DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: November 2007 (page 2 of 2)

転々 / 三木 聡

 先の土日、テアトル新宿で観てきた。勿論、二日続けて観るくらいだから相当気に入ったのだが、それは一体何故なのだろうとかいう事はこれから追々考えていく事にする。こんな観方をしたのは「四月物語」と「珈琲時光」くらいなものか。

 観ていて本当に楽しかった。出演者である小泉今日子がインタビューで話しているように「あぁ、今日はいい日だったなぁ?!」というような気持ちにさせてくれる。僕はこれと同じ様な事を「時効警察」を観ていても感じる。一時期、僕は「時効警察」のDVDを毎晩、数週間に渡って観ていた事があったのだが、それはまさに、一日の終わりをそういう気分で過ごしたかったからに他ならない。仕事がキツかったり、他人との関係で嫌な事があったり、女にフラれたり、というかそういう事が全部重なってこれ以上ないくらいに打ちのめされていた毎日を、僕は「時効警察」を観てやり過ごしていた。一日の終わりにどうにかこうにか帳尻合わせをしていたのだ。

 主人公の二人が歩く東京の街々。自分が歩いた記憶のある街もあれば、未踏の街もある。懐かしさもあれば、未知との遭遇もある。例え同じ道を自分が歩いた事があっても、他人の視線を持ってその道を歩くのは楽しい。諸事情に拠り、暫くの間止めたままになっていた「東京を歩く」という趣味を復活させたくなった。最初は荒木経惟の写真集に触発され、当時は連れも居たので、二人それぞれにカメラを手にして、それはもう彼方此方を歩き回った。しかしいつしか連れは居なくなり、僕は独りで歩くようになった。写真を撮るには独りである方が都合が良い。相手を気遣う事なく被写体に向かえるからだ。それでもやはり、散歩は二人の方が楽しい気がする。時折喧嘩したりもするが、道々に何かが刻み込まれるからだろうか。その際に撮られた写真には思い出が宿る。しかし単独行で撮った写真には、写っている物以外には何もなく、ただ荒唐無稽な光と影の作り出す残骸が映し出されるだけのように思える。普段は一向にそれが気にならないのだが、たまに自分の撮った写真を眺めていて、その虚無感に愕然とする。

車中にて

 先の土曜日、上野アメ屋横町で買い物をしたその帰り、京成本線電車内での事。

 早い内から車両に乗り込み座っていた僕の目の前に、発車時刻ギリギリになだれ込んできた一団があった。中年層から初老の域までの男女合わせて10人ほどの団体。折りたたみのイーゼルを入れる布袋や、絵の具・筆を収納する手提げ箱や、ホルベインのショルダーバッグを持っている人がいるところを見ると、どうやら上野公園で写生をしていた人達であろう事が伺える。
 それぞれが和気あいあいと座席に座ったり立ったりしながら、今日の陽射しの具合や、絵の具の仕入れ先の事について話したり、技術面でのアドヴァイスをしたりして過ごしている。僕の隣には派手な身なりの老年に差し掛かった女性が座り、その前には擦り切れたジーンズにフィールド・ジャケットを羽織ったの初老の男性が立った。話を聞いていると、その男性はどうやらその会の指導者か若しくは主催者であるようだった。何故ならばちょっと偉そうだったからである。

 まあそこまでは良い。普通の光景だ。しかし、どうやら連中は写生の後、知り合いのイタリア料理屋で一杯やってきたらしく、僕の目の前の男性も結構饒舌であった。そして彼は、途中から会の他のメンバーの絵にケチをつけ始めた。当日の写生会の事ではないようだが、何やら発表会をやったらしくて、その時に提出された絵をいちいち否定するのである。「あいつ、あんなへったクソな絵出しやがってさー・・・」「まあまあ見れるのは、そうだねえ、一枚くらいかな・・・」
 事実そうなのかも知れないが、指導者(若しくは主催者)が同じ会のメンバーの一人に向かって、そんな事を口にするのは凄くマズイんじゃないのかなあ。そんなに気に入らないんだったら独りで描いてりゃいいのに。そんな事を思いながら、僕は寝たふりをしていたのだけれど、再び目を開けた瞬間、その初老の男のジーンズのジッパーが全開になっている事に気付いた。
 カッコ悪い・・・。そう思うと同時に、僕はその男が不憫に思えてきた。社会の窓が全開になっている事に気付かぬまま他人の悪口を言うのは、本当に間が抜けている。僕はその事を彼に告げるべきか迷ったが、何だかツマラナイ反応が返ってきそうなので、何も言わずに寝たふりを続けた。

ハイヒール〜続き

 そう言えば昔、18世紀頃のフランスやイタリアの貴族に関する本を何冊か読み漁っている時に「ハイヒールは、その靴を履く女性の胸や尻を僅かに突き出させ、強調する為に創られた。」というような記述を目にした記憶がある。生きる為に働く必要も無く、ひたすらに享楽を追い求めた人々ならではの発想だが、それに気づき、考案・開発した人間は凄い。靴が女性器の象徴であるとか、ハイヒールの踵は男根の象徴であるとか、そういう回りくどい比喩ではなく、実に直接的な欲求を満たす為に駆使された知力である。
 とは言え、これは本を数冊読んだだけの知識であるので、全体的な歴史的事実がどうなのかは知らない。

 これと似たような事で「首飾りや乳首へのピアッシングは、その金属や宝石の輝きによって、男性の目を自分の乳房に惹き寄せる効果を持つ。」と書かれていたと思う。首飾りはともかく、異性のの感心を買う為には己の身体に手を加える事も厭わないらしい。というか、現代では普通に行われている事なのだが、改めてその精神構造を知ると現代人がどんな呪縛の基に日常生活を営んでいるのか知れて、幾分は楽しく、そして空恐ろしくもあるのである。

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