僕の気持ちを苛む。もし住むなら、そうだな、日暮里から大塚までの間が良いなあ。街が冷たくなく暴力的な要素が少ないので住みやすそうだ。

山手線沿線を歩く(秋葉原〜御徒町)

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 もう後1年もすれば秋葉原の駅周辺は高層ビルで埋め尽くされてしまうのだろうか。古い街並みから近代的な建築物を眺めるのは好きだが、商業ビルにしろオフィスビルにしろ、大資本の建物のみで構成された街が好きではないな。

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 ガード下のスーパー。「肉のハナマサ」というからデカい肉屋だなあと思ったら品揃えはスーパーのようだった。近隣の飲食店への卸しもやっているのだろう。僕はこういう光景を観るのが好きなのだ。どんな環境でもしぶとく生きている人間の匂いがする。

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 ガード下の倉庫のシャッターや壁に描かれた落書き。落書きしてくれと言わんばかりの絶好の環境だが、実際に描かれているものは今一つパッとしない。そう言えば近くにボディ・ピアスの店が在った。覗いてみようかとも思ったが、薦められても困るのでやめておいた。右下の写真はTV版アキハバラ@DEEPで使われた事務所跡。現在では他の借り手がついて中には神輿が収められているのだそうだ。

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 右の写真は、質屋なのだろうけど取り扱う品物の種類が多すぎてジャンク・ショップのように見える。結構客が入っていた。

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 そしてその店では左の写真にあるような物まで売られていた。これは昔に見た事がある。何なのか思い出せないが子供の頃に父親に食べさせられた記憶がある。栗を更に苦くしたような味だった。たぶん。御徒町の駅舎は、どうしてこんな場所に駅舎を建てたのか不思議に思うくらい雑多な場所に在る。

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