見つけたPV物。緒川たまきは「夢の女」的な扱いで、それがまた良いんだよなあ。下衆な現実だけを見せつけられたって、それの一体何処が嬉しいのだ。そりゃあ勿論現実は現実として受け容れますが、それを夢のように愛せとは全く不条理不届き千万。死ね。馬鹿。死ね。現実を承知した上だからこそ夢は楽しいのだ。
見つけたPV物。緒川たまきは「夢の女」的な扱いで、それがまた良いんだよなあ。下衆な現実だけを見せつけられたって、それの一体何処が嬉しいのだ。そりゃあ勿論現実は現実として受け容れますが、それを夢のように愛せとは全く不条理不届き千万。死ね。馬鹿。死ね。現実を承知した上だからこそ夢は楽しいのだ。
1980年代といえば何だったかなあ、と考えればストップ!!ひばりくん!を思い浮かべる。基本はギャグ漫画で割合下品な表現も多かった記憶があるのだが、少年漫画誌の中では異彩を放つポップさと、主人公的な登場人物大空ひばりの可愛らしさが突出していた印象だけが残っている。僕の中では江口寿史は漫画家ではなく、表現が大変恥ずかしいのだが「センスがポップでキュートな女の子を描くイラストレーター」として位置づけられている。事実、その後の作品を僕は一切読んでいない。左上に掲げた絵を観れば、その他は要らないかも知れないと思っていたりする。
そう言えば、もう一人の主人公坂本耕作はさんざっぱら大空ひばりに振り回されるのだが、そういう関係性に何となく憧れていた事を思いだした。だがしかし、それから後に実人生で女性に振り回されるという事を幾度も経験する事になったが、やだね。実際の話。最初は必至で食らい付こうとするんだけど、途中でどうにも嫌になってしまって結局関係が解消される。飽きてくるからかも知れないけどさ。僕には向いていない。
余談だけれど、ルパン三世と名探偵コナンのコラボレーションが話題になっているみたいで、ルパンは良いけどコナンは別に観たくないなあと思っていたところ、そう言えばその昔に週間少年ジャンプ誌上で、連載を持っている漫画家全員で一話限りの漫画を描くという企画があった。内容なんか殆ど忘れているが、江口寿史が「あんたの描く女の子は可愛いね〜」と強面の男に脅されている場面と、ラストで法被を着てリヤカーを引いた山崎銀次郎のような男があっさりと問題を解決するという(本宮ひろ志が良いとこ取り)場面を覚えている。
その昔、僕は日本語で歌われる曲を聴くのが嫌で、いわゆる洋楽やジャズ、クラシック、ワールド・ミュージックばかりを聴いていたのだけれど、就職の為に上京し、毎日の勤めの中で、事務所内で同僚が好んでかける邦楽を否応なしに耳する事になる。勿論嫌だったが文句を言う訳にもいかず、聴こえてくる日本語をどうにか聞き流す日々であった。しかしそんな毎日を過ごしている間に Flying Kids というファンク・バンドが気になり「あ、日本のバンドも結構良いかも」などと偉そうな事を考え始め、とうとう ” 続いてゆくのかな ” という 1st アルバムを買った。そしてそのアルバムの内ジャケットにレイアウトされた文章を読んで、僕はこのバンドが大好きになったのであった。以下にそれを敢えて画像で記す。文字の組み方は CD ジャケットに載っていた形そのままに、フォントとエフェクトは何故か銀色夏生風に。
このアルバムの発売は1990年。しかし僕が実際に聴いたのは次の年くらいか。そしてその3年後に岡崎京子の ” リバーズ・エッジ ” が発売された。これも僕は随分と遅れて読んだ。作中ではウィリアム・ギブスンの詩が引用され、その最後の行に「平坦な戦場で/僕らが生き延びること」という言葉があり、その言葉はいつの間にか一人歩きし初めて、1990年代社会に生きる人々の指針となるべき言葉のように彼方此方で書かれていた気がする。巻末のあとがきにはこう在る。
あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。彼ら(彼女ら)は別に何かのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠の中なかにたたずみ続けるだけだ。
しかしそれから10年が経った頃には、人々は延々とくり返す同じ様な毎日に飽き果て、しかもそのままずっとくり返して生きていける訳ではない事にも気づいたところから、やおらドラマを求め始めたように見える。
僕自身の事を言えば、通常の僕は社会の風潮に対して10年ほど遅れて生きているので、ようやく今頃になってくり返す事に限界を感じてきたところである。出来る限りの力を出し切り、知恵を絞って、この続いてゆく生活を続けていかなければならないのは変わらない事として、全く同じ轍を踏むのではなく、ほんの少しでも目新しき時間を手に入れるにはどうしたら良いのだろうか。なんて事を今更考えている。
植物に囲まれないと堪えられない(この感覚は非常に理解し難いと思うが)と思い、先々週JR目黒駅に近い国立科学博物館付属自然教育園に行って来た。
これまで東京に在る植物園と言えば都立夢の島熱帯植物園、東京大学大学院理学系研究科付属植物園(小石川植物園)などは時折訪れていたのだが此処には初めて来た。隣の東京都庭園美術館には来た事があったのだけれど。
敷地は広くそして開けた場所も少ないので、敷地の端に寄らなければ森に遮られて周囲に建つビルなど全く視界に入って来ない。森の中を歩き回っていてふいに空を見上げて「あれ、此処は何処だっけ」という感覚に陥る事が頻繁に有る。森林や湿地を歩いていると色々な懐かしい匂いがしてくる。樹木の匂い・落ち葉の匂い・草の匂い・池の匂い・土の匂い。かつての僕は一体何処でこのような匂いを嗅いでいたのかまるで判然としないのだが、とにかく不可思議で安心する。そして遂には此処に住みたいとさえ思うのであった。
本当に毎朝が辛い。何故こんな寒さに打ち震えながら過ごさなければならないのだ。気温が摂氏二十度より下がれば寒いと感じる僕にはこの時期は絶望の季節である。しかし日本国には四季というものが在り、つまりは冬という季節は避けがたい環境であって南国にでも移住しない限りは死ぬまで付いて回るものなのだ。やれん。実にやれん。しかしながらそんな僕にも、冬に存在する好きなものは在る。慰めにそれらを羅列してみようと思う。
意外にも挙げ始めたら色々出てくる。もしかしたら僕は寒さだけが嫌いなのか。
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